7話
上を見上げればぽっかりと浮かんだ丸。昔はよく見ていたけれど、最近はとんと縁がなかったもの。
僕、善方寺伊作は絶賛不運発動中です。僕の身長より高い穴を掘るとか、どれだけやる気を出したんだろう。
しかも不運の連鎖なのか、足も挫いています。誰か早く僕に気づいて。
しばらく体育座りで人が通る気配を待っていたが一向に誰も現れない。
声を出してみても当然誰も来ない。
せめて、せめて深い穴を掘る時は人通りが多い所にしてくれよ。
そこから僕は経験からくる余裕なのか、寝てしまっていた。
そんな僕の眠りを覚ましたのは上から降ってきた声だった。
「げぇぇ」
明らかに不快であると告げる声に導かれて上を向くと、丸が丸でなくなっていた。
逆光で分からないが、僕を見て理由なくあんな声を出すのは一人ぐらいだ。
「助かったよ、花子ちゃん」
光に慣れてくると、相手の顔が見えるようになる。
眉間に皺をよせ、僕を見下ろす態度は圧巻である。
「足、挫いちゃって」
止まった会話を無理に進めようと僕はそう付け加えた。
彼女は仕方なさそうにため息を吐く。
「縄と縄梯子、どっちが良いですか」
「縄で引き上げてもらえると助かるんだけど」
花子ちゃんは頷いて丸の外へいなくなった。
彼女は僕を嫌っているというか、憎んでいるというか。それほどひどくはないんだけれど、良い印象を持っていないらしい。
でも内容はかなり理不尽なものだ。
僕もしたくてしていたわけじゃなかったし、むしろあんなの避けて通りたかった。
「先輩、垂らしますよ」
「早くない?」
縄を取りに行くにも時間がかかるだろうに、走ったにしても用具倉庫までは距離があるはずだ。
「縄は常備しているんです。こういうことがあるから」
なるほど、彼女らしい。
縄が僕の頭に当たる。ゆっくり垂らしてくれればいいのに。
「挫いたの片足だけですよね?引っ張るんで頑張って登ってください」
ギュッと縄を引くと、向こうが強く引いてきた。
それにつかまって土の壁を登る。
僕の手が外に出たところで、僕の手も彼女の手も縄から力を抜いた。
腕の力を使って全身を穴の外へ持ち上げた。
立って息を切らしている彼女を見て、僕はほほ笑んだ。
「助かったよ、花子ちゃん。ありがとう」
しかし彼女はそれを鼻で笑うように答える。
「はいはい、ようございました」
流石に少し傷つく。
「あんまりな態度じゃない?」
「先輩が私にした仕打ちに比べれば可愛いものですよ」
不満を言う僕に彼女は僕が悪いように物を言う。
しかし納得がいかない。
「あれは僕が君にしたというよりも、君が僕にしたんだよね」
「誰が好き好んで先輩にしますか!!?」
きゅっと彼女の手が拳を握るのを見て、全身が後退する。
「あれは、あれは私が勘右衛門のために作ったものだったのに」
それは知っている。何度も何度も聞かされたから。
「先輩がいたいけな少女の純粋な心を踏みにじったんです!!」
「でも僕は悪くないよね?」
「悪いですよ!!極悪ですよ!」
熱くなって手を振る彼女はちょっと怖い。
しかしそこで怯んではならない。僕は彼女を冷めた目で見る。
「悪くないよ。だってあれは君が罠を仕掛けるせいなんだから」
僕はことごとく下級生である彼女が仕掛ける罠にかかったのだ。こちらから文句を言うことはあっても、向こうから言われる筋合いはない。
「先輩が人の罠に勝手にかかったんですよ」
「君が仕掛けなければかからなかったよ」
「好きな人に近づきたかったんですよ!!勘右衛門を狙ったのに・・・」
「他の人間がかかるってことは君が未熟なんじゃない?」
嫌みを込めてそう笑ったが、彼女には通用しない。
「一年生が仕掛けた罠なんだから未熟なのは当然ですよ。それより下級生が仕掛けた罠に引っ掛かる先輩に問題があったのでは?」
確かに、そう言われれば言い返す言葉がない。しかし引っ掛かる側よりもひっかける側のほうが悪いはずだ。
いやでも、忍術学園は競合地域だし一概にそうは言えないのか。
「罠が発動しているのを嬉々として見たのに中に入っていたのが先輩だった私の気持ちがわかりますか?」
「分からないよ。花子ちゃん、落ち着いて」
「先輩は乙女心が分からない人です!」
「たぶん君は特殊だから」
少なくとも好きな人を罠にかけたいと思う女の子は僕の周りには彼女だけだ。
四年経った今でも彼女の怒りを冷まさない、この情熱はなんなんだろう。
あ、恋か。
「好きなら回りくどいことせず、仲良くすればよかったのに」
「それは過去の私に言ってやってください」
確かに。
今の彼女は周りから見えても、「好きになってもらおう」という気概が見られる。
努力が目に見える。昔に比べ、方向性が改善されたと言える。
それが相手に伝わっているかどうかは別問題だが。
毎朝の光景は微笑ましいほどだ。
しかし実際には変わったように思える彼女の行動は、どちらも好きな人を思って一生懸命という点においては全く変わらない。
恐ろしく一途。
時にそれは羨ましく思える。
「花子ちゃん、悪いんだけど保健室まで肩貸してくれない?」
「・・・うへぇ」
僕の体重はもちろん彼女より重いはずだ。
それを支えるのは結構な重労働だが、彼女ならできるはずだ。なんせ、さっき僕を引き上げることができたのだから。
あとは彼女の意思だが、絶対に断らない。
彼女は嫌な顔をしても、人を見捨てられないようにできているから。
「六年生の先輩にあったら有無を言わさず押しつけますからね」
「うん、それがいい」
僕も矜持がないわけじゃないから、年下の女の子に肩を貸してもらうのは気が引けるんだよ?
でも誰にも会わない気がする。だって僕は不運だから。
重たそうに僕の片腕を担いだ花子ちゃんの顔は不機嫌そうで、気持ちの良いものじゃない。
でも僕は彼女が優しく、強く、可愛いことを知っているから。
だからどうか、彼女が幸せでありますように。
どうか、泣きませんように。
可愛くない後輩の笑顔を祈るのは、やはり彼女が可愛いから。
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