続けて「どういうことでしょうか」なんて呟いてみても答えが返ってくるはずもなく。
自分の体を見ても透けている箇所は見当たらない。どうやら血みどろ男爵や嘆きのマートルのようにゴーストになったわけではないらしいことを知った。いや、もしかしたらゴーストは生者からは銀色がかった透明に見えていても、自分では生前と同じように見えているのかもしれない。……それは無いな。そんな話は聞いたことがない。
それに、ゴーストらしくふよふよと浮いているわけでもなく、今こうして僕は二本の足でしっかりと廊下に立っている。
「廊下……?」
薄灰色の床に白い壁、大きな窓と、並ぶ薄そうな扉。窓に近寄って空を見上げると太陽は空高く輝いていて、日の光を浴びることに慣れていない眼球はチリリと痛んだ。
遠くで女性の声が聞こえる。耳を澄ませば物音や複数人の話し声もわずかにしていることから、どうやらそこそこの人数はいるらしい。着ていたスリザリンのローブのフードを被ってゆっくりと歩を進める。ローブの内ポケットに収まっている杖へと手を掛けることも当然忘れない。
ふと見上げた場所に付けられていたプレートには数字と異国の文字が書いてあった。並んでいる四文字はとても読めそうにはない。魔法界かどうかも怪しくなってきた。
「授業……」
横開き式と思われる薄っぺらい扉についた大きな窓から中を
黒板を見ると書いてあったのは、『私たちは昨日サッカーチームの問題について話し合った』『マイクは毎日ジョンとバスで通学している』というもの。英語の授業……なのだと思う。少なくともイギリスではないところに来てしまったことは確からしい。
開いた口が塞がらないとはまさにこういうことなのか、脳の情報処理役が狼狽しているのを感じていると、教師と思われる女性がそれらを口に出して読み出した。生徒たちはそれを反復する。
女性の言葉は違和感も少なく聞き取ることができたが、生徒たちのほうは本当に同じ言葉を繰り返したつもりなのかと疑ってしまう。堂々と伏せて寝ている者も数人見られることから、きっとこの国では英語が無くとも問題なく暮らせるのだろう。
ピリピリとした空気のない授業は僕には少し羨ましく感じられた。時代が時代だったからか、ホグワーツ内といえどいつもどこか緊張感はあったものだ。
ホグワーツの敷地から出れば、ダイアゴン横丁ですら閑散としていて、
「―――、――――――――……?」
「……!!」
目の前から落とされた声に、強制的に思考から意識を引きずり戻される。距離を取ると同時に杖を引き抜いて相手に突きつければ、相手も一歩
その後も何言か喋っていたが、少しも聞き取れない。すると僕の顔を見て合点がいったのか、ようやく聞き取れる言葉で尋ねられた。
「――
それは単純な質問だった。しかし今ここで正直に名乗るのも
どうしようか、と悩んでいるとタイミングよく鐘の音――音楽と言ったほうがいいのかもしれないが――が鳴った。瞬間、ザワリと活気を帯びた空気になったのを肌で感じてフードを深く被り直した。「
「
叫ぶ女性に思わず足を止めそうになったが、そのまま背中を向けて走る。ほかの部屋――それぞれが教室なのだろう――からどっと人が流れ出してきて、休憩時間に入ったらしいことを知る。先ほどのは授業の終了を知らせる鐘で間違いなかったのだ。
生徒たちの視線が刺さる。居心地の悪さに唇の端を歪めながら生徒たちの波をくぐり抜けていくと、気がつけば最上階の扉の前にたどり着いていた。天文台ではなさそうだし、屋上というものだろうか。扉に手をかけても少しも動かなかった。鍵が掛かっているらしい。
「
開け。杖を向けて呪文を唱えれば、カチャリと小さく鍵の開く音がした。
「……気持ちいい」
もう少し日の光が弱いとベストだったが不快感はあまりない。すべてから解放されたようで自然と口もとが緩む。
壁際に日陰を見つけてそこに座ると途端に眠気が襲ってきた。いけない、と頭を振っても眠気を忘れられるのは一瞬で、数秒のうちに
……いっそこのまま寝てしまいましょうか。
自分はつい先ほど、毒薬を飲んで弱りきった末に、水底の亡者に引きずり込まれて溺れ死んだばかりなのだ。いくらこれが必要なことだったとはいえ、我ながら酷い死に方だと乾いた笑いが漏れる。
僕の死体は肉がついている内に発見されることはないだろう。呼び寄せ呪文で湖底に沈む
「苦しかったなあ……」
ぽつりと自然と口にしていた言葉に自分で驚く。そういえば、弱音なんて初めて吐いたかもしれない。厳しすぎる純血教育を受けても、兄に嫌われていても、
死ぬ直前、溜まった毒薬を飲んでいるときも終始クリーチャーに心配をかけさせまいとただただ必死に理性を保っていた。
……今はクリーチャーが上手くやれていることを祈っていよう。
何だか酷く疲れてしまった。
(僕は今度こそ死ぬのだろうか)