side:Shōyō Hinata
部活の時間、基礎練もとうに終わり、何度目かのミニゲームの最中、体育館の窓から見える空が薄紅色に変わった頃。
校内に他校生とみられる男が入り込んだことはすぐに放送され、ホームルームでは注意換気の簡易的なプリントも配られた。被害がなかったことと、万一校内の生徒も絡んだ悪戯かもしれない、ということでまだ本格的な調査は始まってないらしい。このままなにもなければ公になることもなく、静かにこの話は消えていくのだと思う。けれどそんなことは今はどうでもよかった。
次こそは綺麗に決めてやる! とネットを挟んだ向こう側のコートの月島をギリッと睨み付ける。二回も連続で月島のブロックにかかったせいか、月島はいつもの何十倍も悪そうな笑顔を返してきた。ぐぐ……。
「ボエーーーッ!」
そんなことを考えていると、目の前にボール。顔面レシーブはするもんか、と反射的に数歩さがり、腕を伸ばして勢いよく弾く。セーフ! なんて思ったのも束の間、バン! と体育館の壁にボールが小爆発のような音をたててぶつかった。アウトぉ……。
影山クンに怒られる、と身構えようとしたところで、目を皿のように見開いて固まっている男の人が立っているのが目に入った。同時に、硬いものが床に落ちて転がる音。
「あーーっ! 昼の不審者!! なあ、何でハリポタのローブ着てんだ!?」
日向ボゲェ! 考え事してんじゃねえ! と叫んだ影山の声におれの声が被さる。
「おいひな、」
「その服あの遊園地で買ったのか!? たしか昼間は杖も持ってたよな! かっけーって思った! また見たい! あれ誰の杖!? ネクタイもなんかすげー! しかも超似合ってる! いいなー、でも俺グリフィンドールがいい! 主人公って感じがして一番好きだ!」
昼間逃げられてしまって話せなかった分、溜まっていたものを一気に吐き出すように男の人に話しかけた。男の人は何かに迷っているかのように目を伏せ、しばらくしてパッと顔をあげたかと思えば、今度は俺としっかりとその灰色の目を合わせて、困ったような微笑みを浮かべた。
ほんの僅かだとしても口角があがったことに驚く。だって昼間はあんなに哀しそうな顔をしていたから。笑顔なんて忘れたとでもいいそうな、涙が浮かんでいないことが不思議に思えるような顔をしていたから。……な、なにを言われるんだろう。
「
ンエ゛ッ!? な、なんて言った……? ウェーゥ……アインソーリ、トゥイン……トュゥ……くじゅげでぃフォーミィ……? ……ハイ無理! おれには無理! やっぱり外国人だった!! リエーフ呼べばなんとかなる!? ダメだロシアだ!! あっ違うロシア語も話せないんだ!!
男の人は所々区切って話してくれたというのに――そんでもって多分わかりやすい単語を選んでくれた気がする――、おれの学力までは落とせなかったらしい。英語難しい……。けれど普段先生が話している英語よりもずっと聞き取りやすかったな、とは思う。うう、すいません……。男の人はちらりと自身の足元を見て、また口を結んだ。
「――
進展がなくなった体育館に、聞き慣れた声が静かに落とされた。聞き慣れた声、けれど言語が違うせいかくすぐったく感じる。いつのまにか月島の手には男の人が昼間先生に突きつけていた杖が握られていて、話し掛けられた男の人はパッと顔をあげた。
さっきの音は杖を落とした音だったのか……! てことはおれに杖を取ってって言ってたのか? 杖に触る機会逃した……!
「
「
「
月島から杖を受け取った男の人は、少しだけ、ほんの少しだけ柔らかな表情になった。にしても、つ、月島すげぇ……!! 月島英語話せんのか……!? こいつ日本人じゃないとか!?
「月島! この人何て言ったんだ!? てか頭もよくて英語もペラペラだなんてずりーぞ!!」
なあ、なあ! と月島に詰め寄る。月島は苦いものを噛み潰したように眉間にしわをよせた後、大きなため息を吐いた。
「……『中断させてしまってすみません、それ取ってもらえませんか』って言われたから『これのことですか』って落ちてた棒を差し出したワケ」
「そんで!? 次は!?」
「……『はい、それは私が話しているものです。私にとって重要なものです』『へえ、そうなんですか。僕には棒切れにしか思えませんケド。はい、ドーゾ』『ありがとうございます。貴方の手助けに感謝します』――こんな感じだケド……これで満足?」
It means a lot. は後ろにto meが省略されてて、直訳だと“それは私にとって重要な意味を持つ”。そこから転じて“すごく嬉しいです”って意味で使われて、単なるThank youよりも感謝の度合いが強かったり、嬉しさを表現するときに使われんの。ま、どっちみちこの棒きれでそこまでいうくらいなんだから意味合い的には“取ってくれて本当にありがとう、とても大事なものなんです”ってとこデショ。
そう少しもつっかえずにスラスラと解説をならべた月島に、周りが「おお……」とざわめいた。
「スゲエエエ! 月島オマエすごいんだな!!」
「いや日向の頭が弱いだけだから。この人基本的な単語しか使ってないし、文法も定型文使ってくれたりすごく丁寧だし、聞き取りやすいように区切りながら話してくれてるからね」
「ウッ……」
ガンバリマス、と頑張れる気のしない英語の授業を思って、背中を向け小さく呟いた。月島のじっとりとした視線が背中から突き刺さる。が、頑張るから……! 多分!
居心地の悪さにたらりと汗を流していると、男の人が杖をなれた手つきでもてあそんでいた。ペン回しの杖バージョン……?
「あ、その杖おれにもあとで触らせてください……! 高そうだし駄目だったら諦めるけど……! でもやっぱりかっこいいから触りたいです!」
無表情の男の人の前で何度かジャンプする。おれの気持ち伝わったかな……!? 伝わってなかったら月島に通訳になってもらおう、なんて思っていると、男の人は眉尻を下げ、人差し指で頬を掻いた。はぁ、となにかを諦めるように息を吐き、男の人は両手を胸の下あたりまであげる。
「
聞き取れない英語――ゆっくりではあるけど――を喋り、両手とも人差し指から小指までの四本を柔らかく揃えたまま、二度自分側に僅かに曲げる男の人。その動作はすごく説明的な丁寧さを持っていて、おれにも理解できるようにジェスチャーで言葉を補ってくれているのだと分かった。や、優しい……!
あの動作、確かリエーフがやってた……。かかって来いよのポーズ……? えっ、俺挑発されてんの!? いやでもそんな様子には見えないし……。あ、普通にこっち来いでいいのか……?
「おおお、オーケーオーケー……オーケイ……」
これでいいのかな、と顔色をうかがいながら男の人に近づく。男の人は一度ゆっくりと瞬きをして薄い微笑みをたたえた。よかったみたいだ!
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*補足
・『けれど普段先生が話している英語よりもずっと聞き取りやすかったな』と日向が言っていますが、イギリス英語の発音はアメリカ英語よりも日本人の発音に近いと言われています。例えば、日本人はRの舌を巻く感じのこもった発音が苦手ですが、イギリス英語だとRの発音はガン無視したり。他にも、betterとかがベラーじゃなくてベターでよかったり。
日本ではアメリカ英語が主流なので学校の先生の発音が悪い、というわけではないです。学校の先生もアメリカ英語を理解しやすいように丁寧に話してくれていると思います。こればかりは仕方がない……。
・Wellをウェーゥと日向が聞き取っていますが、Lの発音はアメリカより少し細かいみたいです。ここでウェルとしっかりLを発音するとアメリカ式になっちゃうとかなんとか。難しい……。