メメント・モリ

Magic.9 流星を目にするということ

side:Shōyō Hinata


 昼休み前最後の授業、英語。午後はきっと眠気と戦うことになるだろうが今は空腹が一番の敵だ。この授業前の十分間の休憩時間に早弁をしたかったものの、課題をやっていなかったせいで食べ損ねてしまった。その分、早弁用のものもお昼に食べることができるけど――と、ぎゅぐぐう……と情けない音を出す腹を抑えて机に突っ伏する。クスクスと笑い声が聞こえて、うう、と唸った。は、恥ずい……。
 先生が言った英語の一文を、机の上で開いたノートに顎をのせた状態でゴニョゴニョと繰り返す。英語なんて将来なんの役にたつんだろ……。おれ日本語もよくわかんねーってのに。

 ゆるりと進んでいく穏やかな時間のなかで、退屈さと空腹にハァ、とため息をつきながら頬をノートにぺっとりとくっつける。あ、今体起こしたら確実にお腹なる……。ひんやりと心地好く頬の体温を奪っていくノートに身を委ねていると、顔の向いた先――すなわち、後方のドアのガラス部分から誰かが教室内に視線を寄越しているのが目にはいった。
 黒くてペラペラの先端が細く尖ったフードを深く被り、右手を上着の内側に突っ込んでいる、緑のネクタイをかっちりとしめた男の人。一言で言ってしまえば怪しい。……不審者っていうのか?
 けれど何するわけでもなく、ただじっと教室内を見つめる様子に、おれもじっと男の人を見る。目もとがよく見えないなかで、高い鼻だな、とスッと筋の通った鼻と、きつく結ばれた薄い唇を眺めていたが、男の人が身じろいでようやく顔が見えたとき、思わず息をするのを忘れてしまった。

 それは男の人がテレビでも見たこともないくらい儚げで整った顔立ちをしていたからではない。長い睫毛に飾られた灰色の眼球も、アジア人では真似できない白く透き通った肌も、それを際立たせる細く柔らかそうな黒髪も、形のいい眉も、確かに男でも見惚れるものがあったが、まるで目の前で沈んでいく夕日を眺めるような、何か手に届かないものを渇望するような、それでいてぐっと全てを圧し殺して堪え忍んでいるような、目の前の授業風景を見ているようでどこか別の遠いところを見ているようなその表情にどうしようもなく惹き付けられた。
 なんて哀しい顔をこの人は浮かべるのだろう。どんな気持ちで俺らの日常を見ているのだろう。何をしたらこんな表情を作らなくてはならないのだろう――様々な疑問が浮かんでは消え、見ているおれが無性に泣きたくなった。


「…………ん?」


 一分、二分、三分……とゆっくり進んでいく時間のなかで、今まで表情のほうに気をとられていたせいでようやく気付いたあることに短く小さな声を漏らす。いや、勘違いかも、と二、三度瞬きして見直して、勘違いじゃない! と心のなかで跳び跳ねる。

――ハリポタのローブだ!!

 バッと勢いよく顔をあげた俺にクラスメイトたちの視線が集まった。グルグルグル、と動いた胃が空腹を盛大に訴える。けれど俺はそんなことは構わずハリポタの仮装をした人へと視線を向けていて、皆も俺の視線を辿るようにドアのほうを見た。


「あら? 誰かしら……」


 先生が授業を中断して男の人の方へと机の間を進んで行く。ハリポタの人はなにか考え事でもしているのか、瞬きもしないでぼーっとしていた。


「ねえ君、どこのクラスの子……?」
「……!!」


 先生がガラガラと戸を開け男の人の目の前で話しかけて、ようやくその人はハッと目を見開いた。やっぱり考え事でもしていたらしい。あんな表情を浮かべるくらいなのだから、きっとこの人にとってすごく大事なことだ。


「…………」


 話し掛けられるや否やバッと後ろに下がって距離をとった男の人。男の人が見えなくなったらしい席の人は身を乗り出して様子をうかがう。運のいいことに俺の席は全部見える! いいだろ!
 男の人は後退すると同時に、ローブの中に突っ込んでいた右手を引き抜いて、取り出したものを先生の顎先に突き付けた。それは焦げ茶色で細くて、銀で装飾された持ち手がキラキラとしていた。なんかよくわかんねーけど高そう!


「……というか服もこの高校の制服じゃないようだし……だ、第一あなたみたいな生徒見たことがないわ。どこの学校? なんて名前かな? それにあなた許可証を首から提げていないようだけど……じ、事務室や職員室には行ったの?」


 棒――やっぱり杖だよな!? ――を下から顎先に突きつけられ、自然と顔を上に向かされた先生がたじろぎながらも男の人に質問を重ねる。けれど男の人は口を開くことなく、目をわずかに細めて、訝しむように顔の角度を変えた。
 あ、もしかして言葉が通じないのかしら……。先生が男の人の、アジア系とはまるで違う顔立ちにぼそりと呟いた。


What's your nameあなたは?」


 先生すげえ!! ほんとに英語の先生なんだ!! わっつゅぁねい! 貴方の名前はなんですか、だ!! おれも話せそう! わっつゅぁねいん!!

 ワクワクしながらハリポタの人の返答を待つ。何か言いかけて、きゅっと結んでいた口を開いたとき、タイミング悪くチャイムが鳴り響いた。……うおお昼休み!!
 待ちに待った昼休みの到来に、ガッと椅子から立ち上がり、クラスメイトたちも一斉にざわめきだす。ハリポタの人をもっと近くでみたくて、教科書やノートを閉じることもしないまま近寄ろうとすると、ハリポタの人はフードを深く被り直して、Good bye失礼しますと言うなり去ってしまった。早口だったけど聞き取れたぞ!! さようなら、だって!


Excuse me待って!!」


 先生がすかさず廊下に出て大声を出す。エクスキューズミーはすみませんって意味だったと思う。今日のおれ冴えてるかも……!
 にまにまと緩む頬のまま、追いかけようと俺も教室を飛び出すと、早くも昼休みの解放感に浮く生徒たちで溢れだし始めた廊下のなかで、ハリポタの人の背中はもう既に小さくなっていた。は、速ぇ……!!


「でも、諦めないぞ……!」


 ダッシュで人混みを抜けていく。階段に差し掛かり、中央側の手すりの隙間から下の階を見下ろす。いない……ってことは上! ……上!? ここ四階だし屋上しかねーけど……!!
 何度か下と上を見比べて唸る。上なら行き止まりだ、とぺろりと乾いた唇を舐め、結局階段をかけ上がることにした。


「うええ、いないいい……!!」


 ちくしょー、と頭をがしがし乱雑に掻く。目の前にあるのは屋上へと繋がる扉のみ。ローブを着た人の姿などどこにもなかった。念のため扉を引いてみても、ガチャ、と金属のぶつかる音がするのみ。下だったのか……。
 しょぼくれていると、思い出したかのように腹がぐぎゅう、と鳴いた。……昼飯食お。




(「エクスペクトパトローナーーム!!」)
(「お、守護霊の呪文!」)
(「人に箸向けんな日向〜」)
(「ほっぺたにノートの文字がうつってるせいでかっこよくもないぞ日向〜」)
(「エ゛ッ……もっと早く教えてほしかった!!!」)

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