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「……君は五十階へ」


 審判が手持ちの機械に何かを打ち込むと、レシートのように細い紙が印刷されて出てくる。差し出されたそれを受け取って見てみるとどうやら一階での勝利証明を兼ねた五十階行きのチケットらしい。なるほど、これを受付に見せることでファイトマネーを貰うのか。
 俺が子供だからか油断したらしい相手は先ほどスタッフによって運ばれていった。言い訳のようだが、決して俺がやりすぎたわけではないと思う。観客席で俺を見ていたスティグマが時計の針が左回りをしているのを見てしまったような間抜け面をしているのを数秒だけ視界に収め、リングを下りて審判に言われた通り五十階へと歩を進めた。


◆ ◇ ◆



 貰ったファイトマネーの封筒を開けると五万ジェニーが顔を覗かせる。本日二度目の闘い――五十階での戦闘も難なく勝つことができた。やはり痩せぎすな子供だからと遊び感覚でかかってきた対戦相手はスタッフに運ばれてリングを後にしている。繰り返すようでしつこいが、俺はやりすぎてなどいないのだ。そもそも五十階まで来れたという時点である程度の戦力はあるとわかるだろうに。


「意外と貰えるんだね」
「……おう、本当にな」


 俺よりも多くのお金が入った自身の古臭い財布をまじまじと見るスティグマが言葉を返した。これは喜んだほうがいいことなのか疑問は拭えないが、彼は俺の言葉通り大金を子供の初陣に突っ込んだらしい。それだけならまだ信じてもらえたことに喜んだだけだったのだが、賭けた金はすべてわざわざ借用したものとのこと。勝つ自信が無かったのかと言われれば否と言うことはできるものの、どんなに強い人間でも一階から登っていくのだから、そんな人に俺が当たらないとも限らない。
 この程度の階を賭けに使う人は少ないため賭けに勝っても一攫千金というわけにもいかないが、俺にはおそらく彼しか賭けていなかったことと、賭け金自体がおかしい額だったことが相まって結果的にそこそこ以上の利益はあったらしい。彼は満足そうに財布をズボンのポケットにしまった。……俺は自分のファイトマネーの話をしていたんだけど。


「アイヴィー坊ちゃんは本当に格闘経験は二年ですか?」
「誰かと闘ったのは今日が初めてだよ。だから本来は無しと記入するべきだったんだ」
「そういう話をしてるんじゃねえ……」
「知ってるよ。――スティグマおじさま、俺って結構役に立つだろ?」


「どう?」なんて先ほどのようにり寄る。しかし彼は引き剥がすこともなく「すんげえ立つ……」と呟きながら俺を抱え上げた。変わり身の早さは称賛に値する。


「スティグマの鼻は悪くなかったみたいだね。どうかな、俺はまだイイニオイしてんの?」
「すげーする、すげーする……。あー!! お前が一気に可愛く見えてきたぜ……!」


 彼は頬を俺に押し付けた。少しかさついているせいで何度も強く頬ずりをされればヒリリと痛むものの、この行為を初めてされたせいでどうしたらいいのかわからない。されるがままになりながら、乱暴男め、と内心で呟いて反対の頬を膨らませた。


「……俺は失礼だなって怒ればいいのか、それともお金の力に感謝したらいいのかどっちだ? 子供相手にここまでオープンなクズってなかなかいないと思うんだけど」
「今なら天使を信じてもいい」
「聞いちゃいないなこの人」


「天使って羽が生えてるもんだと思ってたぜ」なんて言って意気揚々と口笛を吹く彼にため息を吐きながら、抱き上げられる瞬間にスった財布を覗く。まあたしかに無一文だったところにこれだけのお金が入ってきたのならご機嫌にもなるか。
「そろそろ降ろしてよ、スティグマ」と言って今度は逆の手段で財布を戻した後、やけに距離の縮まった彼に「飯行こうぜ」と手を引かれ、されるがまま付いていく。……この人大丈夫だろうか。俺が悪人だったら今また無一文に戻っていたってのに。


「ところでスティグマはどんな仕事してんの?」
「彫り師だ」
「彫刻家……のわけないよな。刺青しせい師で合ってるよね」
「お前こそ失礼じゃねえか? ……まあいいけどよ。その通りだ、タトゥーイストっつえばわかるか?」


 彼は「これも俺が自分で彫ったんだ」と上腕の刺青しせいに目をやった。美しいと思っていたそれがまさか自身で彫っていたものだったとは。今まで見たどの刺青しせいよりも濃い黒、細い線、優雅なカーブ。刺青しせいではありきたりなモチーフのはずなのに酷く印象に残るデザインが、それらの意志の強い線で一層際立っている。


「ま、つってもほとんど仕事も来ねぇ趣味みたいなもんなんだけどな」
「へえ……」
「ったく、興味なさそうな返事しやがって」


「テメェみたいな天使チャンには未来永劫無縁だろうよ」と皮肉る彼の手を引いて立ち止まらせる。「いや、逆だよ」と口にすれば意味が通じなかったのか、眉根が寄せられた。


「凄く興味が湧いた。気に入ったよ、それ」
「……おう?」
「だからさ」


 繋いでいた手を離して彼の進路を塞ぐように前に立つ。同じように雲が太陽の前に割り込んで地上に影を落とした。街がほの暗さに包まれる。


「――俺にも彫ってよ」


 それは自分が思っていたよりも随分と冷たい声だった。元から笑顔は得意ではなかったが、ついには声までよく研がれた刃物のようで、彼に針を投げつけたような錯覚さえ生まれた。


「……ガキの冗談には付き合ってらんねーぞ」
「酷いな、真剣に言ったのに」
「大抵こういうのはいつか後悔するもんだ」
「後悔するまで生きているかわからない」


 重ねていくようにすぐに言葉を返せば、彼は沈黙に入った。しばらくの間互いに視線を合わせながら街が動いていくのを聞く。雑踏音とは上手く言ったものだ。人々は俺たちを迷惑そうにけ靴音を鳴らして通り過ぎていく。


「……オレのタトゥーは安かねーぞ」


 呆れたように口をひん曲げた彼が俺の手を掴んだ。「期待ができるね」なんて言いながら再び彼と共に雑踏音に加わる。「ったく……」彼は太息たいそくをついた。


「天使サマを穢すことになるとはなあ……」
「天界を追放されないといいんだけど」


 ひょいと肩を小さくすくめてみせる。しかし俺は例え話ですら天使なんて言われるような人間ではないのだ。
 神は自由意志を持つ天使を創造したが、自由意志を持つ天使には服従心が無く結局天界から追放した。地上まで堕ちた天使は人間になり、さらに深く堕ちた天使は悪魔となった――なんて話があるが、その通りなら俺は間違いなく後者に振り分けられているだろう。こんな姿を持ったのも、××と呼ばれるのも納得するしかない。
 とはいえ、本当に天使や悪魔が存在するのなら、という話だが。俺はいるかいないかもわからないものを信じてやれるほど広い心は持ち合わせていないのだ。広い心を持ち合わせていないから、××と呼んだ奴らを許してやれるはずもない。


「神様とやらは見逃してくれると思う?」


 雲がけて降り注いだ日の光で地上が明るくなるのを見渡しながら俺は彼に尋ねた。


「案外悪魔のほうがお似合いかもしんねーぜ?」
「人の欲を掻き立てるという意味ではスティグマにとってすでに俺は悪魔だよ」
「畜生、何も言い返せねえ」

(P.18)



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