色の名前も知らないまま、 3 1/1 


Side:Aizawa

「しっあわっせはー、あっるいーてこっない。だーからあるいてゆっくんっだねー」


 調子外れな歌に合わせて、よごれた運動靴がステップを踏む。一、二、三。ワン・ツー・スリー。盆踊りなのかワルツなのか解らない下手くそなダンスを横目に、怪訝けげんな顔をした人が通り過ぎていく。


「いっちにーちいっぽ、みーぃっかーでさんぽ」


 るんた、るんたと踊りながら、ホップステップジャンピング。時々ターンもしてみたりして、口ずさむリズムに乗せて踊りながら足を進める。
 空は快晴、時刻は十時。ダンスをするにはもってこいの時間だ。正確には散歩をしているだけなのだけど。
 特にやることもないからと当てもなく歩いてはいるが、何だかこれはこれで楽しい気がする。せっかくの休日にやることが一人で散歩、なんて。友達ができなくて当たり前だ。


「楽しいからいいけど」


 ひっそり呟いた言葉は本心なのか強がりなのか。考えることはせずに頭の中から投げ捨てて、歌いきった曲を巻き戻す。
 この歌に二番はあるのだろうか。一番を繰り返し歌うばかりで考えたことがなかったけど、考えるだけ無駄なのかもしれない。歌詞の意味なんて、歌っている私には関係ないしどうでもいいことだ。楽しければそれでいい。
 るんるんと歌って踊っていると、目の前を猫が通り過ぎる。野良猫だからか少しくすんだ、それでも綺麗な白い毛並みの猫。その子は私の方をちろりと見て、あくびをしながら通り過ぎる。
 退屈そうに去っていく猫を見て、ふと、同じクラスの彼を思い出した。真っ黒な髪と黒縁眼鏡の、優等生な彼のこと。
 短い方の触覚はもしかしたら成長をやめてるのかも、なんて。そんな馬鹿みたいな妄想が最近のブームだ。名前はいまだに覚えていない。
 彼の休日はきっと充実しているんだろうと、頭の中で決めつけてみる。
 唐突すぎるだろうか。だけど歌って踊ってぶらつく以外、私にはやることがないんだもの。これぐらいの妄想ならしてもいいんじゃないか。誰にも迷惑はかけないんだし。
 といっても、私は彼のことを何も知らない。好きなことや嫌いなもの、趣味はおろか彼が何の部活に入っているのかもわからないから、そこから何かを広げることはできない。


(でも多分、というか絶対私みたいなことはしていない)


 うんうんと頷きながら、少しだけ歩くペースを速めてみる。時々前方を確認しながらも、見つめる先にあるのは爪先だけだ。
 私の奇行に驚いた鳩が、慌てた様子で逃げ出していく。羽毛の塊がふわふわと走っていく姿が、視界の端にちらりと映る。


「あっるいーてこっないぃー」


 幸せって歩くのだろうか。思考が彼方へ飛んでいく。
 そもそも幸せってどんな姿なんだろう。浮かべていた人物は一瞬で掻き消えて、頭の中を支配するのはそんな疑問ばかりだ。だけどそれも、一歩足を踏み出せばすぐにぼやけて消えていく。


(きっと彼の目と同じ色だ)


 さっき消えたばかりのクラスメイトが姿を見せる。薄い色の瞳が瞬きをする度に目の前に現れ、ふわふわした何かを彩っていく。
 たんとん、ととん、進む足は速度を増して、周りの風景が通り過ぎていく。壁の上を歩く猫が眠たそうにあくびをした。


「いっちにっちいっぽ、みーいっかでさんっぽ、」


 頭の中に浮かぶ何かが、彼の目の色に染まっていく。少しずつ確実に、その色はまるで侵食するように広がっていく。


「さーんぽすすんで」


 色付いていく柔らかそうな何かは、きっと幸せだ。もう少し、あと少しで出来上がりそうだ。綿あめのような何かが形になって、鮮やかにその身を染め上げる。もう少し、あとちょっとで――


「にっほさーが、ぁ、っ!」


 歌う口が反射的に閉じて、ステップを踏む足が急ブレーキをかけた。いきなり止まった体を殺しきれなかった勢いが襲う。
 ぐらりと揺れる視界に、見慣れた黒髪が映る。


「おっとォ」


 鼓膜を震わせた声は、教室でいつも聞くそれよりも少し低い気がした。


「わ、っと、とととと……!」


 転ばないようにと脚に力を入れ、踏ん張りながら何とかその場に立ち止まる。どくどくと速まる心臓を服の上から抑え、は、と息を吐き出した。


「……大丈夫ゥ?」


 危なかった。その一言で埋め尽くされる思考を落ち着かせていると、すぐ横から声を掛けられる。


「すみません、前を見ていなか、った、です」


 荒い息を整えながら顔を上げ、間を置かずに深々と頭を下げた。自分の汚れた爪先と、綺麗な色の靴が一緒に映っている。


「本当にごめんなさい」
「僕は大丈夫だったけど……気をつけなよ?」


「はい」と小さく返事をして、もう一度謝った。顔を上げて、彼の顔を見ずにその場を離れる。駆け足で一気に距離をとり、そのまま少し離れた角を曲がった。
 近くにあった電柱からそっと後ろを確認すると、彼は何事も無かったかのようにスマホをいじっていた。


(あっっっぶなかった……!)


 その場にしゃがみこんで大きくため息を吐く。
 たしかに前は見ていなかったけど、でも。まさか進む先にさっきまで考えていた人間が本当にいるなんて、思わないじゃないか。
 背中を丸めてひざに顔を埋める。まだ心臓がうるさい。


「……綺麗な顔だなぁ」


 ぽつり、こぼれたのはそんな馬鹿みたいな感想だけ。
 薄暗くなった視界にぼんやりと映るのは、先ほど一瞬だけ間近に見えた、彼の顔。できものやシミ、そばかすなんかも無くて肌荒れとは無縁だということが見てとれた。
 だけどそれ以上に目を引いたのは、彼の瞳。
 色が薄いというよりは、もはや白い瞳なのだと言ったほうがよいのではないか。そう思うほどに彼の目の色は薄い。幼い頃に見た田舎の雪景色を思い出すような、どこか儚げな色だった。


(……もしも、)


 もしも幸せが彼の瞳と同じ色をしているなら、きっと誰の目にも見えなくて。
 透明に近いあの色じゃ誰にも見つけてもらえなくて、捕まえることなんてできないんじゃないか、なんて。
 そんな馬鹿馬鹿しいことを、一瞬だけ本気で考えた。


(……馬鹿みたい)


 それもすぐに掻き消えてしまったけれど。


「帰ろ」


 よっこいせとひざに手を当てて立ち上がり、脳内ナビの目的地を家に設定する。なんだか、一気に疲れてしまった。
 もう今日は寝ていよう、そうしよう。明日学校だし、大人しくしていよう。
 来たときよりも少しだけ背を丸めて、私は道を引き返す。私がもやもや考えている間にさっさと移動したのか、さっきの所に彼の姿は無かった。
 ホッとするやら残念に思うやら。
 そんな言葉が頭に浮かび、残念という言葉だけを頭の中から追い出した。


(P.47)



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