憧れのあの人 2 1/1
七月十六日(木) 日直:風峰、色無
今日は朝からずっとドキドキしています。正確には朝のホームルーム、先生から日直を告げられたあの時から。
この学校の日直は原則二人らしく、ペアで分担して仕事をするそうです。なのでペアになることは何ら問題は無いのですが、ペアになった相手が問題でした。……あ、相手に問題があるわけではありません。決して。むしろ問題があるのは私のほうです。ペアの相手が、私の恋の相手……色無君なのですから。
ど、どうしましょう……。全然落ち着かないです……。
現在受けている授業の内容なんて頭に入らなくて、脳内を占めているのは色無君に迷惑をかけてしまわないか、ということだけ。だから、先生に問題を当てられても答えられなくて。これを色無君が見てると思うと恥ずかしくて、すぐにでも教室から出たい思いでした。
授業が終わり、休み時間。黒板の文字を消す。……だけど私の背は標準より低く、上の方は届かなくて消せない。
「貸して」
すっと黒板消しが私の手から取られ、色無君の長い腕が颯爽と文字を消していく。その横顔に見惚れ……ではなくて。
「あ、ありがとうございます……」
緊張した声で何とかお礼を言う。かなり小声になってしまったけど聞こえたかな……?
「どういたしまして」
どうやら聞こえていたようで。返ってきた声にほっとした。
次の休み時間。授業で必要な資料を取りに行くため準備室へ。これも二人で行きます。凄く緊張するけれど、何だか嬉しい。形は全然違うけど、もし、本当にもし、二人で出かけたりしたらこんな感じなのかな……。
「持っていく物、これみたいだよ」
二人で資料を持って……あれ?
「色無君……」
「どうしたの?」
彼の腕が持つ資料。どう見てもそれ……。
「色無君のほうが重いんじゃ……?」
明らかに私の持つ分が少ない。
「大丈夫だよ。こう見えても結構力はあるんだ」
「でも」
「だーめ」
「……え?」
「いくら日直だからといっても、女の子に重い物は持たせられません」
その言葉に、たちまち顔が赤くなる。優しい色無君からすれば何てことない言葉かもしれないけれど。女の子扱いされたことがたまらなく嬉しかった。
◆ ◇ ◆
日は傾き、夕暮れ時。私たち以外誰もいない教室で二人で隣り合って席に着く。チラ、と日誌を書く彼を見た。ただでさえ美しい彼なのに、夕陽に照らされているせいかより一層美しく見える。――なんだか、違う世界の住人みたいだ。
ぱち、と目が合う。……しまった、見すぎた。
「……どうかした?」
彼が声を発する。とても心地の好い、彼らしい声だ。
「い、いえ……! 何でもないです……」
見てた、なんて言えない。そんな恥ずかしいこと。
「そう? ならいいんだけど」
そう言って微笑んだ彼に、私は見惚れてしまった。
「……本当に大丈夫?」
突如として何も言わなくなった私が気になったのだろう。心配そうな声とともに何かが私の額に触れた。女の子のものとは違う、少し骨ばった“その手”。
――え? え?
「熱は……無いみたいだね」
そう安心したように彼はまた、微笑んだ。その優しい微笑みに、私の心は締めつけられる。
――この時間がずっと続けばいいのに。
でも時間というものは時に残酷で。過ぎていくそれは突然終わりを告げる。
「――じゃあ、部活があるからもう行くね」
そう言って学級日誌を持って教室を去った。私はその背中を見つめることしかできなかった。
「……色無、君」
彼の触れた額がまだ熱いことを、私は知っていた。離れた手を、名残惜しく思ったことも。
――「また
明日」そう言われたことに、たまらない嬉しさを感じることも。
私は知っていた。
(――どうしよう)
少女は考えます。
(二人きりだなんて)
少女は焦ります。大好きな彼と二人きり。こんなことはそうそうありません。少女にとっては話し掛けることすら容易ではないのですから。
少年からしてみれば、何てことのない日常の一部でしょう。ただのクラスメイトといるだけの。
(何か話さないと)
そう思うのは簡単です。けれど、少女の口は少しも開いてはくれません。声すらも出てくれません。しかし少女は、心のどこかでこの空間を心地好いと思っていたのです。
――あのね、
やっと出た声はみっともなく震えていました。それでも彼の耳はそれを拾ってくれていたのです。彼と交わしたのはごく普通のありふれたもの。しかし、彼女にとってはとても貴重なものだったのです。
――ずっと続けばいいのに。
しかし、終わりは必ず来るのです。……少しばかりの、名残を連れて。
◆ ◇ ◆
少女はますます彼を好きになります。でもね、“恋は盲目”……なのですよ。なぜなら彼女は知らないのですから。彼の本心なんて、これっぽっちも。
真実は“神のみぞ知る”……なんてね。
(少年i 作『想う恋と伝える勇気 -outside story-』)
(P.24)