ラストノート。 1/1 


Side:Utility pole?

 電柱擬態していないSTKによる、ある男子高生の観察記。


「先生って、いっつもご機嫌だよね」
「そんなことはありませんよ。でも皆さんに会えるのは嬉しいです、だからかもしれませんね」


 月に数回しかない私の授業日、よく話しかけてくれる女の子に言葉を返す。「それではまた次の授業で会いましょう」そう笑ってみれば手を振ってくれた。教材を抱えて教室を出る、たった十分の休憩時間にざわめいた生徒の声が廊下に木霊して空間を満たす。誠凛高校は今日も何てことのない平和に溢れていた。
 職員室に戻る途中、一年生の教室の前を通り過ぎた。ある教室、お喋りに花を咲かせる女の子の陰になって一人本を読む男子生徒がいる。彼の名は色無雫、私が密かに追っている人間だ。
 さっき教室で話しかけてきた女の子は私をご機嫌だと称した、だがそれもそうだろう。電柱に擬態するスキルを極めてまで追いかけ回している彼を、真っ正面から目にできる貴重な日。それが私の授業日なのだから、機嫌が悪いはずがない。
 一年生の授業を持っているわけではないので直接的な関わりは無いに等しいが、同じ校内にいてその姿を直視できる、非常勤とは言え講師で良かったと思う瞬間だ。こんなSTKが教師とは世も末ではあるが。
 職員室に戻って作業机へ向かう、先ほどの授業で実施した小テストの採点ははかどりそうだ。次のコマに授業は入っていない、ゆえに昼休みまで採点とそのほかに時間を使えると計算をして赤いペンを握る。そんな時、職員室の引き戸がベタな音を立てて開いた。


「失礼します」


 あ、この声は。振り返りたい衝動を抑えてきつくペンを握り直す。電柱に擬態しているときは間違っても直接顔を合わせない安心感があるのだが今は駄目だ、目を合わせるな、知らぬ顔でやり過ごせ、そう脳裏で警鐘が鳴らされている。
 プリントの束を届けに来たらしい色無君は、デスクの並びが一番端になっている私の横を通り過ぎて行った。人間一人が通った場所の空気が揺れて、その勢いで微弱な風が巻き起こる。ふわりと香ったのは多分洗剤だとかシャンプーの匂いなのだろうが、尾を引くそれはまるでラストノートみたいだと思った。彼のイメージを作る香り、まさにその通り。
 小さなため息を吐いて顔を上げる、彼はもう行っただろう。だがその考えは甘かった。入り口から背を向けた臨時で私の使っているデスク、すなわちそれは色無君が引き返すとき正面になると言うことで。
 顔を上げた瞬間、うっかりと目が合った。
 すぐさま目をらした私に、彼は一瞬の不審げな表情を隠して軽い会釈を寄越す。不審がられただろうか、いや、今の私はただの、一介の講師だ、問題は無いだろう。でも無理、あの綺麗なホワイトグレー、見ました? やっぱり無理だ、私には。直接は無理だ、たとえ目が合うだけだとしても!
「失礼しました」とまた声が聞こえた。ようやくほっとして頭を抱えた、やっぱり彼に近づくのは擬態しているときだけにしよう。こんなの心臓がたない。


「あのー……先生、どうかなさいました?」
「いえ、大丈夫です。もう落ちつきましたから」


 何事も無いと装って声を掛けてきた先生へ苦笑を返す、だがテスト用紙を挟んだファイルの表紙に点々とついたペンの、動揺の痕は隠せなかったらしい。答案に直接ペン先が触れていなくてよかった。
 さっさと採点をしてしまおう、午後からはまた授業がある。「先生、何か良いことあったの?」そう聞く生徒の声には曖昧に笑ってみせた、もうしばらく彼のラストノートは忘れられそうにない。




(「一体何だったんだろうねぇ」)
(「どうしましたか、雫君」)
(「うーん、大したことじゃないよ。さっきいい子の僕はプリントを届けに行ったわけだけど、あまり知らない先生に目をらされちゃった」)
(「……珍しいですね、いい子の雫君が」)
(「だよねェ。でもあの視線、身に覚えが無くもないような……うん、きっと気のせいだね」)

(学校での僕は割と先生から良い目を貰っているけれど、あんなに露骨な反応はちょっと気になるなァ、なんて)
(思春期真っ只中みたいなクラスメイトなら何となく理由は察しはつくけれど)
(まァ、気にしても仕方ないか)



(P.20)



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