午後七時の逃走劇 1/2
電柱擬態STKによる、ある男子高生の観察記2。
◯月×日 天候/曇り/午後「あの……雫君、あれは一体なんでしょう……」
「さあ……僕にもよくわからないかな……」
「電柱……なわけないですよね。これから搬入するんでしょうか、でもあんな物を使う競技ってありましたっけ。ボクの記憶にはありませんが」
「うーん、僕たちが知らないだけで、あるのかもね」
嗚呼、嗚呼、不審な目で見ないでほしい。体育館の横扉に張り付いた電柱、決して怪しいものでは!
校舎の有志に後を託して待機し、放課後を告げる鐘が鳴る。その時間はすでに把握済みだ。きっと色無君はマネージャーとして部活動の準備をしに体育館へやって来るだろう。その予想はまぁ、大体当たる。色無君のほぼ日課なのだから当然か。
残念ながら学生という身分を持たない以上、堂々と練習を見学する学生のようにはいかない。体育館の壁や柱が私の視界を阻む上に、なんだか一部からの視線が痛いが気にしないでおこう。電柱ではあるが勘違いしてくれるなら体育の授業で使うポールかなにかだとでも思ってくれて構わない。
マネージャー業に専念する彼を見守り続けて現在時刻は午後六時半、練習も終わり部員のほとんどが帰り支度をしている。火神君や黒子君(部活を覗いているうちに部員の名前は大体把握済みだ)はマジバに寄って帰ると言っていたが、一緒にと誘われていた色無君は後片付けがある、と断ってまだ体育館だ。戸締りがされてしまって中を
窺うことができないが、先ほど扉を閉められるまでに見ていた様子ではもうすぐ彼も出てくるだろう。
体育館の出入り口付近にスタンバイする。ジャージから制服に着替えた色無君が体育館を出た、やはり彼が最後らしい。鍵を返して帰路につく、その後ろを追った。
「……毎回思うんだけどさァ、……普通学校の敷地内に電柱ってそんなに無いはずなんだよねぇ。なのにどーして僕が振り返ると大体いっつも電柱があるわけぇ?」
そこは気づかないでいてほしかった!
確実に怪しまれている。春先とは言えまだ夏には程遠く、この時間帯の空は濃紺。街の
灯りに照らされてはいてもとても明るいとは言えない。時間が少し遅いためか周囲には学生の姿もなく、そそくさと歩いて行く社会人の姿が見えた。
そんな街の中、夕闇を背に色無君は立ち止まる。おもむろに振り返って、道路を走り去って行った自動車のライトが彼の眼鏡に反射した。なんだか怪しい気配を察して移動を止める。本来の設置された電柱と電柱の間、少しおかしな位置ではあるが左右をずらせば気づかれることは無いだろう。そう、思っていた。
一度振り返った色無君が再び歩き出す。街中を抜け住宅街に差し掛かる手前、社会人の姿さえ見えなくなった頃。歩みを止めず、彼は振り返った。
「あのさぁ……僕、朝にこの道の写真を撮っているんだよねぇ。そこの角からこの看板まで、電柱は三本しかないんだけどぉ……。――増えた一本、何なんだろうねぇ?」
しかも見ちゃった、電柱が一本動いているの。
にこりと笑って彼は
宣う。あ、これは、もしかしなくてもやばいのでは?
帰り道を真っ直ぐ歩いていた色無君がくるりと向きを変えて逆方向へ歩き出す、それをただ見ていればよかったのに。私はつい、ついいつもの癖で釣られて動く、動いてしまった。
「あは、見ーつっけた」
楽しそうに、彼が笑った。これはまずい、逃げなければ、一度逃げれば本物の電柱と私が擬態した電柱を見分ける
術は無くなる。今日は駄目でも
明日、
明後日、正体がバレなければ機会はあるのだから!
持ち前の機動力を発揮して逃げる、逃げる。ふと後ろを見れば色無君、走って、私は追われている? どうしてこうなった!
結局住宅街の一部で逃走劇を繰り広げ、午後七時を回り空が夜の気配を一層濃くした頃、公園の電柱に擬態したのを気づかれず色無君を振り切った。ひとまずは安心だ。さて、明日からはどうしたものか。何か対策を練らねばならない。
だが色無君に追われるだなんて、とても貴重な体験ではなかろうか。そうは思わないか、塀の上の猫ちゃん。「にゃあ」と可愛いお返事をありがとう。最寄りの駅で擬態を解いて帰路に就く、今夜は対策を考えるため徹夜になりそうだ。だが私は今とても幸せだ、きっと
明日も良いことがあるだろう。
P.S. 本日をもって、書き連ねてきたこの観察記を一度辞めようと思う。理由はいろいろとあるのだが、またいずれ再開する日が来るかもしれない、来ないかもしれない。これより先の出来事は私の胸に留めておく。
機会があれば、書き
綴ることもあるだろう。そのときが来るまで観察記は大事に保管しておくこととする。
(P.18)