優しさ、易しさ、謂ふならば 1/4 


「へえ?」


 思わず記録の手を止めてコート上を食い入るように見つめる。
 涼ちゃんと対峙した火神くんは涼ちゃんのすぐそばにいたテツくんにパス、涼ちゃんは立ち尽くすことしかできていなかった。そしてテツくんはそれを四十五度近くも方向を変えて火神くんにボールを戻す。不意打ちを食らった涼ちゃんは、ブロックする間も無く火神くんの得点を許した。


「結構やるじゃん?」


 もっとつたない連携になるかと思っていたけれど、どうやら二人の実力は想像以上だったらしい。
 その次、同じ手は食らうまいと身構えた涼ちゃんにテツくんはパス先を火神くんから主将キャプテンへと変更。その判断は正しく、彼の手から放たれた安定したボールは危なげなくネットにその身をくぐらせた。


「ナイスショットです!」


 ヒュウと吹いた口笛は機械音に掻き消されて誰の耳にも届かず空気に溶け込んだ。ちらりとうかがった海常選手の焦燥の表情に小さく笑う。もう彼らに誠凛が格下という意識は微塵みじんも無いはずだ。


「黄瀬君は強いです。ボクはおろか、火神君でも歯が立たない。けど、力を合わせれば……二人でなら戦える」
「……やっぱ黒子っち変わったっスね。帝光時代にこんなバスケはなかった」


 静かな体育館に涼ちゃんの声だけが反響する。
 帝光がほとんど個人プレーだったからこそ僕たちはのびのびと自分自身のスタイルを確立できたし、一人で闘う力だって身に着けられた。……ああ、別に今のチームプレーが嫌なわけじゃないよぉ? むしろ大切だってことは理解しているつもり。僕の好み云々うんぬんは置いておいてねェ。
 才能にあふれた涼ちゃんたちが成長していくなかで、テツくんはどうしても仲間に頼らなくてはならない。そんな彼だからこその最良の選択は、仲間を生かすプレーをすることだ。使えるものは最大限使わないと! でしょぉ? ……まァ、そんな風に考えていなくても、テツくんの性格的に個人プレーは好きじゃないと思うけどぉ。


「……けど、そっちもオレを止められない! そして勝つのはオレっスよ……!」


 涼ちゃんの鋭く長い目はテツくんと火神くんの二人だけを映す。二人は気迫に満ちている彼ただ一人を真っ直ぐ見据える。僕はそんな三人を眼鏡越しに収めた。
 あの飴の粘っこい甘さがまだ喉に引っ付いて取れない。


「黒子っちの連携をお返しすんのはできないっスけど……黒子っちが四十分フルにたない以上、結局後半ジリ貧になるだけじゃないスか!」


 柔らかなパスを涼ちゃんは片手で受け止めた。彼が「そうでもねーぜ」と不敵に笑う火神くんを視界から外して走りだそうと足を踏み込もうとした時、彼の進行方向にテツくんがバッシュの甲高い音を鳴らして立ち塞がった。
 コートの外で見ていた海常の部員たちは心の声を抑えるわけでもなく、「相手になるわけねー!」と失礼すなおな感想を漏らす。しかしこれに関しては別に『誠凛を舐めないでよねぇ』なんて言うつもりも、ギフトを贈ってやる必要もない。実際、相手になるわけないしぃ。
 ――けれど、これでいい。
 手もとのバインダーに視線を落とし、バックチップに成功したであろう音や声を聞いて一足早く誠凛側のスコア記録を書き加えたところで、無事その通りに得点が入った。


「おー!! もうほとんど点差互角じゃん!」
「いけるんじゃね!?」
「いけいけ誠凛!」
「……喜ぶのはまだ早いと思うよ。降旗くん、河原くん、福田くん」
「えッ? だってあの海常にこんなに食らいついてるし……」
「たしかに第二クォーターの現在、ほとんど互角に競り合えているね。けれど僕がさっき言ったこと忘れちゃった……?」
「さっき言ったこと?」
「テツくんを抜かないといけない時は刻々と迫っているんだよ」


 激しい攻防が繰り広げられるコートを背にして同級生三人にゆっくりとそう言うと三人は顔を一気に青くした。


「たしか短くて一クォーターと少し、長くて二クォーター丸々引っ込めなくちゃって言って……エッ、もうその時じゃね!?」
「テツくんと火神くんの連携攻撃が波に乗ってきたところだけど、正直そんなことを言っていられないほどにミスディレクションの効力は弱まっているよ。先あちらのエースと思いっきり対峙したから余計にね」
「そんな……」
「今の誠凛の攻撃の要が火神くんとテツくんの連携である以上、それを欠いたらまたじわじわと点差が生まれてくるってところまでは大丈夫?」
「うん……」
「だからテツくんが引っ込むまでに本当は海常のスコアを1点でも追い越したいっていうのが今の状況かな。同点でもないこの状況ではまだ全然喜んでいられないし、油断は1ミリメートルもできない」


 三人から視線を外して再びコートへと体を向けると、ちょうど火神くんがテツくんの頭を支えにして涼ちゃんの3点狙いのシュートを勢いよく弾き飛ばしたところだった。
 いつ引っ込めるか、という微妙かつ重大なタイミングを見計るためにしきりに眼球を動かす。眼鏡のレンズ越しに処理していくコート上のあらゆる情報は脳を焼いてしまいそうだった。
 ……このペースで上手くいけば1点でもリードできるところまで持っていける? いや、あっちもそう何度も引っ掛かるほど愚鈍ぐどんじゃないか。第一、二人の連携も想像より形になっているというだけで決して洗練されているわけじゃないからなァ。


「い、色無がすっげー難しい顔してる……」


 ったり前だろーが。ぼそりと怯えたように言った降旗くんに心の中だけで言葉を返した。二年生の、試合でのデータが著しく少ないせいでテツくんが抜けた後の予想が立てづらい。


「行くぞ! 速攻!!」


 ボールを持った火神くんがゴールに向かって走りだす。追い抜かれた涼ちゃんは舌打ちを一つして火神くんを追おうと勢いのまま方向転換をした。涼ちゃんの長い腕はその体に合わせて宙を裂くように付き従う。バインダーに視線を落とそうとして不意に水色が視界をかすめた。
 ――おい待て、そこには火神の土台になっていたテ


「涼、止まれッ!!」


 持っていたバインダーのことなど忘れ、精一杯の声で叫ぶ。広い体育館でどの音をもその声は捻じ伏せ、突然の事にギャラリーは一瞬で静まり返った。ギャラリーに限らずコート上の選手たちもピタリと動きが止まる。それでも涼ちゃんがすでに振っていた腕は咄嗟とっさに静止できるはずもなく。
 投げつけるように叫んだ声がいまだかすかに反響するなかで次に聞こえたのはテツくんが体育館の床に尻餅をついた鈍い音と、僕のバインダーとボールペンが落ちた軽い音だった。


「レフェリータイム!!」


 ……このタイミングで、かァ。


(P.23)



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