美しいこの世界を泳ぎだす 1/3
四月の頭、校門から校舎へと続く
煉瓦の道を新入生は慣れない様子で踏みしめる。創設二年目という新設校――私立
誠凛高等学校は晴天のこの日、入学式を迎えた。桜の
蕾は柔らかに
綻び、新入生の入学を祝うかのように淡く可愛らしい
花弁をはらはらと落とす。
そんな春らしい趣がある光景も、この状況ではどうにも楽しむことはできそうにない。
目の前に広がっているのははるか先まで部活動勧誘、部活動勧誘、部活動勧誘。多くの新入生が足止めをくらってまともに進めない状況にあるなかでそれは当然僕も例外ではなく、学校指定のスクールバッグに無賃乗車した
花弁を払い落とした男子生徒は新入部員の確保に必死な先輩方の荒波に飲まれてしまうのです。
――なーんて、
あっは、気持ち悪いねぇ。あー……勧誘なんてどうでもいいからさっさと通してほしいなァ。どうせオリエンテーションで部活動紹介があるんだろーしぃ。たかだかフライヤーの一枚二枚貰ったところで興味なんて湧かないっての。
くしゃりと握りしめた登山部のフライヤーを
最寄りのごみ箱に投げ捨てる。人の波を抜け、ようやく辿り着いた掲示板で目的の部活動を探すと、それは野球部とアメリカンフットボール部の間にスペースが設けられていた。
そう、僕は男子バスケットボール部に入ろうと思います! ……って言ってもマネージャーなんだけどぉ。中学では普通に選手としてやっていて、そこそこ優秀な選手だったと思う。というかこの学校、ちゃんとマネージャーもあるよねぇ?
そんなことを考えながら歩いていると、簡素なイラストと共に『男子バスケットボール』という文字が並ぶ手書きのポスターを貼り付けられた長机が見えた。『第一印象が大事っスよ!』……なんて、あいつがここにいたら言うんだろうなァ。いい
面を見せたいわけだし、モデルの意見には従っておこうか。
「恐れ入ります。男子バスケットボール部はここで合っていますか?」
人当たりの好い笑顔を貼り付けてから、退屈そうに机番をしている先輩に声を掛ける。僕に気づいた二人はパッと顔を明るくして僕に椅子に座るよう促した。「ありがとうございます」という言葉に会釈程度のお辞儀も付けてから安っぽいパイプ椅子に手を伸ばす。
掌に触れた金属部分、朗らかな陽射しを受けていたはずのその銀色は、
花弁を舞わす春風に当てられていたからか金属らしい冷たさを僕に押し付けてきた。
特に不快に思うことなくそれを受け入れる。パイプ椅子程度の、中が空洞になっている細い金属では僕の熱を奪いきることなど到底できずにそれはすぐにぬるくなった。
ここは舗装された
煉瓦の道だ。会議室や体育館などではない。このまま椅子を引けば、ガリガリという音とともにパイプ椅子には無数の傷がつくだろう。
少し
煩わしかったものの、気持ち程度に地面から浮かせて常よりも慎重に椅子を引く。しかしそんな僕の気遣いをいらないとでも言うかのように、腰掛けたその椅子はパイプ椅子特有のミシリという稚拙な悲鳴を上げた。
顔に『歓迎』という文字すら書いてありそうな目の前の男女の先輩とは対照的に、ここにやってきた新入生を文句無しに受け入れるはずのこのパイプ椅子だけが僕の入部を拒んでいるように思えて、その愉快さに表向きは愛敬があるように見えているはずの笑みを深める。
座るとすぐに男の先輩によって、女の先輩が持つペーパーカップにトクトクと透き通った黄緑が慎重に注がれる。数秒の
後、七割ほど満たされたそれは入部届と書かれたプリントに添えられて僕の目の前に置かれた。
「知ってると思うけど、
誠凛はまだ二年目の新設校なの。キミは運動とか今までに……いえ、どうでもいいわね。ともかく、キミも頑張ればレギュラーだって夢じゃないわ」
レギュラー。それは通常なら一年生がそうホイホイとなれるものではない。しかし新設の学校となれば部員が多くはないことなど容易に想像がつく。先輩の落ち着いた表情からも、間に合わせの嘘を吐いているわけではなさそうだ。
とは言え、わざわざ面と向かってはっきり言われると、これは僕たち新入生を本入部させるための甘い策略であるようにも感じる。『嘘ではないのだから』なんて考えているのかもしれない。
使える餌は使う、なんて言うと少し聞こえが悪いかもしれないけれど、勧誘なんだしほかの部活動よりもいい条件を提示するのは当たり前のことだ。しかし僕にとってその餌はほとんど無意味に等しかった。
「……申し訳ありません。選手ではなくマネージャーになりたいのですが」
「え?」
同じ入部は入部でも選手志望じゃない。そんな僕にレギュラー
云々言われたって、僕にできるのは申し訳なさそうな表情を浮かべることくらいだ。
「あ、もしかして募集していませんか……? それなら僕は」
「え、いや、募集はしてるけど!」
選手しか選択肢が無いのならもうここに用は無い。今しか仮入部手続きができないわけではないのだ。夏になるか秋になるか、それともまた春を迎えるか――選手をやりたくなった時にでも入部届を貰えば済むだけのこと。
そう思って立ち上がろうとすると、焦った声とともに力強く肩を上から押さえつけられて再びパイプ椅子が
啼いた。
随分と乱暴だねぇ……?
勢いよく椅子に座らされる羽目になったからか、その音は先ほどよりも大きく鈍い。『その男を引き留めるな!』そう彼女に対して強く警告をしているのかもしれない。僕は別に危害を加えに来たわけじゃないんだけどぉ。
なァんて被害妄想はここらへんで打ち切って、先輩二人とたわいない話をしながら用紙を埋めていく。備考欄……どんなことを書けばいいんだろ。とりあえずマネージャー希望とだけでいいかなぁ。
「えーっと……?
色無君? 本当に選手じゃなくていいのね……?」
「ええ、微力ですが皆さんをサポートさせていただきたいなと」
「そ、そう」
「では、よろしくお願いします」
部活動名、クラス、学籍番号、名前、備考の五つの欄すべてを埋め終わったため今度こそ席を立つ。「失礼します」と最後にはきちんと初めと同じスマイルを浮かべたから第一印象は悪くなかった、というかむしろ普通に良かったはず。
――うん、僕ってばやればできるじゃん?
(P.2)