狼はどの物語でも救われない 1/4 


 キュッキュッとバッシュの甲高い音が体育館に響き渡る。それはまるで小鳥が首を絞められながらも懸命に歌っている声のように思えた。新設校のほとんど傷がついていないウレタン塗装の床にみんなが汗水を垂らしているなか、僕はコートの外でわずかにかいていた汗が冷えていくのを感じながらただ突っ立って記録をつけていくだけだ。


「……嗚呼、腹が立つ」


 シャープペンシルの芯がバインダーに挟まれたコピー用紙の上でパキリと折れる。コート内では火神くんが伊月先輩を切り返しで抜いて乱暴にダンクを決めたところだった。技術と呼ぶにはあまりに稚拙すぎる身体能力任せな技でも、できるに越したことはない。けれど今の彼を表すぴったりの言葉が日本語にもあったような――。何だったかなァ、と一拍。


「……『馬鹿の一つ覚え』だ」


 まァ、正式ではないけれど指導者カントクのもとでプレーができるのだから、細かいことは今から身に着けていけばいいよねぇ。もしこれから先も力任せなプレーしかしようとしないのなら、そのときは暗証の禅師ぜんじだと嘲ってやればいい。それともアメリカ育ちらしい彼には能無し楽士のほうが伝わるかなァ。『He is a bad musician that can sing but one song.一つの歌しか歌えぬ者は能無し楽士』なァーんて、一体誰が言いだしたんだか。
 彼が手を離した後、いまだぐらぐらと揺れているリングから逃げるように紙面に視線をらす。一体いつからバスケをしていないんだっけ、と考えだした頭をふるふると振って余計な思考を払った。


「……下手になっていないといいんだけどなァ」


 小さく溢した言葉はカントクの集合の号令に被さって誰の耳にも入りはしない。体育館の中央に立った彼女のもとへほかの部員たち同様大人しく集まると、彼女は海常かいじょう高校との練習試合の決定を口にした。


「海常は今年、キセキの世代の一人、黄瀬きせ涼太りょうたを獲得したトコよ」


 練習試合。相手は自分たちよりも格上の海常高校。そしてさらにキセキの世代とまでくれば当然一同にざわめきが起こる。海常高校といえば神奈川県の強豪校だ。
 涼ちゃんってば案外遠くまで行っていたんだねぇ。一人暮らしかなァ?


「しかも黄瀬ってモデルやってるらしいぞ」
「マジ!? すげー!」
「かっこよくてバスケ上手いとかヒドくね?」


 たしかに涼ちゃんは男の僕から見ても、いや、誰から見ても“イケメン”ってやつだよねぇ。うーん……正統派って感じぃ? 世の中には顔立ちが整った人はごまんといて、美の感じ方は人それぞれだけれど涼ちゃんの顔は誰が見ても端正だと判断をするはず。特に本人を目の前にしたら……ねェ? あれは僕もずるいと思うよぉ?
 全体的な配置はもちろんのこと、睫毛まつげは長く鼻筋だって通っていて体格にも恵まれているしぃ。日本人の顔から外れてはいないけれど、あれはさかのぼれば絶対にどこかで東亜以外の血が入っているよなァ。……うっわ、何が好きで男の顔を称賛しないといけないんだか。


「けれど、誠凛ここには美人カントクがいるじゃないですか」


 だからといって何になるというわけでもないけどねェ? 「他校生から見たら凄く羨ましいことだと思いますよ」と付け加えてから、下がってきていた眼鏡を人差し指の付け根の背で上げて彼女の方へと向き直る。
 おそらく地毛なのだと思われる髪は虹彩こうさいと同じ栗色で、どちらもブラウンカラーによく見られる濁りも無く綺麗と言える。アーモンドアイはきつい印象を与えがちなものの、彼女のそれは丸みが強いからか全体的に明朗な印象を与えている。首辺りで揃えた髪とシンプルにまとめた前髪は顔立ちによく合っていて、仮に彼女を好みではないと言う人が現れたとしても、髪を伸ばし前髪を重たく垂らすだけでころりと意見を変えるだろう。
 彼女の顔をまじまじと見ながら思ったことを並べ立てていく。


「先輩方もそう思いませんか。ほら、ギャラリーの女の子たちよりも断然――」


 そこまで言ったところでふと違和感に気がつく。僕の手を取って肩を外してやろうと言わんばかりにぶんぶんと振っている彼女のことは一旦置いておいて、改めて体育館を見渡した。……待って、どうしてこんなにギャラリーがいるわけぇ?
 もしかして、とかつて試合会場などでよく見たような光景――一目で浮かれ立っていることがわかる女の子だらけのギャラリーの視線の先を追う。案の定見慣れた発色のいいブロンドがそこにはあった。


「……うわァ、やっぱり」
「色無君?」
「あー……申し訳ありません、僕そういえば担任に呼ばれているんでした。すぐに戻りますので」
「えっ、ちょっ……!」


 カントクに握られていた手をやんわりと離し、金髪頭がサインやら握手やらに集中していてこちらに気がつきそうもないのをいいことに体育館を抜け出す。そこそこ握力が強かったことを意外とは思えない自分がいて、思わず乾いた笑いを漏らした。テツくんにアイコンタクトをしたら頷いてくれたからきっと上手くやってくれるはずだ。
 体育館を出たら人工の光とは違う優しい空色が広がっていて、まだ四月だというのに少し暑かった。


「そういえば僕、みんなの進学先を知らないなぁ」


 んーま、興味無いんですけど。
 ……ああ、でも征くんが京都へ行ったっていうのは聞いたなぁ。たしかあっちの別邸から通っているんだっけ。うん、征くんらしい学校を選んだと思うよぉ? 今度京都でしか買えないものでも送ってもらおうか。僕のために足になってくれる征くんって、考えるだけでも最高だと思わない?
 そのほかのみんなは……そのうち勝手に耳に入ってくるよねぇ。今日みたいにさ。
 おっと、もっと関心を持てとか、さとす真似はしないでよぉ? 興醒めだ。


(P.12)



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