宙吊りの期待を殺したくないんです 1/4 


「ちょっとパン買ってきて」


 日曜日の練習試合から一日経った月曜日の昼休み。三時間目の数学Aの最中にリコ先輩からEメールが届いた。彼女はこうして授業中にEメールを送ってくることが多いけれど授業の方は大丈夫なのだろうか。いや、勉強は問題なさそうだし要領がいい人なのかもしれない。
 そうしてEメールで伝えられた一年生の招集に従って二年生の教室が並ぶ廊下へと行くと、まさかのパシリ発言を頂いたのだった。
 呆ける僕たち一年生を前に明るくその言葉を放ったリコ先輩は“幻のパン”なるものを説明しだす。
 興味は持てないなァ、なんてキャビア、トリュフ、フォアグラが乗せられているらしいカツレツのサンドウィッチの話を聞きながら早く解放してくれないかと願った。
 ちょうど朝食がパン・ド・カンパーニュを使ったロックスや海老のサンドウィッチとスープ・ア・ラ・ペイザンヌだったのだ。きっと昨晩「しばらく畜肉は控えてくれるかい」なんて言ったから野菜や魚介を中心にしてくれたのだと思う。フランスの田舎料理も悪くない。
 普通のパンと違って精製度の高くない小麦粉やライ麦粉を使ったそれは、見た目も味も素朴で少し酸味がある。ナッツやらオレンジピールが入っているほうが好きだけれどサンドウィッチだから具材の味を壊さないように普通のものにしたのかもしれない。スープに合っていて良かったと思う。
 コンソメを使わず野菜の味だけで作られたスープは優しく自然な味がして、それでもつまらなくなかったから丁寧な調理が見えるようで嬉しかった。
 僕の急なわがままにも対応してくれるし、日々の礼も兼ねて久しぶりに何かを贈るのもいいかもしれない。
 あっは、これからもわがままは続けていくつもりだけどぉ。僕の体を作っていけるんだから感謝してよねェ?


「ほい! 色無に預けとくわ」
「……茶封筒?」
「金はもちろん二年生(オレら)が出す。ついでにみんなの昼飯も買ってきて」
「ああ、お金ですか……」


 日向先輩から手渡されたこれにはどうやら現金が入っているらしい。昨日きのうの所持金は合計で二十一円だったのに、一つ二千八百円するらしいそれを買えるだけの金額が入っているかは少し不安なところだ。


「ただし失敗したら……」


 日向先輩は笑顔なのにゴゴゴと効果音がつきそうな雰囲気を醸し出した。降旗くんが生唾を呑む音が聞こえる。日向先輩は「釣りはいらねーよ? 今後筋トレとフットワークが三倍になるだけだ」と静かに続けた。


「怖ェェ……」
「お昼の買い出し勝負所(クラッチタイム)!?」


 どうやら失敗しても僕には被害が降りかからないらしい。安心だねぇ、なんて思いながら茶封筒に目を落としていると、テツくんが無表情のままそっと足を踏んできた。は、と驚いているうちにぐりぐりと彼の体重が僕の爪先に乗ってくる。
 テツくん、待、ねぇちょっと待って。


「いッたぁ!」
「お!? どうした色無……!?」


 薄っぺらい上履き程度では到底僕の足を守り切れるはずもなく、彼が一気に掛けてきた体重に骨が痛んだ。「痛いじゃんかテツくん!」彼の両頬を片手で掴む。


「キミが余裕そうにしているからイラッとしました」
「被害が無いってわかったら誰でも安心すると思」
「キミが余裕そうにしているからイラッとしました」
「二回も言う必要ない!」


 掴んでいながらももにょもにょと上手に話す彼から手を離して、彼の爪先に足を落とす。「色無が怒ってる……」なんて誰かの驚く声が聞こえた。


「っつ……雫君め、踏みましたね」
「黒子も怒ってる……」
「何さ、先に踏んできたのはそっちだよ」


 ふい、と彼から顔をらして二年生の廊下を一足先に後にする。階段をくだりながら、混雑を『ちょっとだけ』なんて言ったリコ先輩に日向先輩が見せた呆れたような表情と、水戸部先輩の終始不安そうな様子を思い出して足を早めた。
 にしてもテツくんってば、結構本気で踏んできたしぃ。……そもそもどうして僕がパシられなくちゃいけないわけぇ?


(P.33)



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