静物のこころは怒り 5/7
雪辱戦なんて、帝光中学校にいれば嫌でも多く経験した。僕たちはその一戦一戦すべてで持論を振りかざしては慈悲も残さず蹴散らしたのだ。
しかし今コートに立っている先輩は、あの頃の僕たちとは異なり雪辱戦を遂げる立場だった。
古武術を基本動作に取り入れた正邦高校相手に序盤こそ12−0まで離されたが、火神くんのダンクに始まって、第一クォーターはなんとか同点で終えることができた。しかしディフェンスだけなら涼ちゃんにも匹敵する津川くんにぴったりと張り付かれた火神くんの過剰な消耗や四つ溜まってしまったファウルで、第二クォーター中盤には彼を下げざるを得なくなってしまった。それに伴うテツくんの交代で、現在コート上に立っているのは全員二年生だ。
テツくんのパスを生かして火神くんを筆頭に攻める今までのプレーもたしかに強いが、
主将のアウトサイドシュートと水戸部先輩のフックシュートを軸にしたチームオフェンスは安定した強さを感じることができる。
火神くんやテツくんのようなズバ抜けた新入生がいなかったら、その型で今年は勝ち進んでいくつもりだったのだろう。彼らのチームとしての動きには相当な練習量が
窺える。
「食らいついては……いますが」
「……やっぱそーよね」
第四クォーターもすでに四分が経っている。観客たちは三大王者に負けていない誠凛高校に驚き、隣のコートで行われている秀徳高校の安全な試合よりもこちらに注目が集まっているが、やはりあと一歩力が及ばない。その一歩は時間が経つほど二歩三歩と緩やかに離されてゆくだろう。
記録用紙に視線を落としながらどうしたものかと考えていると、不意に「とぉ、はっ、ん!?」と不思議な声が迫ってきて顔を上げる。「んぎゃーー!」……い!?
眼前まで迫っていた何かを反射的に
避ける。横目で見えたその何かが小金井先輩だと気づいた時にはベンチを乗り越えて倒れてしまっていた。
巻き込まれるところだった、と息をつくも「わぁあ、目ぇ回してる!?」というカントクの声で心配するところを間違えたことに小さく笑う。そうだよねェ、倒れた人を気遣うのが先でした。
「交代しかないかも……」
「じゃあオレを出してくれ! ……ださい!」
「何言ってんだ。オマエは駄目だ」
タイマーを見ると、残りは五分を切っていた。6点差で誠凛高校が負けている。これがただのチームなら良かったが、ディフェンスに特化したチームを相手に6点を取り戻すだけではなく、1点でも越さなければならないというのは容易ではない。
また、いつもであれば火神君が入れば攻撃力は格段に増すが、あと一つのファウルで退場というこの状況では大人しくせざるを得ない。火神君の再投入は、言ってしまえば博打だ。しかしその博打を実行できるほど、僕たちは――少なくとも僕は――彼を信頼していない。
大人しいプレーで何本かシュートを決めたとしても、頭に血が上りやすい彼はすぐに津川くんに釣られて五つ目のファウルを取ってしまうはずで、それは誠凛にとっては致命的ダメージとなる。
「四ファウルの人はすっこんでてください」
べちっ、と乱暴に肌が重なる音が鳴った。見ると、テツくんが
掌で火神くんの顔を抑えつけている。しかしすぐに火神くんはその手から逃れてテツくんの頭部をその手で鷲掴みにした。
かなりの握力で握られていることが見ているだけでもわかるが、物怖じもせずに「出ても津川君にファウルしたら即退場じゃないですか」と続けるテツくんは痛くないのだろうか。
「しねーよ! ってかだからオレは津川にも借りがあるんだよ!!」
「じゃあ津川君はボクが代わりに倒しときます」
「ハァ!? 何だよそれ! オマエが倒したって意味ねーだろ!」
言い争う彼らを見ていると、背中に手が触れたのを感じた。そのまま僕の横を通り過ぎていったカントクの背中を目で追って、すぐに準備に移る。
ジャージを脱ぎ、天井へと体を大きく伸ばすと、気道の奥の奥から痺れに似た震えが這い上がってきた。心地好いとも気持ち悪いとも言えないその感覚のなかで、照明の眩しさに目を細める。
「ちょっとちょっと、なーに話進めてんの! 四ファウルの火神君はもちろんだけど、何のために黒子君も下げたのかわかってないわけー?」
観客席を見回すと、すぐに涼ちゃんの姿が目に止まった。あの金髪はよく目立つ。隣の席には笠松さんもいた。そして二人して見事に目を皿のように見開いている。まさか選手として出るとは、とかそこらへんだろう。
この試合は僕にとって全くふざけられるものではないが、みんながカントクやテツくんへと注目している間に涼ちゃんたちへと向けて、くるりとターンをしてから両手でピースを作れば、可愛い子ぶったそれに笠松さんは口もとを引きつらせたものの、
流石に慣れているのか涼ちゃんはただスマートフォンを客席から僕に向けるだけだった。
よおーし今のうちに撮りたまえ〜撮りたまえ〜。この後僕は夜叉の如く怒るかもしれないからねェ! あいつらをぎったんぎったんにしちゃうよォ!
「去年のリベンジってのもあるけど、次の秀徳戦を勝つためなんだからね。ここで黒子君が出て勝ったところで、次の試合で負けるわよ。情けないけど次の試合にも黒子君と火神君の力が必要なの!」
カントクの言葉に、テツくんは「ですが……」と渋る。まさか自分まで却下されるとは思っていなかったのだろう。
設置したビデオカメラで撮った動画の編集は僕がしよう、なんて思いながら涼ちゃんたちへのアピールを止めて振り向けば、タイミングはパーフェクトなようだった。
「
誠凛には実力アリ消耗ゼロがまだいるでしょうが!」
先輩たちの去年の大敗など僕にとっては知らない芸能人の訃報と同じくらいどうでもいい事だが、これは俺にとってもある種雪辱戦であるのだ。
ここで勝ったところで過去は何も変わらない。それでもこの試合に敗れることは今この瞬間の俺にとって到底許せるものではなかった。
向けられたカントクの自信ありげな顔に頷いて一歩前へ出ると、いくつもの双眸が僕に集まったのだった。
「――晴らせる分だけ晴らしてしまいましょうね」
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