侵略が愛した劣情 2/3 


Side:Tetsuya Kuroko

流石さすが帝光一軍だっただけあるわね……」
「あれ? でも色無、スピード落ちてきてる……?」


 雫君はレイアップシュートの体勢に移る。しかし一瞬速かった伊月先輩の伸びた手をけるように一度わずかに下げると、反対側からボールを放った。


「それは当然ですよ、降旗君。常にトップスピードだなんて陸上選手でもできません」
「え? スピード重視の選手じゃないの?」
「あれは単に意表を突くためのものですよ。言ったでしょう? やろうと思えば大抵の優秀な選手ならできる、と。スピードが落ちたというよりも体力のことを考えて落としただけでしょうね」


 ボクのその言葉に、周りは目をぱちくりと瞬かせた後、「騙された」と頭を抱えた。……勝手に誤解していただけで彼は騙すつもりなんて毛頭なかったと思いますけど。
 このことを伝えたらきっと、『ただのスタートダッシュだしィ』なんて言ってカラコロと笑うのだろう。ボクらが海常戦でやったそれと対して変わらない。


「一年坊主一人に負けるわけには、いかないんでねっ……!」


 スリーポイントシュートを打とうとしていた主将キャプテンは、前に立ちふさがった雫君から逃れるために反対側にいた水戸部先輩へとパスを回す。雫君の手が届くよりも早くボールは放られ、リングへと吸い込まれた。


「うーん……流石さすがにトリプルチームはきついですね」


 雫は攻めあぐねているのか、ゴール下で視線を動かす。コート内へと入ったのはそこからさらに数秒経ってからだった。すぐに三人が彼を取り囲む。しかし簡単にボールが二年生に盗まれることはない。
 低い体勢で行われるドリブルは普通のそれよりも自然と速くなる。速度が上がればとりにくくなり、また、位置的にも届きづらい。「やっているこっちの消耗は酷いんだけどねェ……」彼の言葉が思い起こされた。


「でもまあ……こうなることは最初からわかっていたことです、しっ」


 雫君は鋭く左から切り込んだ。先輩たちも負けてはいない。すぐに彼へと付いていく。しかし一瞬の後であることに気がつき、足を止めた。


「――ボール持ってねえ!?」


 目を皿のようにして叫ぶ先輩たちに、雫君は「食べちゃいました」と無邪気な笑みを一つこぼした。
 観戦者からしたらボールを追うのは容易たやすいことではあるが、実際に目の前でやられたら反応するのは難しいだろう。色無雫は一人であるからボールを手放すはずがない、という思い込みもそれを助長する。
 彼は開始直後のように急発進をして先輩たちの壁をけていくと、遠くまで投げられてバウンドしていたボールを再び手中に収めた。見事にフリーの状況を勝ち取った勢いそのまま、猛スピードでリングへと駆けていく。


「せえーーのおッ」


 バッシュの甲高い音。弓なりに沿った白い体。伸ばされた襟足の髪の毛がふわりと空中に漂う。体重を感じさせない跳躍だ。
 それは聖書の一行にも出てきそうな光景だったが、続いたのはガゴンという鈍い音だった。
 勢いを殺し切れなかったのか、リングがギィギィと泣きだす。誰もが口をつぐんでひとときの静寂が訪れた体育館の中で、それは唯一の恒音ひさねだった。
 しばらくゆらゆらとぶら下がっていた雫君が飛び降りた音で再びすべての音が戻る。


「すげえええ! えっえっ色無ダンクできんの!?」
「て、帝光って逆に何ができねえの……」
「ここ日本だよな……? NBAスクールとかじゃないよな……?」


 隣を見ると火神君もほかの一年生同様衝撃を隠せていない表情を浮かべているのを見て思わず笑みが漏れた。『どうですか、凄いでしょう』なんて言えばきっと『何でオマエが得意気なんだ』と返されるに違いない。


「なるほど……。トリプルチームの弱点は必要以上にコートにスペースが生まれてしまうことね。その空白へとボールを放り、再び自分が手にする……。1on5だからこそ、かしら」


 雫君に目を向けると、普段よりわずかに体勢を上げていた。たしかにガタが来やすい体勢であることは知っているが、早すぎるような。……ダンクで消耗しすぎた? いや、彼がそんなヘマをするはずがない。けれど彼にはブランクがあるのも事実で。
 動きが悪い雫君を見ていると、小金井先輩がシュートを決めたところだった。これでスコアは9−10だ。ダンクによって3点離れていた得点は再び1点差へと戻る。


「どうした、黒子?」
「何もありませんけど……?」
「ならいーけどよ」


「しわ寄ってんぞ」と火神君に眉間を押されて、自分が険しい表情をしていたことに気がつく。「気づきませんでした」と言うと火神君は「変なヤツ」とだけ漏らして再びコートへと視線を移した。
 スコアは1点差。それなのにどうしてキミは少しも焦っていないんですか。逃げきれると確信しているからですか。


「残り時間は三十秒……ですか。五分ってあっという間ですね」


 雫君は苦笑を浮かべる。その間にもドリブルをしたまま立ち止まった雫君のボールを奪わんと先輩たちが手を伸ばすが、彼は腕や体の向きを細かく変えてそれを拒む。
 数秒その攻防が続いた後、ボールを手にしたのは後ろに回った小金井先輩だった。まさかこの局面でキミが盗られるなんて、と思わず自分の目を疑ってしまう。けれど彼の表情に変化など無く。頭の中を素手でかき乱されているような感覚がした。
 雫君がわずかに進んだ小金井先輩の前へとすぐに立ち塞がる。小金井先輩は立ち止まりボールを手に持つと、雫君が壁となっていない所へ動いた伊月先輩とアイコンタクトをとった。しかし小金井先輩がパスをするよりも早く、雫君が一歩踏み出して位置を変える。
 残り時間は十秒、キュッキュッと響くバッシュの音だけがこの攻防に許された音だった。
 そして伊月先輩に続き、主将キャプテン、水戸部先輩へのルートも塞がれたその時、不意にパスが通った。パスの先にいたのは土田先輩だ。
 雫君が両者のアイコンタクトを見破ったところでこの攻防における四度目の障壁となるかと思われたが、彼が踏み出すよりワンテンポ早く、ボールは雫君を置いていった。


「土田ァ、決めろ!!」


 主将キャプテンが叫ぶ。すぐに小金井先輩の前から離れた雫君の進行方向に伊月先輩が立ち、行く手を阻んだ。


「行かせないよ、色無」
「…………」


 この絶体絶命の状況下、雫君は一体何を考え、何を思っているのだろうか。無表情の彼からは感情が読み取れない。
 ゴールへと走る土田先輩を雫君はチラリと一瞥いちべつすると、背筋をぐっと伸ばした。……諦めた?
 なぜ、というように伊月先輩の目が見開かれるのと同時に、ネットが摩擦音を生み出す。
 そして雫君がボールを拾いに行くよりも早く、タイマーはゼロを表示した。得点表の赤い文字が示すのは11−10。この試合中、始めて前者が後者を追い抜いた。それは、つまり。


「雫君の、負け……?」


(P.61)



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