爪先立ちのバンジージャンプ 4/4 


Side:Tetsuya Kuroko

「あれ? カントク、色無は?」


 練習が始まる頃、主将キャプテンがきょろきょろと辺りを見回した。いつもならパタパタとせわしなく動いているというのに、どうも姿が見えない。
 けれどモップは掛かっているし、ボールだって出してある。リングも降りているから、準備だけして彼はどこかへと消えたのだ。もしかして昼休みの一件で顔を合わせづらいのだろうか。
 あの後、誰も彼に尋ねようとはしなかった。絵画のように柔和にたたえられた笑みが、それこそ絵画のようにたった一言すら喋ってくれるわけではないことを無言のまま知らせていたからだ。
 主将キャプテンに訊かれたカントクは、一瞬悩むような表情をした後で「フフ」とニヤリと満足げな笑みを浮かべた。


「お・た・の・し・み」


 ぱちん、とウインクを決めたカントクに一同首を傾げる。ここまで上機嫌なのは、海常との練習試合が組めた時以来のことだ。しかし正邦戦の直前に練習試合を組むとも考えづらい。……お楽しみとは一体どういうことなんでしょう。
 答えを見つけられないでいると「きっとそろそろよ」とカントクが口にしたと同時にガラリと男子更衣室の扉が開いた。


「…………雫、君?」


 静かな体育館にボールの落ちる音が一つ。音の方を見るとどうやら伊月先輩がボールを落としたらしい。ボク含め、全員が言葉に詰まるのも仕方がなかった。


「カントク、サイズは大丈夫そうです」


 愛想の良い笑顔を浮かべてカントクへと寄る雫君に、カントクはどうだといわんばかりの得意満面な表情で彼の背中を叩く。その勢いで数歩前に出た雫君が着ていたのは、どういうわけか胸もとにSEIRINの横文字が並んだユニフォームだった。
 白、黒、赤を基調としたそれを白い肌の上にまとう雫君は、呆然としているボクたちに視線を向けると少し恥ずかしそうに小さく微笑んだ。


「みんな! 今日から色無君にも練習に参加してもらうわ!」


 たった一言。簡潔にまとめられたカントクのその言葉に、体育館には絶叫にも似た驚嘆の声が上がる。
 もしかして、カントクに話したいことというのはこれだったのだろうか。てっきり突然様子がおかしくなったことについての説明かと思っていた。ボクには何も教えてくれないのかと彼に踏み込もうとしていた自分を恥じる。
 そうだ、彼は何も語らない。語ってくれるのならば、あの場でとっくに語っているはずだ。


「皆さんには申し訳ありませんが、マネージャーの仕事は今までほどできません。ただ、できる限りのことはしていくつもりです。――改めて、よろしくお願いします」


 雫君が深く頭を下げる。片方だけ伸ばされたサイドの髪の毛がゆらりと揺れた。静寂が訪れた体育館で、彼のつむじを見るのはとても新鮮だ、なんて場違いなことを考えた。


「ちょっ、いろな、……いやマジか!!」
「顔上げろって! むしろ大歓迎だよ!」
「一緒に頑張ろーぜ!」


 先輩たちにぐしゃぐしゃと髪を乱雑に撫でられる雫君の楽しげな表情には裏など少しも読み取れない。心の底からといったようなその笑い声もその綺麗な顔も、光のように眩しく見えて思わず目を細めた。
 ――ああ、けれど彼はこういう時ほどどす黒い何かを煮えたぎらせているのだ。


「ん? 18番って……オレたちよりも下じゃね……?」


 喜色の声が埋まるこの場所に、不意に落とされた河原君の疑問がやけに響いた。
 日本における高校バスケの背番号は原則自由ではあるが、その学校の伝統などが無い限り、学年や実力、入部順などで4番から始まる番号の若い方から順に埋まっていく場合が多い。主将キャプテンが4番を着用する規定なんて無いが、それによってほとんどの学校が主将キャプテンに4番を背負わせているはずだ。
 現にボクら一年生は火神君が10番、ボクが11番、降旗君が12番、福田君が13番、河原君が15番となっている。もし実力だけで判断したのなら一年生は皆一つ番号が下がるだろう。そうでなかったとしても、14番に入ればいい。
 それなのに雫君は本来なら嫌がる人の多いであろう数をとった。――その理由は一つだ。


「一応マネージャー兼任だからね。純粋な選手よりマネージャーが上なんて嫌だと思うし」


 スラスラと形のいい薄い唇からでてきた言葉に思わず眉を寄せる。まるで本当にそうであるかのように少しもつかえることなく騙るものだから、どうしてそんなことができるのかと疑問と嫌悪が水中の汚泥を手でさらったかのように胸の中に広がった。
 キミが18番を選んだ理由は単純だ。――“帝光の時につけていたから”。
 それ以外の理由がボクには見つけることができない。いくら雄弁に理由を語られようと、それは騙り以上にはなり得ない。
 けれど帝光でも何故なぜわざわざ18番を着けていたのかまではボクにもわからない。二軍試合の付き添いとして出るときも、二軍のレギュラーメンバーより番号が大きいものだから本当に一軍なのかと相手には投入の度に笑われていた記憶がある。
 18――何か彼にとって大切な数字なのだろうか。一見強欲なようでバスケ以外に目立って執着をみせない彼が、誠凛に来てもなおわざわざを選び続けるほどの何かが。
 そういえば彼はたしか転入生だ。中学一年生の時、私立である帝光に突然転入生が来たものだから、外見も相まって噂は瞬く間に校内を駆け巡ったのをよく覚えている。
 中学……一年? となると彼は前の学校に一年も在籍しなかったことになる。――彼が一年もいなかった前の学校で、彼に執着を生むような何かがあった? ……いや、流石さすがにボクの考えすぎかもしれない。中学以前の可能性だってあるのだから、考えても答えは出ないだろう。けれど18番を好んで身につけるという点には理由があると考えていいはずだ。


「でも試合に出れんのか? 申し込みだってとっくに……」
「なあに言ってんの! 彼言ってたじゃない。『リハビリも上手くいっていますしそう遠くないうちにバスケができるようになると思うんです』ってね。モチ選手で登録してあるわよ!」


 雫君はマネージャーという立場上、ボクたちよりもカントクと過ごす時間が多い。きっとボクたちの知らないところで話し合っていたのだろう。
 失念していた。目の前で罠を張ってくれるとは限らないのだ。嘘を吐くのがボクが聞いている時だけとは限らないのだ。ボクが知ることができるのは彼が仕掛けたもののうちのきっと一割にも満たない。


「では僕はまた着替えてきます。サイズも大丈夫でしたし練習を始めましょう、カントク」
「え〜? もう着替えちゃうの? せっかくのお披露目だってのに〜」


 笑いながら「もうちょっと着てなさいよ」と言うカントクを見て、ボクが思考の海を泳いでいる間に随分と話が進んだらしいことを知った。一人だけユニフォームを着ているととても目立っている。


「さ、まずは我らがバスケ部の優秀なマネージャーくんの実力、見せてもらおうかしら?」


 ニンマリと頬の筋肉を上げたカントクに、雫君は短く「ええ」とだけ返した。それはあまりに淡泊すぎるように聞こえたが、約二年間彼と付き合っていてようやくわかるほどわずかに愉しげな色が溶け込んでいて、つられるようにボクの口もとも緩んでしまう。
 ああ、ようやくボクが憧れた、色無雫のバスケが見られる。
 それだけで先ほどまでの重たい思考は霧が晴れたように無くなり、その代わりにとでもいうように、襟もとから冬の早朝のような静かな興奮が心臓を押し潰さんと湧き上がってきた。




〈1がつ16にち はれ〉
きょうはとくべつなひです。おとうさんとおかあさんからにきちょうをもらった。
おとうさんは“まいにちかいてしばしばふりかえりなさい”だって。しばしばっておもしろくきこえる!
おかあさんは“にほんごのおべんきょうにもなるわ”だって。
ぼくはきょうからかきます。ありがとう。

(中略)

〈1がつ20にち はれ〉
ぼくのねんれいのばあい、まわりのこはよちえんとかほいくえんってところにいってるってせんせいにおしえられた。ぼくはべんきょうをするからたくさんそとにでたことがないけれど。
どんなことをするのかきいたらどろでだんごをつくるって! どろがだんごになるなんてふしぎだ。どんなあじ?
おかあさんにつくりたいきもちをつたえた。“よごれるからだめよ”っていわれた。よごれてでもたべたいくらいおいしいですか? きっとおかあさんはぼくがどろのだんごにむちゅうになってくっくのごはんがたべられなくなるのをふせいでいる。

(中略)

〈1がつ27にち くもりたまにあめ〉
おとうさんとおかあさんにつれていかれたばしょでおとこのこにあった。
かみのけとめがるびーよりもきれいなあかいろ。うらやましい。
えのぐでぬるのかな。だけどえのぐはえをかくものだからよごれるとおもう。きれいなままいろがほしい。
なまえがながかったからせーくんってよぶことにした。
わかった! にゅうよくざい! おふろだからきれいだよ。
ぼくはよちえんにいっていないからせーくんがはじめてのともだちっていったらかれもはじめてなんだって。どろのだんごについておしえたらおどろいていた。いっしょにつくろうってやくそくした。
ぼくはまだじょずににほんごをはなせないからはなすのがたいへんだった。そしたらせーくんはおそくはなしてくれたからやさしい。ぼくのべんきょうがたりないのにおこらない。
ありがとう。ごめんなさい。つぎあうときはもっとじょずになるから。

(中略)

〈2がつ2にち くもりたまにはれ〉
おかあさんに“かわいくない”っていわれた。ぼくはおんなのこじゃないからかわいくなくていいけど、かわいくないときらいみたい。ぼくはきらわれてもいいけど、“きらわれることはしちゃいけないの”っていわれた。でもぼくをすきになるのはひとをみるめがないから、ぼくはにがてだ。
かんがえた。やっぱりきらわれたほうがいいとおもう。
そうしたら“ひとはあいがなくちゃいきられないわ”っていわれた。きらわれてるとあいをもらえないらしい。
かんがえた。ぼくはぼくのなまえにあいをあげることにした。これでぼくはひとからきらわれたままでもあいをもっていられる?
みらい、だれかにすきになってもらってもいいとおもったらこのあいをすてるよ。
そしてそのひとからあいをたくさんもらおう。



(少年i 筆『DIARY』)





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黒子のバスケは2009年の話ですが、学生バスケについての規定は現在までに改訂されているものが数多くあります。しかし2009年時の規定を調査するのは困難なため、2018年現在のものを適用しております。(連載に伴い、新たに書く話は2018年のものから更新される場合がございます)作品の時系列とは異なりますが、ご了承くださいませ。
例としてユニフォームの規定が挙げられます。2009年時は4番からの連番という決まりであり、インターハイでは選手の登録は十二人までなので着用可能は4〜15番のみ、ウィンターカップでは十五人までなので4〜18番のみとなりますが、2017年からは背番号が自由化されていますので、0番や50番を背負う選手も存在します。
しかし先述した通り、当作品では学生バスケの規定を現在のもので統一させていただきますので、2009年時実際には存在しないはずのインターハイでの18番の番号を主人公が着用することになります。
ご理解のほどよろしくお願い致します。



(P.59)



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