宙吊りの期待を殺したくないんです 2/4 


Side:Tetsuya Kuroko

「……いいのか? 色無行っちまったけど」


 雫君が去っていった方向を見て、火神君がボクの機嫌をうかがうかのように尋ねてきた。
 誠凛に来てから雫君が声を荒げたことなんて昨日きのうの練習試合でボクが怪我をする寸前に黄瀬君を止めようとしたわずか一回きりで、怒ったわけではない。ボクも怒ったことなんて無いから戸惑っているんでしょうか。


「別に大丈夫ですよ」
「あれ? オマエ案外機嫌悪そうじゃないのな」
「それはきっと雫君もです」
「いや、あれ完全に怒ってただろ……」


 半目で「普段のアイツと全然違ったじゃねーか」と言う彼に「本当に大丈夫ですよ」と返せば、意味がわからないとでも言うように片方の眉に力が込もった。


「ただのじゃれ合いです。帝光の時もちょくちょくこういう事はありましたし、彼が本気で怒ったらボクのことをテツくんだなんて可愛らしい呼び方はしませんから」
「……そうなのか?」
「ほら、黄瀬君のことを『涼ちゃん』って呼んでいたのに対して、ボクが怪我する寸前には焦って『涼』になっていたでしょう?」


 火神君にもわかりやすいように実例を挙げる。すると小金井先輩が「ああ!」と手を打った。


「あの時オレ近くにいたんだけどさぁ、なんか、こう、凄い剣幕で……グワッて感じで!」
「小金井ー、日本語喋れー」
「いや喋ってるけど!?」
咄嗟とっさに呼び方変わっちゃうほど体を気遣われているんだな」


 伊月先輩がボクの額に目を向ける。ステーキ屋へ行く前に寄った総合病院で診てもらう際、雫君が巻いてくれた包帯も、貼ってくれていた絆創膏も剥がされてしまった。それに一抹の寂しさを覚える。
 まさか彼が手当てをしてくれるとは思わずに少し緊張していただなんて、彼に言ったら『僕が不器用だから失敗するかもって思っているわけぇ?』なんて変に受け取られてしまいそうだから言わない。
 運ぶ時もきっと腰が砕けてしまいそうなほど重かっただろうに、『軽いよ』だなんて変に取り繕うこともなく、まるで『荷物なんだから君じゃなくても重いに決まっている。それを承知でやっているんだ』とでも言うように「普通に重いよ」なんて返してきた彼には参ってしまった。
 そもそも彼はマイナスの言葉をあまり口にすることが無い。彼がボクたちに見せてくれている自己中心的な性格を考えてみれば沢山こぼれてもおかしくはないはずなのに、婉曲的に伝えてくることが多い。
 いつだったか、料理をした桃井さんに告げていた『箸が進む味つけではないみたいだねェ』という言葉には素直に感心してしまった。美味しくとも少量で満足する料理は多くある。
 よく語尾につけるのは『かな』であったり、『思う』であったり、主張するときはよく『僕は』と他人ひとの価値観を曲げようとせず自分の事だけに限ってみたり、クッションが多い。
 そうやってしつけられたのかまではボクにはわからないけど、身に着いている自然なものであることは事実だ。
 にもかかわらず、性格は良くないのだろうとわかるのだから彼の中はどれだけ歪んでいるのかと考えると恐ろしいという言葉では済まされない。性格が悪そうな態度をしてたまに優しさを見せる、だなんて『本当はいい人なんだろう』と思わせそうなものなのに。
 心がハートで描かれるなら、彼のそれはドロドロとしていて一つの形に定まることはない。


「……どうですかね。……まあ、雫君は判りづらい分、人への呼び方で感情を測れるのでどうぞ参考に」
「……ん? 判りづらいか?」
「いつもニコニコしてて人当りいいし、めっちゃ優しいし……」
「時々素直にムッとしてたり、困った顔してたり……。オマエと違って無表情なんてあんま無いから普通に判りやすいと思うけど」


 みんなは顔を見合わせて「なあ?」と確認し合う。雫君は本当に上手だ。何がって、もちろんが。


表面おもてに見せている顔が彼の本心だとは限りませんよ」
「え……?」
「冗談です」
「んだよ黒子、ビビらせんなって」


 火神君は胸を撫で下ろした。そろそろ彼は購買に着いている頃かもしれない。そう思っていると、「あ、ホラ早く行かないと無くなっちゃうぞ」と伊月先輩がボクらを促した。


「大丈夫。去年オレらも買えたし、パン買うだけ……パン……」


 閃いたのか、伊月先輩はハッとして片手サイズのメモ帳を取り出す。普通ハッとなるものかもわからない、誰でも一度は聞いたことがありそうな駄洒落を予想通り言った彼の言葉を遮るようにしてボクらも購買へと足を向けた。


◆ ◇ ◆



「マジなのか……?」


 目の前の光景を見てボクら五人は呆然と立ち尽くすしかない。カントクは「いつもよりちょっとだけ混むのよ」と言っていたけど、どう考えてもいつもの購買と様子が違くないですか、これ。
 人、人、人。もみくちゃという言葉がぴったりと当てはまるその光景に、福田君は「カ、カオスだ……」と声を震わせた。


「とにかく行くしかねー。筋トレ、フットワーク三倍は……死ぬ!」
「よし……まずはオレが行く……! 火神ほどじゃねーがパワーには自信があるぜ!」


 肩を回した河原君は「死ぬなよ!」と、とてもパンを買いに行くだけとは思えない言葉を掛けられて群衆に走っていく。しかし「うおおお」という叫びも虚しく、群衆に入った途端に簡単に弾き返されてしまった。


「歯ァ立たなすぎだろっ!」
「ってゆーかよく見たらこれ……ハンパな力じゃ無理だぞ……」
「……?」
「ラグビー部のフォワード、アメフト部のライン組、相撲にウェイトリフティング……奴らのブロックをかいくぐるのかよ……」


 福田君の言う通り、ガタイのいい人たちがちらほらと群衆の中に混ざっていた。突進していくのは得策じゃないだろう。
 ボクがそう思っていても、火神君は福田君のその言葉で火がついたらしい。「面白れぇ……やってやろーじゃん!」と突っ込んだ彼はしばらく群衆の中に入ろうと闘ったものの、すぐに河原君と同じように弾き返されてしまった。


「This is Japanese lunch time rush!」
「火神ィ……」
「こんな時だけアメリカかぶれかよ……」


 満員電車を彷彿ほうふつとさせるその光景に、ついには「やっぱり全員で行くしかねぇ!」と河原君は拳を握った。


「せいりーん……ファイ!!」
「オオ!!」


 駆け出した三人。ボクも行きますか、と人と人との隙間にそっと身を滑り込ませれば、周りの人たちの前へ行こうとする流れで自然とボクの体も前に進んでいった。


「イベリコ豚カツサンドパン下さい」


 雫君なら『前に出ようとしてもいない、ただ流されただけの人間が先頭に出られるなんて皮肉だねェ』とでも言うかもしれない。そんなことを思いながら注文しても、購買の人もどうやら忙しそうでボクの言葉は届いていないようだった。
 もしかしたらいつもの如くカゲが薄いだけなのかもしれないですが。
 仕方がない、とパンを一つ取って自身の財布から二千八百円を取り出し、カルトンにそれを置いて群衆を縫うように抜け出した。前に進むよりもそっちのほうが難しかったかもしれない。
 元の場所へ戻るとボロボロになって立ち尽くしているみんなの姿があった。火神君に至っては練習ですらあまり見ない尻餅をついている。あの掛け声の後、何回突っ込んだのでしょうか。


「あの……」
「ん?」
「買えましたけど……」
「……なっ、オマ……どうやって!?」


 ありえない、というような様子で火神君がボクの胸ぐらを掴んだ。さっきの様子を説明すれば、彼は言葉も無く固まる。そんなになるほど難しいことじゃなかったような。


「あ、つか、金って?」
「とりあえずは自分の財布から出しましたけど、後で雫君から貰います。おかげで一つしか買えませんでした」
「はい、テツくん」
「雫君」


 声がしたほうを振り向けば、そこには先まで口喧嘩のようなものをしていた相手が立っていた。手渡されたお金をきっちり財布にしまってから彼に向き直る。


「色無、その袋……」
「ああ、うん。買えたよ」
「どうやって……!? まさかオマエも黒子みたいに」
「うん? テツくんがどうやったかは知らないけれど、僕が着いた時にはまだここまで人が多くなかったから」


 それでも戦争と呼ぶに相応ふさわしいこのイベリコ豚カツサンドパンの争奪戦なら授業終了直後から大勢の生徒がいただろう。ましてや呼び出しでボクらは出遅れている。


「足早ぇんだな……」
「すぐ背中見えなくなったしな」
「そんなことないよ。ただみんなが来るのが遅かっただけじゃないかな」
「はは……」


 干からびたような笑いを漏らした三人に、彼は「あ、でもね」と、中身を見せるようにビニール袋を前に出した。


流石さすがに周りの目もあったから、三個しか買っていないんだ。今テツくんが買ってきたものを合わせても四個。まだ五千六百円……二個分のお金が余っているからまだ帰れないよ」
「うげ……」
「頑張ってね」


 がっくしと肩を落とす火神君たちに、雫君は茶封筒を手渡して「見守っているよ」とにこやかに群衆へ送りだした。そして絶賛喧嘩中のボクたち二人だけが取り残される。


「全部買わなかったのってわざとですか?」
「別に」
「怒っているんですか?」
「怒っていないしぃ」


 みんながいなくなった途端にボクから目をらした彼の頬がわかりやすく膨らむ。高校生の男とは思えないその可愛らしい仕草に、指でその頬をつつくと風船のような頬から空気がぷすっと抜けた。
 成功するとは思わずにしばらくその体勢のまま固まっていると雫君はじっとりと睨んできた。怖くない。


「…………」
「…………」


 しばらくの静寂ののち、彼は手に持っていたビニール袋をボクに手渡してきた。そしてボクが大人しく受け取ったのを見ると、ここで待つように指示するなり群衆に溶け込んでいった。


「か、買ってきたぞ黒子……」
「あれ? 色無は?」
「『少しここで待っていて』だそうです」
「おう……?」


(P.34)



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