ヒトツメgoodies 2/4
試合開始早々、バキャリとバスケには似合わない音が体育館に響いた。音の発生源は言わずもがな火神くんの手に握られたそれだ。ティップオフ直前に後ろめたそうにしていたため本当にやってくれるか不安が残っていたものの、実際に壊してみた現在、彼は「リングって思ったよかデケーな」と罪悪感が苛立ちの発散とともにすっかり消えたらしい。
リング代に修理代……いくらするんだろうなァ。まァ、払えないことはないしぃ。ボルトを
錆びたままにしておいた不整備が原因なんだから、請求されても全額こっちがなんてことはないはずだしねェ。
カントクやテツくん、火神くんが向こうの監督に謝罪しているのを横目に見ながら荷物をまとめて移動の準備をする。きっと全面でのプレーに応じてくれるだろう。
バッグに入っていた飴を一つ口に放り込んで、ついでにEメールをチェックする。配信を頼んだ覚えのないEメールマガジンが数件届いているだけで特にこれといったものはなく、すぐに機内モードに戻した。
「色無! モップ掛け手伝ってくれ!」
「あ、はい!」
全面側のリングがゆっくりと降下していくのを目の端で捉えながら、自分を呼んだ海常の控え選手の声に反応して準備していたバッグを下ろす。「僕はもう海常のマネージャーじゃないっつの」と悪態とともに小さな舌打ちを落とした。これで最後にしてよねぇ?
大人しく駆け足で向かっていれば、その
最中すれ違いざまのテツくんに『お疲れ様です』とでも言いたげな目で見られることになった。気に食わない!
◆ ◇ ◆
ホイッスルが試合再開を告げる。一時停止されていたタイマーは自身の労働再開に張り切りも怠けもせず、ただただ正確に一秒、また一秒と時を減らしだした。
涼ちゃんが出てきた時から黄色い声が上がり始めたギャラリーに、海常の
主将による彼へのドロップキックが炸裂したのはつい先ほどの話だ。「シバくぞ!」「もうシバいてるじゃないスか〜」という二人のやり取りには不覚にも少し笑ってしまった。
――やっぱりクイックペースな勝負になったねぇ……。
体育館内にはバッシュのスキール音が絶え間なく響いている。お互い試合前からあれだけ挑発し合っていればこうなることは目に見えていた。
次々と展開される新しい動きや海常の立ち回り、ペラリペラリと
捲られて重なっていくスコアに、マネージャーである僕も記録の手を休めるわけにはいかない。少し目を離しただけで変わってしまうコートの上から目を離すことができずに、自然と文字は日本語の形から離れていった。……カントクに提出する前にまとめておかないとなァ。
ところで、クイックペースなのは見ていて飽きないからいいんだけどさ。
――このままじゃ危ないよォ?
「おや」
文字が生まれなくなった。
まるで土壌中に住んでいることの多い紐状の生物――名前を出さなかったのは涼ちゃんへの優しさということにしておこう――のように見える文字を生み出すことが嫌になったのかと、ボールポイントペン和製略称ボールペンの
口金を回し外す。
インク筒を抜き取れば、彼にとっての血液はすっかり枯渇してしまっていた。とどのつまりインク切れだ。決してミミ……
環形動物門貧毛綱の生物の親になることを拒否して
インク詰まりを起こしたわけではないらしい。しまった。生み出すのなら彼ではなく彼女と言うべきだったか。
仕方なしに手早くペンケースからリフィルの封を破って真新しい血管への移植手術を完了する。
「おお、速い……」
どうやら降旗くんが手術を見学していたらしい。ぽつりと呟いたその言葉に、『ドクター・イロナシは血管移植や輸血を行う頻度が高いんだ』なんてふざけた返答はせずに、「急いで記録を続けないといけないからね」と面白みのない現実を口にする。
移植手術の直後ながら紙上にペン先を滑らせ始めると、僕が性別を誤ったことに
拗ねているかのように少しの間インクが乗らなかった。
閑話休題。
模倣を得意としている涼ちゃん――しかもフィジカルはあっちのほうが上――相手にこれ以上がむしゃらになっても点差をつけることは不可能だ。それどころか、遅くないうちに押され始めることは予想なんてしなくても簡単にわかる。
横目でチラリと見たカントクの頬には暑さからかそれとも焦りからか、じわりと汗が
滲んでいた。
「……タイムアウト、早いけど行ってくるわ」
彼女がスッと立ち上がってタイムアウトの申請へと向かった。どうやらあの汗は冷や汗だったようだねェ、なんて思いながらもドリンクの準備に取り掛かる。
タイマーはまだ開始から五分ほどしか数字を減らしていなかった。
「んーま、勝つのは誠凛だからさァ……」
低く呟いてから、汗だくで戻ってきたみんなに準備したドリンクを手渡す。
とーぜん笑顔は忘れずに、ねェ?
(P.20)