まずは良識の範囲から教えてよ 3/3 


Side:Tetsuya Kuroko

「ああ、もう! イライラするったらないわ!」


 六日前の月曜日の屋上でのようにカントクが仁王立ちで声を荒げた。ほかの部員たちの口からも出てくるのは文句ばかりで、ボク自身海常への印象はあまり良いものとは言えない。
 そんななか火神君は余程試合が楽しみなのか、誰よりも早くジャージを脱ぎ捨てて下に着ていたユニフォームへの着替えを済ませると、設置されていたベンチに座って静かに部員たちの着替えを待っていた雫君の前に壁のように立った。ほとんど黄みを帯びていない白い肌は火神君の影に入って灰色のようにすら見える。


「そろそろ教えてくれんだろ? 色無。イイコトってやつをよ」


 火神君の身長が高いことや雫君がベンチに座っていたこともあって、雫君は火神君を見上げた拍子に天井の真っ白な蛍光灯が目に痛んだらしい。眼鏡の奥の色素の薄い目をつっと細めると、すぐに立ち上がって背中を少し丸めるようにうつむいた。
 彼のホワイトシルバーの虹彩こうさいでは人よりもよく瞳孔が見える。時として瞳孔の形で感情が伝わるからだろうか、そのことを彼自身は不快だと言っていたこともあった。明るさを調整するためか、針のように鋭くなった瞳孔はまるで万人のイメージする爬虫はちゅう類を彷彿ほうふつとさせ、人でないものを見ているような気にさせる。
 仕方のないことではあるが、彼は人よりも少しばかり光に弱い。そのせいか瞳孔が大きく開いているところをほとんど見たことがなかった。瞳孔が大きく広がるだけで彼の顔の印象がまるで違うものになることを知っているのは暗がりで彼を見たことがある者の特権だ。


「イイコト……?」


 続いて着替えを終えた伊月先輩が火神君の言葉に反応した。暑さも苦手だと言っていたから、真夏の体育なんかは彼にとって相当な苦痛だったに違いありませんね、なんてぼんやりと考えながらボクもジャージのボタンを外し始める。


「ああ、もともと火神くんには言うつもりだったし教えるよ」
「……? オレ以外には聞かれたら困るってことか?」


 腕を十字に組んで体をほぐしながら尋ねる火神君に彼は「いや、別に構わないよ」と薄く微笑むと、カントクの「それなら私たちにも教えてくれる?」という言葉にも「ええ」と肯定を落とした。


「僕は先ほどまで海常の手伝いをしていたわけですが、そこで気になった事がありまして」
「気になった事……?」
「はい。僕たちが使うコートについてですが、ゴール全体に相当年期が入っています。交換間近ってところでしょうか。ボールがぶつかる度にギシギシと怪しい音を立てていました」


 雫君はどう見てもバスケットボールを自在に操ってコートを独走していた人の手には見えない細い人差し指をピンと立ててそう簡潔に述べた。それで説明は十分だと思ったのか、彼にその先の言葉をつむごうとする様子はなかった。


「……え? おしまいか?」
「だから何だってんだよ、色無」


 頭に疑問符を浮かべるのは火神君だけではない。ほかの先輩たちも一緒になって首を傾げるなか、唯一カントクだけは理解したようで小さく乾いた笑いを漏らしていた。


「これはほかでもない“火神くん”に言おうと思っていたこと。そして年期の入ったリング――まだわからないかな」


 そこでようやく僕も彼が火神君に何と言いたいのかを理解する。
 大人しそうな顔して考えていることは相変わらずぶっ飛んでいますね。外は変わっても内は変わっていないってことですか。


「つまりは」


 なおも首を傾げる火神君や先輩たちに、雫君はベンチから立ち上がる。彼が茶目っ気を見せるように合わせた手はぱちんと小気味好い音を生んだ。


「――ぶっ壊しちゃえ! ってことさ」


 広くない更衣室に雫君の明るい声が響く。
 人懐っこそうな笑顔を作り出してそう言い放った雫君は、小説でよく書かれるような明朗な好青年そのものだった。




 どんなに優れた人であったとしても他人への評価というものは正確にできないものさ。自分のことを一から十まで理解している者がろくに存在しない、この“×せ”と呼ぶに相応ふさわしい世界の中で、他人への評価を誤りなく行える者がいると思うかい?
 “他人を評価する”という行為が自分を通す――自分から発される――能動的なものである以上、自身を理解しているところまでしか相手を評価できない。
 自分のことを“八”までしか把握していない人には“八”の中でしか評価を行えない、言わば“八”がその人にとっての“十”になるのさ。
 それが僕から言えるわずかなことの一つなんだ。



 (少年i 著『慰め』)



(P.18)



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