まずは良識の範囲から教えてよ 2/3
海常高校の臨時マネージャーを続けるなか、笠松さんだけは少し様子がおかしかった。
他人事な態度だと言われようが、そんなの僕の気にするところじゃない。……わかっているって、理由くらいさァ。
時折
窺うように見てきたかと思えばすぐに視線を
逸らして奥歯で苦虫を噛み潰したような顔をして。何だか好きな人が自分以外の異性と仲良く話しているのを悩む女の子みたいで愉快だよねェ。
わざわざ僕から話し掛けてやる義理も無いしぃ、とその視線をひたすらに甘受するに
止めながら、平均的にレベルの高い選手たちが決めていくシュートにリングが怪しく
軋む音を聞く。愉快とは言っても、必死でいい子くんをしているときにそんな態度をとられるのは少し気に食わない。ほら、また「アイツがどうかしたのか?」なんて訊かれているしぃ。わっかりやすいんだよねェ。
やだやだ、といい子をやっていなかったら顔をしかめて舌先でも出していたであろう状況に心の中だけで
辟易していると、ネットを挟んだ向こう側で練習していた部員たちが片づけを始めたのが視界に映った。ステージ横の壁に設置されている飾り気の無い時計に視線を滑らせて、誠凛の訪問時刻がすぐそこまで迫っていることを知る。
最後に僕も片づけを手伝ってあげよっかな、なんて腰に巻いていたジャージの上着を着直していると、ふともう片面の部員たちが一向に片づけに移る気配が無いことに気がついた。もしかして、と嫌な予感が走って今度こそ「うげー」と舌先を覗かせる。
それでも文句の一つも溢さずに手伝いを済ませ、準備の整ったハーフコートを無言で眺めながらぱたぱたとシャツの裾を
捲って汗を冷やしていると、ようやくお待ちかねのチームメイトたちが体育館に元気な挨拶とともに入って来た。
涼ちゃんの姿が見えないと思ったらどうやら迎えに行かされていたらしい。ここに適任がいるってのに。まァ、練習熱心じゃない一年生とみんなを献身的にサポートして忙しいマネージャーだったら当然前者を遣いに出すに決まっているか、とテツくんにデレデレな様子の涼ちゃんを見ながら納得する。
「色無君お疲れ様。さ、ここからは元の誠凛マネージャー君に戻ってガンガン働いてもらうわよ!」
そう言ってウインクを飛ばしたカントクに後輩らしくハキハキと「頑張ります」と答えると、「よろしい!」と彼女は満足げに笑ってスタスタと歩き出した。まるで物怖じせずに迷いなく進む彼女の後ろに付き従って武内監督の前まで辿り着く。
「ところでそちらの監督は?」
大人の姿がない僕たち誠凛高校の集団に対して武内監督が尋ねてくるのは当然のことだった。慣れていることなのか、彼女は気
後れなどちっともせずに自分が統括者だと名乗り出ると、彼は笠松さんにも負けず劣らずベタな驚愕を見せた。
「で、あの……これは……」
彼女は練習中の海常部員たちに目を向ける。斜め後ろに立つ僕に見えた彼女の横顔は苦笑を浮かべていた。準備が整っているのはハーフコートのみ、もう片面は練習中という光景に、疑問を胸の内だけで消化することは叶わなかったらしい。
まァ、察した上で大人しく飲み込めというのは土台無理な話だよねぇ。うん、誠凛ってばいい具合に舐められているじゃん? 練習試合を引き受けてもらえただけでまだマシ、それが去年の実力ってことだ。
「見たままだよ。今日の試合、
海常は軽い調整のつもりだが……」
「調、整?」
彼女の声が
微かに震える。声こそまだ穏やかさを捨てていないものの、怒気がその心に注がれ始めたらしいのを「出ない部員に見学させるには学ぶものが無さすぎてね」と平然と話す武内監督の言葉を聞きながら、彼女の肩が小刻みに震えているのを見て察する。
「無駄を無くすためほかの部員たちには普段通り練習してもらってるよ。だが調整とは言っても、
海常のレギュラーのだ」
最後に「トリプルスコアなどにならないように頼むよ」と言って去って行ったその大きな背中を見送って、夜叉の如き雰囲気を
纏うその
華奢な背中に視線を移す。
どうやらここの選手は武内監督から高い評価を得ているらしい。といってもインターハイ常連校ならそれも当然か。まァ、功績もさることながら練習風景を見た限り彼は口だけが達者というわけではなさそうだし、実際に足もとにも及ばない可能性だってゼロじゃないんだけれど。
――ああ、恐ろしいねェ?
「……けれどそれはこっちも、かなァ」
後方に立つ火神くんが「つまりは練習の片手間に相手してやるってことかよ」と青筋を浮かべているのをそっと
窺うように見て、ちょうど目が合ったテツくんと互いに微笑を浮かべる。これは闘志に火が
点いたってことでいいんだよねぇ?
ふと視線を大きな背中に戻すと、立ち去った武内監督に控えの選手であることを告げられた涼ちゃんが間抜けな表情を浮かべていた。帝光のイメージが抜けないからか、学校名の如く海を
彷彿とさせる真っ青なユニフォームは僕に彼を知らない人のように見せて、彼に持っていたわずかばかりの感情すら遠くに流してしまう。
ぽかんと呆ける彼に悪気が無いのはわかっていても、「黄瀬抜きのレギュラーの相手も務まらんかもしれんのに……出したら試合にもならなくなってしまうよ」という丸聞こえな言葉は誠凛の選手たちの怒りを着実に蓄積させていった。
「……驚いた、ここまで見事に喧嘩を売ってくるとは」
「色無、おめーはイラつかねーのかよ?」
隣にやってきた火神くんの額には青筋が浮かんでいる。僕まで君たちと同じにしないでくれ、なんて素直に返してしまおうか悩んだものの、日頃みんなを支える献身的なマネージャーがここで平然としているのも冷淡というものだろうと、「もちろん腹立たしいさ」と眉根を少しばかり寄せた。
馬鹿にされているのは僕じゃなく“去年”を作った先輩たちであるからして、僕に対して同じように苛立ちを望まれても困るよねェ。けれど、そうだなァ……うん、いい具合に気持ちが乗ってきたかもぉ。
「何て言ったって自分が全力でサポートしている自慢の仲間が馬鹿にされているんだ。笑って『はいそうですね』なんて言っていられないよ」
「にしては冷静なんだな」
「ここで相手に怒鳴りつけても関係が悪化するだけさ。短気は損気ってよく言うでしょ?」
火神くんが「そーか?」と口を曲げるのを見ながら、「せっかく練習試合ができるんだから実力を見せる機会はあるよ」と言うと、彼は「でもよ……」とすぐに低い声で言葉を重ねたきり、眉間にしわを寄せて納得がいかないような顔のまま口ごもった。そんな彼を見て唇を三日月に歪める。今日は新月だけどぉ。
「実力は語るものじゃない。示すものだ。評価を受ける者はいつだって口ではなく行動で表しているよ」
語るだけで済むのならどんなに楽だっただろうか。「色無……?」瞬きを繰り返す火神くんに、「だから、示しちゃおうよ」と愛嬌のある笑顔にころりと変える。謝罪にやってきた涼ちゃんを横目で見れば、火神くんもつられるように僕から視線を外した。
言葉をそこで終わりにしてしまおうか、涼ちゃんの言葉に耳を傾けながら考える。しかし謝罪に来たはずの彼から出た「オレを引きずり出すこともできないようじゃ、キセキの世代を倒すとか言う資格も無いしね」というあからさまな挑発は、情熱的なマネージャーにその先を
紡がせるのには十分すぎたのだった。
「――イイコトを思いついたから」
(P.17)