狼はどの物語でも救われない 4/4
やってきました、私立海常高等学校。びっくりするくらい広いですぅ! ……うーん、
流石に今のは無かったかも。
我ながら気色悪いなァ、なんて思いながら、あらかじめ電話で聞いていた通りに歩を進めていく。帝光にも負けず劣らずの広大な敷地は学校というよりも娯楽施設のように感じられた。数分かけて辿り着いた体育館は創設時期の違いで誠凛よりは古臭さが見えるものの、学校としては十分立派なものだ。
身だしなみを軽く整えてから閉ざされていた扉に手をかける。
「……おはようございまーす」
ひょこりと顔を覗かせて、おそるおそるというように挨拶を口にすれば、近くにいた何人かが僕の声に気がついて振り返った。まだ春だと言うのにむせかえるほどの熱気と、人数の多さを武器にした掛け声に目を細める。
「あれ? そのジャージ……誠凛?」
「はい」
「まだ時間じゃないはずなんだけど……」
「僕、マネージャーなんです。今日は体育館を使わせていただきますので、何か準備のお手伝いができないかとこのような時間に伺いました」
そう言うと彼らは顔を見合わせた。「いいのかな」なんてぼそぼそと聞こえる声に、「
武内監督には話は通してあります」と告げる。続けて「改めてのご挨拶もしたいので、まずは彼に会わせていただけませんか」とビジネスライクな笑顔を貼り付ければ、すぐに相手も笑顔で了承し、離れた場所で腕を組んでいた男性のもとへ駆けていった。
少しして、何やら話しながらこちらを
一瞥してきたその男性に会釈をする。来い、とでも言うように手招きをされて、持参した学校の上履きに履き替えてから彼のもとへと向かえば、値踏みをするような視線が隠すことなく注がれた。
そんな視線には慣れているけどさァ、僕にやっすい値札なんか付いていないんだから、勘弁してよねェ?
「おはようございます。先日ご連絡を差し上げた誠凛高校男子バスケットボール部マネージャーの色無雫です。お忙しいところ練習試合の申し出をご快諾いただきありがとうございました。誠凛高校一同精一杯励みますので、本日はよろしくお願い致します」
速くなってしまわないように落ち着いて、しかし明朗さも損なわないように意識して言葉を
紡げば、監督である以前の一人の教師としての顔で目の前の男性は驚きを浮かべた。
あっは、僕ってよくできた子でしょぉ? イマドキの若いモンは、なァんて間違っても言われないようにしているからねぇ。
「……真面目そうな子で助かった。ま、準備と言っても別にすることなんて無いんだがね」
「では、時間まで御校をサポートさせていただこうと思いますが差し障りはありませんでしょうか。選手の人数の割にマネージャーが一人もいらっしゃらないようですし、微力ではありますが多少はお力になれるかと」
体育館内に視線を滑らせる。涼ちゃんがいるんだからマネージャーをやりたがる子は多そうだけどねぇ。弊害は
避けられないと思うけどさ。帝光でも涼ちゃんの入部後にマネージャー希望が一気に増えたし、やっぱり
伊達に売れっ子モデルをやっていないと思うよぉ。
「ほう……?」
細い目をさらに細めて「偵察がしたいというわけか?」と言った彼に、柔らかく「まさか」と返す。
「短時間ですがお手伝いをするからにはしっかりやらせていただきます。情報も魅力的ではありますが、そのようなサポートを
疎かにしてしまいそうな行為は致しません。それに、しようと思えば練習試合中嫌というほどできますので」
「……なら、誠凛が来るまでの一時間半、頼りにさせてもらおう」
彼は言い返す言葉もないようで、大人しく僕の望む方へと転がった状況に今度こそ本当の笑顔を浮かべた。
情報収集をしながらだとサポートができないだなんて舐めてもらっちゃ困るよぉ? まァ、この学校で一番上手いのは文句なしに涼ちゃんだし、彼のことはよくわかっているからそんなことはわざわざしないんだけどさ。
「じゃあキミのことを紹介するぞ。そのほうがこの後もスムーズにいくだろう」
「お気遣いありがとうございます」
彼が大声で集合の号令を掛けると、
流石はスポーツ強豪校と言うべきか私語も無くすぐさま部員たちは集まる。しかし監督の隣に立つ真新しい誠凛ジャージに身を包んだ僕に気づくと選手たちはわずかながらざわめき立った。
「エー、こちらは誠凛マネージャーの色無君だ。誠凛の選手が来るまでの一時間半、ここでマネージャーの仕事をしてくれるらしい」
こちらに目配せした彼に小さく頷いて一歩前へ出る。長身のくせして比較的前の方にいた涼ちゃんが目を皿のように見開いて驚くさまを視界に収めて、
綻ぶようにふわりと笑ってみせた。
これだけの人がいるのに涼ちゃんとほかの選手との間隔は微妙に空いていて、それが海常高校男子バスケットボール部の
現在を如実に表しているようだった。涼ちゃんからすぐに視線を
逸らしてぐるりと誠凛とは比にならない数の選手たちを見渡す。
「私立誠凛高等学校から参りました、マネージャーの色無雫です。少しの間ではありますが精一杯お手伝い致しますので、何かあれば遠慮無くお申しつけください。本日はよろしくお願い致します」
人当たりの好い笑顔を浮かべて挨拶し、腰を折って丁寧に頭を下げる。まばらな拍手のなかで顔を上げると、「……嘘だ」と涼ちゃんがゆるりと首を横に振った。
「何で、何でアンタがここに」
震えた声が他人行儀な二人称を
紡いだ。中学時代あれだけ構ってやったっていうのに、よくもまあ自分が捨てた人形が舞い戻ってきたかのような反応をしてくれたものだ。
「どうかしたのかな。僕がここにいる理由は、海常高校男子バスケットボール部が誠凛高校男子バスケットボールからの練習試合の申し込みを受諾したからで、それが行われるのが今日この体育館だからだ。それ以前の話をするのだったら、僕はその誠凛高校男子バスケットボール部に所属している」
視線が集まるのを感じながら、当たり前の説明をしていく。そもそも、誠凛に来た時に僕がいること聞き出しておいて、練習試合の日に何でって言われても困るよねぇ。
「本当に、色無っちなんスか……? 本当に……?」
まるで歩き始めの幼子のような足取りでよたよたと近寄ってくる。「本当に、だよ」と言葉を返せば、やにわに彼はその大きな手で両肩を掴んできた。
「そのふざけた髪はなんスか」
掴まれた肩が揺さぶられる。片方だけ伸ばした――正確に言うならば片方だけ
切られていない――顔の横の髪がゆらりと揺れた。
「その似合わない喋り方はなんスか」
ぎりぎりと、長い指が無遠慮に食い込んでいく。骨の形を浮き彫りにしそうなほどのそれを甘受し続ければ、恐ろしい形の
痣が作られるかもしれない。……そろそろ離してくれないかなァ。
「その眼鏡は、その態度は、何なんスか!」
「……痛いっ、痛いよ」
「オイ、黄瀬ェ!」
憤然とした表情で声を荒げる彼から顔を背けて訴えれば、先輩らしき人が彼を引き剥がした。「悪い、大丈夫か……?」と心配そうな声色で、涼ちゃんとはまるで異なる手つきで保護するように肩を抱かれて、下がってきた眼鏡を上げながらそっと口端を吊り上げる。
怯えるように背中を丸めながらも礼を言えば、「いや、もっと早くに止めてりゃよかった」と頭に無骨な手が乗せられた。涼ちゃんが持ち前の切れ長の目で僕を
射殺すように見る。そんな顔をするくらいならニックネームで呼ばなければいいものを。
「えっと……オマエは黄瀬の友達なのか?」
「……そう、なんですかね」
問いかけてきた彼に曖昧に答えて弱く笑うと、疑問の色が強く
滲み出た顔が浮かんだ。彼が僕との間にどのような名前を付けているかなど、僕にだってわからない。ていうか、関わってきた人たちの中で僕を友人として認識している人なんて、探すほうが難しいと思うけどねェ。
「……挨拶も済んだことですし、どうぞ練習を再開してください。お時間をとらせてしまい申し訳ありませんでした」
頭を下げた後、情けない表情を消し去る。ばらけていく部員たちを見ながら、立ち尽くしたままの涼ちゃんに初めて優等生の皮を剥がして「余計な事は何も言うなよ」と
釘を刺せば彼ははっとしたように目を見開いた。
時間は決して流れてなどいない。ただただ積み重なっていくものだ。
(少年i 著『共時的に、通時的に、』)
(P.15)