狼はどの物語でも救われない 2/4 


Side:Tetsuya Kuroko

 体育館から雫君が抜け出す。理由はステージに長い脚を組んで座っているあの黄色い人――犬といったほうが正しいのかもしれません――だと思う。
 隣の晩御飯を食べに押しかけるあの番組じゃないんですから急にやってこないでください、困ります。……泊まらせてもらうために田舎で何軒も民家を回るあの番組のほうがわかりやすいですかね。何はともあれ、他校にアポなし訪問だなんてどういうしつけをされているんでしょうか。
 ボクがそんなことを考えているうちにファンとの交流は終わったらしく、ステージからひょいと降り立った黄瀬君が近づいてきた。いちいち動作が様になるのが少ししゃくだ。


「いやー、次の相手誠凛って聞いて黒子っちが入ったのを思い出したんで挨拶に来たんスよ。中学ん時、一番仲良かったしね」


 そう言って相変わらず長い脚で歩いてくる黄瀬君に嫌味も込めて「普通でしたけど」と返す。とりあえずその身長を分けてくれたらそう認めてやらないこともないですけど。
返す。
 そういえば雫君も今でこそ175センチまで伸びていたけれど、中学の時は170センチに届いていなかったはずだ。「伸びるのは僕の感情としては嬉しいけれど、喜ばしくはないんだよねぇ……」――かつてそのように言っていた彼を青峰君は「ヒガミってやつだろ」なんて一笑に付して、彼自身「そう思っておいてくれてもいいよぉ」とけらけら笑っていたがボクはいまだに消化ができないままでいる。
 大抵の男子生徒というのは高身長を望むものだと思う。ましてやバスケットボールという高さを重要とする競技をしているのだから成長は歓迎するはずで、彼の言葉を借りるのなら喜ばしいことだ。
 そもそもの話、嬉しいのに喜ばしくないとは意味がわからない。彼は難しい話をよくするが、それらはきちんと聞き手に伝わるような噛み砕きが行われていて、黄瀬君いわく「聞きたくなくならないっス」、青峰あおみねいわく「眠くなんねー」、紫原むらさきばらいわく「頭が痛くならないかなー」、緑間みどりまいわく「本質的には教師に向いているのだよ。あんな信用ならない滅茶苦茶な教師はいらないが」だ。それなのに、彼はたまに全くわけのわからないことを口に出す。ボクらが理解できないというよりも、ボクらに理解
 もうもうと昇る湯気に手を伸ばした時のように確かに温度は感じるのに、ぐらぐらと煮え立っているであろうナニカはまるで見せてくれないのだ。けれど、手を引っ込めてもじわりと濡れるそれは素直に忘れさせてもくれない。ボクの知る限り、彼は世界で一番厄介な人だ。
 閑話休題、やはり彼のプレー時の姿勢スタンスが成長を喜ばしいとしない理由なのだろうか。それは十分理由になり得るはずなのに、なぜだかに落ちない自分がいた。


「黄瀬涼太。中学二年からバスケを始めるも、恵まれた体格とセンスで瞬く間に強豪帝光でレギュラー入り。ほかの五人と比べると経験値の浅さはあるが、急成長を続けるオールラウンダー……」
「中二から!?」
「いやあの……大袈裟なんスよその記事、ホント。キセキの世代なんて呼ばれるのは嬉しいけど、その中でオレは一番下っ端ってだけですわ〜」


 続けて「だから黒子っちとオレはよくいびられたよね」と言う黄瀬君に、「ボクは別に無かったです」と返す。テキトーなこと言わないでください。


「って……そういえばその記事の“五人”で思い出したんスけど、色無っちがどこの学校に行ったのか心当たりないっスか?」
「え? 色無?」


 黄瀬君の口からここにはいない、正確に言うなれば、先ほどここから立ち去った彼の名前が出る。何かしら訊いてくるだろうとは思っていたものの、こうも早くに面倒がやってくるとは。まずい、と体が強張る。


「ちょっと黄瀬く」
「色無雫っていうオレらの元チームメイトっスけど……わかるんスか!?」


 完璧にフルネームを言ってしまった黄瀬君に思わず「うわ」という声が口をついて出た。名字だけならまだ誤魔化せたかも知れないというのに。後で怒られるの誰だと思っているんですか。


「わかるもなにも、ここでマネージャーやってる、よ……な?」
「お、おう……」


 先輩たちが顔を見合わせながら自信なさげに確認しあう。やってしまったと額に手を当てて項垂うなだれてももう遅い。黄瀬君は「どういうことスか黒子っち!」と声を荒げてボクの肩を掴んできた。いや、ボクのほうが彼がここに来た理由知りたいんですけど。


「つーか、え!? アイツって元帝光なの!?」
「自己紹介の時に出身校とか言わせなかったんスか? オレらと同じレギュラーだったっスよ。……ていうか学生バスケやってるなら一度くらいは聞いたことあってもいいんスけどね。ほら、スノ」
「ハウス、黄瀬君」


 黄瀬君の口を問答無用で両手で塞ぐ。一歩後退し、「ちょ、ヒドくないスか!?」とギャンギャン騒ぐ黄瀬君に、もう一度塞ぎ直して「ハウス、黄瀬君」と目をしっかりと合わせて言えば、何かしら察したのか、それともただボクの真剣さが伝わったのか、黄瀬君は少しだけ口をまごつかせるにとどまった。
 ありがとうございます、黄瀬君。それ以上は本当にただじゃ済まなかったですから。何がって、ボクが。ボク、彼を不機嫌にさせたくないですからね。まだ恩も返せていませんから。


「……それよりも! ここでマネージャーやってるってどういうことスか!? あの人がマネージャー? 似合わなすぎでしょ!」
「言葉通りですよ。雫君は誠凛高校男子バスケットボール部のマネージャーをやっています。マネージャーは初めてだと自己紹介で言っていましたが贔屓ひいき目抜きにとても優秀であると思います。何をやらせても器用にこなしてしまうあたりが雫君らしいですよ。……今は所用でいませんけど」
「誠凛に来た理由もだけど選手やってないって、え? オレいろいろついていけないんスけど……!」
「安心してください。ボクもです」
「……やっぱあの人の考えることはわかんねっスわ、本当」


 黄瀬君は長いため息をつきながら頭を乱暴に掻く。よく手入れされた真っ直ぐな金髪は乱れても櫛を通したようにすぐに元に戻った。
 あの人と他人行儀に雫君のことを呼んだ黄瀬君の言葉にはわずかな苛立ちがにじむ。それが雫君への感情なのか、黄瀬君が自分自身に向けている感情なのか、ボクにはわからない。
 不意にどこからともなく黄瀬君めがけてバスケットボールが飛んできた。どうやらそれを投げたのは火神君らしい。
 両者の合意により始められた1on1で、ボクたちは黄瀬君の成長を目の当たりにすることになったのだった。


「……こんな拍子抜けじゃ、やっぱ挨拶だけじゃ帰れないっスわ。――黒子っちください」


 ゴール下に崩れた火神君なんてもう眼中に無いように黄瀬君がこちらへと向かってくる。彼の言葉に場が少しざわめいた。


海常ウチにおいでよ。また一緒にバスケやろう」


 言葉だけ聞いたのならば一笑して流しただろう。けれど黄瀬君の明るい琥珀こはく色の目には冗談など少しも宿ってはおらず、彼が色付けも何もなく、本心あるがままにそれを言ったのだと理解するのに時間はかからなかった。


「マジな話、黒子っちのことは尊敬してるんスよ。こんなとこじゃ宝の持ち腐れだって。色無っちのこともたしかに尊敬してはいるけど、あの人は欲しいとは思わないっス。ていうか、なんスよ。それかもっと管理しておかないと。だからマネージャーって聞いてちょっと安心した部分もあるっていうか……。話がれちゃったけど、ね、どうスか」


 いてはいけない。管理。黄瀬君の口から出たその言葉に、綺麗に並べられたおはじきを乱すような、無感情にも似た何とも言えない気持ちが湧いて出る。それと同時にそれが適切だと思う自分も存在していることに気がついて、今度こそ明確に訪れた不快感に眉を寄せた。
 こんなこと決して思ってはいけないのだ。特にボクが思うなど、許されていいはずがない。彼が心の底からバスケットボールという競技を愛しているなかで、どうしてボクたちが――いや、彼はバスケットボールという競技を愛していたことがあっただろうか。
 突然生まれたそんな疑問に、冷たいナイフを背に這わされたようにぞわりと全身の肌があわ立った。あの爬虫はちゅう類を彷彿ほうふつとさせる銀白色の目はバスケットボールを純粋に見ていたのだろうか。
 形のいい薄い唇が歪むのが脳内に鮮明に思い起こされる。それなのに、どのように歪んでいるのかまるでわかりそうもなかった。
 黙りこくったボクを「黒子っち?」と呼ぶ黄瀬君の声で引き戻される。ほかでもない雫君のことなのだ、ボクが勝手に悩んで沈んだところで何も解決するはずがないというのに。
 気を取り直して、黄瀬君に向き直る。頂いた勧誘を丁重にお断りすると文脈の乱れを指摘された。それを指摘する前に自分の思考を正したほうがいいんじゃないですか、とは思っても口には出さないでおく。


「それよりも黄瀬君、そろそろ帰ったほうが身のためだと思うんですけど」


 体育館のステージ横に取り付けられた時計にちらりと目をやる。あれからもう十五分以上は経つ。彼がそろそろだと見切りをつけて帰ってきてもおかしくはない。


「え? 何でっスか?」
「……蹴られたいなら話は別ですけどね」


 声量を落としてぼそぼそと口の先だけで話す。「誰に」と途中まで言いかけた黄瀬君はそこですべてを理解したらしい。洋紙のように顔を青めさせるとそれからの行動は早いもので、吹かれた落葉さながらにさっと体育館から出ていった。
 ……あっ、言わないほうがよかったかもしれません。


(P.13)



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