ドアを開けてから、しまったと思った。あわてて閉めてももう遅い。ヒソカは光の速さで足を滑りこませてくる。

「…何しに来たの」
「言っただろ。ボクが看病してあげるって」


4.彼の苦悩の裏側で


ヒソカが看病?わたしを?
…治るどころか悪化しそう。特に頭痛が。
どう追い返したものかと逡巡した矢先、風が吹き抜けて彼の手元のビニール袋がガサガサと揺れた。見ると清涼飲料水だとか風邪薬だとかネギだとかがわんさか詰まっていて、いかにも「看病します」って主張している。興味の無いものにはとことん興味を持たない彼のことだから、追い返したならそのビニール袋は中身ごとあっさり道端のゴミ箱にでも捨ててしまうだろう。清涼飲料水にも風邪薬にも罪は無いのに。なけなしの良心がチクチク痛む。これが狙いならヒソカは策士だ。わたしは彼と違ってまともな人の子なんだから、普通の気遣いをもらったら無下にはできないと思ってしまうじゃない。

「……入れば」
「いいのかい?ボクなんかを家に上げて」
「…よく言うよ。上がる気満々で来たくせに…」

ため息まじりに返して背を向ければ、あの猫なで声が後ろで笑った。

「お邪魔します」
「今日は君にかまう余裕ないから…適当にすわって。飽きたら帰ってね」

気だるさに息をつきながら言うと、ヒソカがごめんね、といつになく真剣な声であやまるので思わず耳を疑った。

「…突然来てごめん。でも居ても立っていられなかったんだ。君が風邪を引いたなんていうから」

返す言葉を見つけられないほどには動揺したけれど、火照った思考回路じゃそれも長くは続かなかった。だるい、熱い、しんどい。
変態がいるのもかまわずベッドにもぐりこむ。もぐりこんだ傍からひどい嘔吐感におそわれて起き上がる。気持ち悪い。
のろのろと力の入らない四肢に鞭を打ってトイレへ歩いた。
トイレから出るとドアの前にヒソカが立っていた。わたしがえずいていてるのをドアの向こうで聞いてたのかと思うと恥ずかしさがこみ上げた。相手がいかに変態とはいえ恥じらいも外聞も捨てられはしない。いつだったか傷心のわたしを笑ったように「かわいそうにねえ」と今また言うかと思った。けれど予想外なことに、ヒソカはいたって真面目そうに「大丈夫かい」などとぬかした。コーヒーを飲んでいたらふきだしていただろうし、元気があれば「ヒソカこそ大丈夫?」と返しただろう。コーヒーも飲んでいなければ元気でも無いわたしはぐったりと沈黙を返す。

「………」
「ベッドに戻るかい?」

力無くうなずくと、そっと横抱きにされてそのまま運ばれる。やさしくベッドに下ろされ毛布をかけられて、素直にありがたいと思った。どうやらヒソカは本気でわたしを看病するつもりらしい。

彼の甲斐甲斐しさには驚いた。
背中をさすったり、額や首すじの汗をタオルでぬぐったり、その手つきがまたいちいち不気味なほどにやさしく、ともすると慈愛に満ちてさえいた。こいつ、本当に殺人鬼なんだろうか。ゼエゼエ息を乱しながら奴の顔を見上げる。視線の先に想像していたのは、いつものニヤニヤニコニコあやしい目だったのに、意外にもベッド脇に座るヒソカは病人のわたしよりも余程つらそうな顔をしていた。
……誰だろうこの人は。誰。いったい。
もう殺人鬼じゃないことだけは確かだ。だってこんなにも人の容体ひとつを思いやって心配してる。まるで医者かナースだ。それに、こんなにやさしい眼をした殺人鬼がいるはずない。だからヒソカは殺人鬼じゃない…。ぼんやりとした頭の隅でそんなことを考えた。

それから少し眠りいくらか体調もマシになって、それでも帰らずに傍らにいる彼とぽつりぽつり雑談を始めると、何の脈絡もなくヒソカは言った。

「ああ、もう、食べちゃいたいなあ」

ぎょっとして布団の中で身を固くする。そうだった。こいつは、舌舐めずりなんかしてるこいつは、変態だった。今までの会話や流れの一体どこに欲情する要素があったのか、さっぱりわからない。

「何かしたらほんとに殺す」
「医者がそんなこと言っていいのかい?」
「ストーカーに襲われたら正当防衛」
「クックック…」

アブナイ発言はあったものの、その言葉とは裏腹に看病のためにわたしに触れるヒソカの手にはなんの下心も感じられなかった。彼は下半身と上半身で神経がべつになっているのかしらと不思議に思う。
それはともかく今日の彼の働きには大いに助けられた。

「ナマエ、おかゆ作ったけど、食べれるかい?」
「…ヒソカ」
「ん?なんだい?」
「…………いろいろとありがとう」

唐突にお礼を言うと、彼は一瞬きょとんとした後で猫みたいに目を細めて笑った。

「どういたしまして」



ヒソカが怒るところを初めて見たのはそのあとだった。
膳を下げに部屋に来た彼はおそろしい勘の良さでもってわたしの考えてることを見抜いた。(変態は誰しもこんな勘の良さを持っているのかもしれない)

「どこへ行くんだい?」

一ヶ月そこらの短い付き合いだけど、ヒソカのことは大体わかってきた。ふざけてばかりいるように見えて存外真面目なところがあるとか、自己中心的かと思えばやたら尽くす一面もあるのだとか、たとえば今この状況でわたしがこう言ったら怒るだろうってことも。

「仕事」
「仕事?」
「手術しに行ってくる」
「…なに馬鹿なこと言ってるんだ」

ヒソカの声が低くなって、苛立ちを含む。わたしを心配してくれてるからこそ怒ってるんだってわかったし、献身的に介抱してもらった手前うしろめたくもあった。それでも彼の気持ちは汲んであげられなかった。仕事より大事なものなんて、今のわたしにはないと思ったから。

「馬鹿なことじゃない。今、院から電話があったの。近くで大きい事故があって大勢運び込まれたから執刀する人間が足りないって。行かなきゃ」
「そんな身体で行くのかい?足元だっておぼつかないじゃないか」
「…どいてヒソカ」
「ダメだよ。行かせない」
「…どいて」
「ダメだ」
「どけって言ってるの!」
「そんな状態のきみに何ができるっていうんだ。手術なんかやれるはずないだろ。役立たずは寝てろよ」

初めて聞いた感情的な声に、ぼうぜんとする。
遅れて葛藤もやってきた。ぐちゃぐちゃになった思考回路のすみで思う。なんでそんなことを言われなきゃいけない、ヒソカなんかに。ちがう。そうじゃない。わたしは馬鹿で何も見えてなかった。ヒソカはそれを教えてくれた。彼はよくわたしを見ていて、適切なアドバイスをくれた。ヒソカのおかげでわたしはこんな身体でのこのこ病院に行って逆に患者になるような愚かしい真似をしなくて済む。ヒソカはわたしに感謝されこそすれ怒鳴り散らされる言われはないんだ。感謝するべきだし、謝るべきだ。ほら、あやまれ。それからありがとうって言え。そう思うのに言葉はでてこない。ただくやしい。くやしくてたまらない。医者なのに、医者として働けない。無力。悲しい。馬鹿馬鹿しい。消えて無くなりたい。
「役立たず」。何よりその言葉をヒソカの口から聞いたことがつらかった。わたしは無意識のうちに、ヒソカは何があっても自分を否定しないとでも思っていたのかもしれない。
そうして、この後に及んでわたしが口にしたのは謝罪でもなければお礼でもなく、「お酒をちょうだい」なんていう最低なひとことだった。


そこから先は、自分でも何をどうしたのかよく覚えてない。
16/06/10
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