「相席いいですか?」
「どうぞ…やっぱダメだあっち行け変態」


2.お医者さん、泣く


あわてて回避を試みるも時すでに遅し。彼はもうわたしの前の席に腰を下ろし悠然と長い足を組んでしまっていた。さも居座る気満々ですと言いたげに。
今日こそ上手くまいたと思っていたのに。…いや気にするまい。彼の探知力が化け物がかっているってだけの話なんだから。

「…なんでここがわかったの?」

盛大にため息をつきながらたずねると、ヒソカはやっぱり笑った。

「言っただろ。奇術師に不可能はないの」

なあにが「不可能はないの」だ。ちゃんちゃらおかしくてやってられない。救えない命、治せない病はこれでもかというほどたくさんあって、世の中不可能なことばかりだから、わたしたち医者は始終頭を抱えて過ごしているというのに。不可能がないっていうならとっくに医者なんか辞めて奇術師に転職してる。
不貞腐れそうになる顔を隠すためにカップを持ち上げると、ヒソカは喉の奥で笑った。

「拗ねた顔もかわいいね」

コーヒーをふきだしそうになって、はげしくむせる。

「おや、照れてるのかい?」
「…誰が」

ーーヒソカは、たとえばわたしのマンションのポストの前とか、勤務先の屋上とか、深夜の帰り道の街灯のかげとか、つまり、ところ構わず現れる。街で職務質問をされると胸を張って「奇術師」と答えるそうだけど、ちゃんと正直に「ストーカー」と答えるべきだとわたしは思う。

「好きだよナマエ」
「それはどうも」
「そこは、わたしも、って答えるところだろ」
「変態な男は趣味じゃない」
「やだなあ。変態なんて。少し嗜好が個性的なだけだよ」
「変態はみんなそう言うんだよ」
「ナマエがそこまで言うならボクも考えるさ。ノーマルなプレイとは何なのか。一緒に答えを探そう。さっそくだけど今晩の予定は?」
「何も考えなくていい」

言い捨てて席を立つとヒソカは首を傾げた。

「どこへ行くんだい?」
「あなたのいないところだよ」
「…素っ気なくしないでくれよ。興奮するだろ」
「わざわざ言わなくていいよ。気持ち悪いな」

喜ばせようとしたわけじゃないのに、彼はうれしそうな笑い声をあげる。これのどこが変態じゃないって言うの。冗談は下半身だけにしてほしい。

「ところできみは今から誰と会うんだい?」

スッと細められたヒソカの眼はするどい。気味の悪いほど敏感な男だ。

「…好きな人だよ」

だからこれ以上わたしにつきまとってもどうにもならない。早いうちにあきらめなよ、と意思を込めて見返す。

「…そのわりには随分うかない顔をしているんだね」
「あなたには関係ない。それじゃさよなら」

ヒソカに付き合ってると時間がいくらあっても足りないので、そうそうに切り上げて退散するに限る。つけいる隙を与えないようそっけなく背を向けてさっさと目的の場所へ向かう。今日はヒソカなんかにかまってる場合じゃない。大事な待ち合わせがあるんだ。



駅の改札を抜けてからしばらく歩いた私はふととなりの男を見る。やはりというかまさかというか、そこにいるのはヒソカだった。

「…どうしてついて来てるのかな?」
「デートは並んで歩くものだろ?」
「…誰がいつあなたとデートするって言った?」
「ボクとデートしてくれよ」
「うん、無理ですごめんなさい。私行くところがあるから」
「どこに行こうか?ボクのことは気にしないで。ナマエが行きたいところに行きたいな」

だめだ。まるで会話が成立しない。わたしは痛む頭をおさえて何とかヒソカに向き直る。

「…あのさあヒソカ」
「あ、今日はじめてボクの名前を呼んでくれたね。うれしいな」
「お願いします。私の話を聞いて」
「なんだい」
「あのね、これから私、」
「ナマエ」

ここぞとばかりに文句を言おうとしたところを、よく知っている男の声がさえぎった。彼こそがわたしの待ち合わせの相手だった。ヒソカにああだこうだ言ってる内にいつの間にか待ち合わせ場所まで着いていたらしい。

「あ、……久しぶり」
「久しぶり」
「僕ははじめましてだ」

楽しそうに笑うヒソカを見て、わたしと待ち合わせをしていた彼は不審そうに眉をしかめた。

「その人は?」
「ただの知り合い。勝手について来たの」
「照れるなよ」

さりげなく私の肩を抱いて言うヒソカ。その手の甲を思い切りつねる。
それを見ていた彼はやがて苦い笑いを浮かべた。

「なんだ新しい彼氏か。さすが、切り替え早いね」
「違うよ!」
「いいよ遠慮しなくて。お前、俺のことたいしてすきじゃなかったもんな」
「本当に違うってば!ヒソカは、」
「これ。俺の部屋にあったお前の荷物、…これで全部だから」
「あの、本当にヒソカは、この人は違うから」
「べつにそんな説明しなくていいよ。わざわざ元彼に」
「……」
「じゃあ。今までありがとう」

人ごみにまぎれて遠ざかっていく背中を目で追った。やがてそれも見えなくなって、おろした視界に入るのは、手渡されたばかりの紙袋。貸していたCDとか、本とか、置いていた服。これで本当におしまいなのに、なんてあっけない。あっけないどころか…

「フラれちゃったね〜」

電車を乗り逃した時の、行っちゃったね〜みたいな軽ーい調子でヒソカは言う。ムカつく、ムカつく。誰のせいだよ。

「うるさいヒソカの馬鹿」
「ハハハ、かわいそうにねえ」

ヒソカはすごくムカつくけど、でも彼が行ってしまったのはヒソカのせいなんかじゃないことくらい私だってわかってた。わたしと彼はとっくに終わってた。ヒソカはいつか「きみに付き合ってる男がいることくらい知ってるよ」と言ったけど、正確には「付き合ってた男」だった。それでも好きな人には違いないけど。

「ヒソカの変態」
「うん」
「ストーカー」
「うん」
「通り魔に前髪変な風に切られろ」
「いいよ」
「は?何言ってん…」

まずい、油断したせいで涙が出てきた。視界がにじんでゆらゆらする。いやいや今は駄目だって。こんな街のど真ん中で泣きたくない。ひと目のある中でそんな醜態さらしたくないし、第一変態に弱みを見せるなんてもってのほかだ。ひっこめ涙。
ぼろりとこぼれそうになった瞬間、背中を引き寄せられて視界が一色に染まる。かたい胸に顔を埋めてからようやくヒソカに抱きしめられたのだと気づく。

「ナマエが悲しくなくなるならなんだっていいよ。いくらでもボクにやつ当たりしていい」

降ってくる声があまりにもやわらかなせいで、こらえきれなくなった涙がぼろぼろ落ちてヒソカのシャツをぬらした。わたしは何を殺人鬼の腕の中で安心してるんだろう。冗談じゃない。ありえない。医者としても受け入れがたい。この胸を突っぱねないと。いくらそう思ってみても、涙は次から次へとあふれてくる。

「…うう〜……っ好きだったんだよ……」
「うんうん」

ヒソカの手のひらがぽんぽんと私の背中を打った。子どもをあやすように。
そのひとことを皮切りに、私は失恋した誰もがいいそうな未練たらたらの情けないせりふを言いたい放題吐き散らかした。ヒソカはそのたび「うんうん」とか「よしよし」とか言って私の背をなでたり叩いたりした。



私がヒソカをホテルのレストランに招待したのはそれから一ヶ月後のことだ。こんな変態を誘う日が来るなんて夢にも思わなかったけど、彼氏と別れたあの日ヒソカに胸を借りたのはまぎれもない事実で、それにとても助けられたのもまた本当だった。けれど、誤解されたらたまらないので念を押しておく。

「言っとくけど、ただのお礼だからね」
「わかってるよお」

ちょっと良いスーツに身を包んで、長い前髪を風にあそばせながらやってきたヒソカは、それはもう機嫌が良くて(いつも良さそうだけど)、食事中も始終にこにこ笑っているので、おかげで私はべつに見ちゃいけないものを見てるわけでもないのになぜか目のやり場に困った。

「ナマエ」
「なに?」

食事の途中、ヒソカはやけに改まってわたしの名前を呼んだ。

「今日は誘ってくれてありがとう。一緒にいられてうれしいよ」

目を細めしなやかに笑うヒソカは、まるで無邪気な猫みたいで、見ているわたしは毒気が抜かれてしまう。
こういう格式の高い場所に誘っても彼の立ち振る舞いはきれいで、わたしをエスコートする所作にしても、料理を口に運ぶしぐさにしても非の打ち所がないほど見事で、実はさっきから感心さえしていた。妙なことさえ口走らなければ彼はたいへんよろしい好青年なんだ。

「…私こそ、この間はありがとう。…正直すごく助かった」
「ーーああ、あのときは、ナマエの泣き顔を見られて興奮したなあ。鎮めるのに苦労したんだよ」
「食事が終わったら二度と近寄らないで」

そう、妙なことさえ口走らなければ。

16/05/30
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