「ユイー。週末何か予定ある?
ないなら、パーツ選び手伝ってほしいんだけど」

アミちゃんからの誘いに私は元気よく答えた。

「ごめんなさい! その日は海に行くのですよ!」

「え? 今、秋よ?」

「うん。でも、行ってみたいから」

「クラゲいるわよ?」

「さすがに泳がないよー」

「一人で行くの?」

「うん!」

アミちゃんからの質問に答えていくと、カズ君がぼそりと核心を突いてきた。

「寂しい奴だな。お前」

「うっ」

「で、でも、息抜きは大事だよ! な?」

カズ君の言葉にダメージを受ける私に、バン君がそうフォローしてくれる。
それに涙が出そうになるのをぐっと堪える。

あうう。バン君の優しさが身に沁みる。

なんか有り難かったので拝んでみたら、後ろからミカちゃんに「バカ」と呟かれたのを私は忘れないと思うんだ。


***


ガタンゴトン。

昔からあるこういう独特の電車の音って、好きだなあ。
今はほとんどリニアが主流になり、音もかなり消音されて来たので、こういう日常の音というのはとても少なくなった気がする。

ガタンゴトン。

電車の音を聴き、車窓から見える顔を出したばかりの太陽の光を目を細めて見る。
私は久々に部屋から持ち出した菜の花色のリュックから、朝ごはんとして握って来たおにぎりを取り出した。

「いただきます」

休日の始発から二番目ぐらいの電車の車内には、私と朝練に行くらしい高校生と朝帰りのサラリーマンさんしかいない。
静かな車内でおにぎりを頬張る。

「おいしい」

もきゅもきゅと食べ終えて、用意してきた麦茶を飲む。
もう秋だけど我が家の麦茶のパックは未だに終わらないのである。

さて、私は今海を目指している。
海だけでいえば学校の裏にも見えるのだけれど、私はちょっと遠くの海に行くことにした。
遠くの、なるべく遠くの海。
それから綺麗で人のいなさそうな…まあ、これは海水浴のシーズンも終わったから大丈夫だとは思うけど。

そのためには始発電車に乗って、何本か乗り継がなければいけなかったので、今日はとても早起きだった。
小さく欠伸をしながら、流れていく景色をぼーっと眺める。

海に行こうと思ったのにそんなに大きな理由はない。
ただ静かに眺めてみたいなと思っただけなのだ。
もちろん海に入ろうとかは思っていない。
思っていないけど、一応着替えは一式持ってきてある。
あくまでも一応だから。一応。

今週一週間何があったのかとかクイーンのパーツの予備とか、そんなことを考えていたらぷしゅーという気の抜けるような音がして電車が止まる。

「あ、着いた」

私は勢いよく席から立ち上がると、電車の扉からホームへと降りた。
ホームの空気は海の匂いがして、ちょっとしょっぱい。
鼻をひくひくさせながら改札を出て、持ってきた地図を見ながら砂浜に下りられる場所を探す。

「う〜。海だー!」

もう夏の名残のない砂浜を駆けてみる。
砂も熱くない。
殺人光線染みたギラつく日光もない。
あるとあるで嫌だけど、ないとないで寂しい。
うむ。これはなんとも虚しい。
やっぱり海は夏に来るべきものですね。

私はとりあえずリュックから一人用のレジャーシートを取り出す。
それを砂浜に敷いて、腰を下ろした。

さて。
ただ思いつきで来たので本当にやることがない。
青い海を見つめる。
期待通りの展開なのに…ああ、一瞬でも満たされると本当にやることがないのです。
手の中のCCMをパコパコと開閉してみるけど、暇つぶしにもならない。

「うへ〜…」

潮が満ち引きする優しい音を聴きながら、しょうがないので私は記憶を引っ張りだして、小さい頃からの思い出を振り返ってみることにした。
不毛とはこのことかな。

家族との思い出はすぐに思い出せる。

お母さんの優しい笑い声。お父さんの困ったようなへたれな笑顔。妹の青い目。
お母さんのちょっと嫉妬が滲んだ怒った顔と声。
お父さんの蔑むような、それでいて胡乱な目と表情。
妹の……血まみれの最期の顔。

「うーん…」

我ながらどうなのかなと思う記憶も多いけど、私の大好きな家族の記憶もたくさんある。
頭の中で何回もその部分だけ繰り返していると、なんだかふわふわと不思議な気分になる。
夜中に砂糖たっぷりのホットミルクを飲むみたいな…優しくて、勝手に作ってちょっと後ろめたい感じ。

膝に顔を埋めながら記憶を一つ一つ探っていく。
お腹が空いたので、お昼ご飯にまたおにぎりを食べた。
塩をそんなに振り掛けたわけじゃないのに、しょっぱかったからこれが海の味かなあなんて思ったりした。

それから夕方には砂浜を散歩していたお爺さんとワンちゃんに会って、ワンちゃんのお腹を撫でさせてもらった。
「うりゃうりゃ」と遠慮なく撫でると気持ちよさそうにお腹を見せてくる。
犬って飼ったことないけど、いつか飼えるかなと無理なことを考えた。

そんなこんなで、太陽が水平線に沈もうとしている。
だけど私は帰る気にはなれなくて、煌めく一番星を探したり砂で遊んだりしながら時間を潰した。

「真っ暗だあ」

ぽつりぽつりと街燈の明かりが見えるぐらいで、他に頼りになりそうなものはない。
そろそろ帰るべきかなと思いつつ空を見上げる。
広がるのは文字通りの満点の星空。
名前も知らない星々が一生懸命に輝いている。
次に暗い海を見た。
昼間とは違う冷たい真っ黒な水が揺れている。

「……まあ、誰も見てないことですし…」

きょろきょろと辺りを見回して、それからリュックの中から着替えとタオルを取り出しておく。
ローファーを脱いで、タイツをどうしようかと悩んだけど、代えがあるのでいいかと思ってそのままにした。
帽子だけは代えがないので、改めて周囲を確認しながら慎重に真っ白な帽子を取る。

そして…

「ダーイブ!」

掛け声と共に真っ暗な海に飛び込んだ。

大きく跳んで、ちょっと深いところに落ちる。
バシャンという大きな音とゴポリという泡を吐き出す音がした。
さすがに水が冷たいので「よいしょ」と言いながら、砂浜の方に向かう。
そのままごろんと寝転んだ。

潮が満ち引きする優しい音が耳に直接響く。
寄せては返す波が髪を揺らす。
どれもこれも母親の愛みたいに優しくて、柔らかくて、思わず微睡んだ。
羊水の中ってこんな感じかな。もう少しあったかいかもしれない。

波の音につられるように、お母さんのお腹の中で聴いたかもしれない両親の優しいはずの声を思い出してみる。

一緒に栄養を分け合い、同じ音を聴き、一緒に微睡んだわたしのことを想う。

そうやって、もうどこにもいない人たちを想った。

星空を目を細めながら見上げる。
目の前に無限に広がる星空は、そのうちとろりと落ちてきそうだなあ。
ほら。星を閉じ込めた黒い雫が落ちてきたら、それはそれでメルヘンでいいじゃないですか。

カズ君あたりには馬鹿にされそうだけど。

「……泣きたいなあ」

辛くないけど、悲しくないけど、嬉しくないけど、楽しくないけど、怒ってないけど。

ちょっと泣きたくて仕方がなかった。

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