*「Garden」の続きとなります。
「神様も知らない (前後編)」と「Garden」を読んでいないと分からない部分もあると思うので、そちらを読んで頂けると幸いです。
時系列としては終盤、最終決戦の少し前ぐらいです。


「サターン」へ追い付こうと飛行する「イクリプス」の通路の先、ちょうど影になっている場所から、ひそひそと話す涼やかな声が響いた。

「はい…わかりました。
こちらの用事が終わったら、すぐにそちらに向かいます。
はい」

白いCCMを耳から離し、雨宮ヨルは溜め息を零す。
じっと手元のCCMを見つめ、それが軋むほど強く握りしめる。

ギチギチという音がどんどんと強くなっていく。

ギチギチ。ギチギチ。

まるで首を絞めるように、底知れない怨嗟を込めるように。
強く握り過ぎて、その白い手がより白くなっていくのを、僕は見ていられなかった。

「それ以上握ったら、CCMが壊れる」

「…………」

僕の言葉に彼女が顔を上げる。

暗闇にしか生きることを許されない怪物のように、青い目がぞっとするほど冷たく、暗い光で僕を見た。
嫌にゆっくりとした呼吸が恐怖を煽る。

「ああ。ジン君か…」

氷のように冷たい声が背筋を撫でた。

雨宮ヨルはCCMをポケットに仕舞い、ゆっくりと動き出した。
影から漸く彼女が出て来る。

白い光を反射し、亜麻色の髪が繊細に輝く。
どろりと濁った青色が静かに僕を見上げた。
暗い色をしてなお、その瞳は美しく揺蕩っている。
ただ、その美しさは人間らしくない。

まるで、人間の形をした美しい怪物を見ているようだ。

彼女は影から少しだけ出ると、そこで立ち止まった。

「……何か、あったのか?」

僕がそう訊くと、彼女はすうっと目を細めた。

その眼差しに、冷たい手で心臓を握られたような錯覚に陥る。
僕の心臓を握りつぶそうと、白く細い手が待ち構えている。

「病院から、電話。
それだけ」

「病院」という言葉だけで全てを理解する。

母親に何かあったのだ、と。

そのことに思わず、彼女から目を逸らしてしまう。
僕のその態度に彼女は何を想ったのだろう。

「気にすることないよ。
覚悟していたことだから」

地の底を這うような冷たい声が、途端に色を変えた。
柔らかい、黄金に輝く蜂蜜色。

その声を聞いた時、僕の心臓を握りつぶそうとしていた白く細い手が溶けてなくなっていくのがわかった。

逸らした視線を雨宮ヨルに再び向ける。

青い瞳からは怜悧な光が消え、ただ寂しげに揺らめいていた。
暗く濁った青の中に、透明な何かが沈んでいる。

「心配では…ないのか?」

「心配だよ。
でも、今すぐに行けるわけじゃないし、檜山さんを倒さないと病院どころじゃないから。
やるべきことはやらないと、お母さんはきっと褒めてくれない」

そう言って、無理矢理笑った。

その言葉は心からの言葉なのだろう。

心配でありながら、冷静さを欠いていない。
冷静さを欠いていないだけに、その盲目さが際立つ。

僕にはあの母親が彼女を褒めるとは思えなかった。
そもそも認識しているかすら定かではない。
今は隠れているであろう腕や足の包帯が、彼女が来ると暴れるというその態度が、何より…彼女の無理をしていると解る笑顔がそれを物語っている。

「……褒められたいのか?」

僕がそう訊くと、彼女は驚いたように目を見開く。
見開いた青い瞳切なそうに緩め、そして、薄く微笑んだ。

「ジン君は、褒められたくないの?
お祖父さんに褒められて、嬉しくなかった?
バン君に強いって言われて、嬉しくなかった?」

優しい声で逆に僕に質問する。

僕が強くなった原動力はそこにある。
そんなことは解り切っている。

だからこそ、雨宮ヨルにとっての救いが何処にもない。

「……ああ。そうだな」

苦々しい気持ちで言葉を吐き出すと、反対に彼女は柔らかく笑う。

まるで解っていないかのように。
実際は全て理解しているだろうに。

「君は褒められたいから、ここにいるのか?」

なるべく重い声にならないように、尋ねた。
彼女は僕の質問に少しだけ息を呑む。

それはどうしてだろう。

彼女はしばらく俯いてから、口を開いた。

「……そうだね。
褒められたいよ。頑張るから、たくさん褒めて欲しい。
それにお母さんを守らなければいけないから。
………世界のためにじゃなくて、お母さんのためにここにいる。
自分勝手な理由だよ。
バン君たちみたいに、純粋じゃない。
……怒る?」

彼女は未だに影の中にいながら、少し首を傾けた。
瞳は寂しげに揺らぎ、白い指が小さく震えている。

僕はその問い掛けに、静かに首を振る。

それに安堵し、雨宮ヨルは青い瞳を揺蕩わせながら、「ありがとう」と呟いた。

「………君は本当に母親が好きなんだな」

僕はそれがとても残酷なことのように感じながら呟いた。

彼女は母親に褒められたいと言う。
ただもうすぐ死ぬから優しくしているだけの相手になら、そんなふうには思わないだろう。

大切な人から褒められたいのだ。
認められて、それから…それから…

「うん。大好き。愛してる。
だから、ここにいるんだよ」

青い瞳が強い意志を持って、僕を見つめる。
その感情は本物だ。

純粋で暗く濁った、本物の感情。
それをいつまで持ち続けるのだろうか。
相手が亡くなっても、持ち続けなければならないのか。

僕を赦したようにはいかないのだろうか。

「……相手が愛してくれるとは限らないだろう」

僕は知らず、そう呟いていた。

雨宮ヨルが僕の言葉に驚いたように目を丸くした。
僕の言葉は予想していなかったのか、それがしばらく続く。

彼女はゆるゆると青い瞳を元に戻していく。

そして、また柔らかく微笑んだ。

「愛してくれなくても、愛するのはいけないこと?」

僕の目をまっすぐに見つめ、彼女は静かに言った。
透明で、切ない声。
彼女は首を少しだけ傾げ、亜麻色の髪が肩から砂のように零れ落ちる。

それを言葉もなく、ただ見ていた。

返す言葉がない。
僕にはその感情は分からない。

「あれ? ヨルにジン。こんなところで、どうしたんだ?」

そのまま見つめ合っていると、後ろから声を掛けられる。

バン君の声に反応して、雨宮ヨルが漸く影から出て来た。
いつもの誰かを模したような笑顔を浮かべている。

その表情の変化にぞっとするが、悪意はなさそうだ。
ただ心配させないために、表情を作ったのだろう。

「ちょっとお話してたんだよ。
LBXについては、ジン君の方が詳しいから。
ね? ジン君」

明るい声を出して、彼女が僕に同意を求める。
僕もそれに頷いた。
誰かに今の話をする気はない。

「ああ」

「そっか。
あ、今からオーディーンの調整するんだけど、ヨルとジンも来る?」

「私は…ちょっと連絡しなきゃいけないところがあるから、後で行くよ」

「じゃあ、ジンは?」

「僕も少し用を済ませてから行かせてもらうよ」

「分かった。じゃあ、待ってるからな」

バン君は残念そうに手を振ってから、僕たちに背を向けた。

雨宮ヨルはそれに軽く手を挙げることで応える。
僕もそれに倣って、同じように手を挙げた。

バン君の姿が見えなくなると、彼女は僕を見上げて、微笑んだ。

「そういうことだから、私、連絡するところがあるから」

青色を暗く濁らせながら、僕の横を通り過ぎる。
亜麻色の髪が、白い光を浴びて、とろりと黄金色に輝く。
頼りない小さな背中が遠ざかっていく。

もう追いかけて来るなと言うような背中だった。

それもそうだ。
それを望んで、彼女は忘れてもいいと僕に言ったのだろうから。

だからこそ、僕はその場に立ち尽くすしかなかった。




back

- ナノ -