空き部屋を貸して欲しい、とヨルがジェシカに頼んでいるのを見かけた。

「いいけど、何に使うの?」

「ちょっとね。
二月が終わるまでで良いんだ。
ちゃんと片付けるし、使い方も話すから」

「空き部屋なんて倉庫以外使い道ないから、別にいいわよ。
あ、もしかして、バレンタインか何か?
私も手伝いましょうか?」

ジェシカのその提案にヨルは首を横に振る。

「一人で出来るから大丈夫。
でも、材料集めとかで何か訊くかも…です。
上手くいくかどうかわからないから、成功したら話すよ」

「オーケー!約束よ。
部屋の大きさはどれくらいがいい?」

会話はそこまでしか聞くことが出来なかったが、ヨルは何をする気なのだろうか。

少し訊いてみようかと思いつつ、それは過保護すぎるか干渉しすぎではないかと悩む。
しばらく悩み、とりあえず訊いてみようかと思う。
何か抱え込んでいるようなら、その時はその時で考えよう。
そう思っていた時だ。

「……ジン。
そんな真剣にヨルとジェシカ見てると……変だよ?」

ランが後ろから僕に向かって呆れたような視線をしながら、溜め息混じりに言った。
その視線は……あまり良いものではなく、どこか侮蔑を持っている気がする。
もちろん、それが冗談であることは解るが……僕の行動はそんなにだったのだろうか。

「変だろうか?」

「うん。変っていうか、ジンはヨルには過保護だから、今更なんだけどさー」

彼女にしては珍しく「ほどほどにしなよ」と釘を刺し、僕の肩を叩く。
しかしランもヨルのすることに興味があるのか、すぐにヨルたちを追いかけていった。
楽しそうなその姿にどこか安堵しつつ、その様子に心配することはないかと思う。

………やはり過保護すぎるか。

「…普段通りだと、思うが」

こう思うことこそが、過保護であることの証拠であるのだが。


その日から、ヨルは忙しそうに何か色々と作っているようだった。

「何をしているんだ?」

「ええ、と…い、色々、かな?」

訊いてはみたが、教えてはくれなかった。
むしろ会う度に逃げられるのは逆に心配になるので、余計によく注意してヨルを見ているようになった。


NICSにある図鑑という図鑑を引っくり返し、色とりどりの魚たちを画用紙に描いていく。
ジェシカから借りたらしいクレヨンや色鉛筆、水彩絵の具で丁寧に描いていく。
ただし、丁寧に描いているからと言って…絵が上手いわけではない。

「ヨルさん。これは……クジラですか?」

「アザラシじゃないのか?」

「……それはイルカです」

バン君とヒロにイルカをクジラとアザラシに間違えられ、夜中まで必死に模写していたのを見た時は……申し訳ないと思ったが笑いそうになった。
まあ、練習の甲斐あって、その後はだいぶ上手くなっていたが。


ランやジェシカと大量の青いカーテンや布きれ、ビニール布を抱えている姿も見た。
ジェシカがカーテンを得意げに広げながら、ヨルに言い放つ。

「ふふん。パパの部屋から奪ってきたとっておきよ。
好きに使っていいわ」

「本当にいいのかな?
結構新しいよ」

「いいのよ。
仕事ばっかりで家には帰らないし、ママも良いって言ってたもの」

「こっちの布きれも綺麗だよねー。
コスプレ衣装のって、案外ちゃんとしてるんだ。
ホログラムの方もオタクロスからぶんどって来たから、ばっちりだね!」

「……後で返しに行こう」

………一部の人間は泣きを見たようだが。

ジェシカが用意した部屋で、カーテンや布切れがどのように形を変えるのかはわからないが、あまり無残なことにならないように祈ろう。


時折、一人でどこかへと行くのも目にした。
気になったので尋ねてみたが、行き先を教えてはくれない。
ただユウヤを引き連れて行くことは見たことがある。
彼に何をしていたのか訊いてみると、少しからかうような調子で答えてくれた。

「写真を撮ってたよ。
ポラロイドカメラでたくさん」

「写真?」

「うん。楽しそうだった。何を撮ってたとかは言えないけどね」

ヨルに写真の趣味なんてあっただろうか。
考えてみるが、思い当たる節はない。
趣味といえばLBXぐらいなものだが……。
とはいえ、今のヨルは楽しそうであり、それを止めようとは思わなかった。

…思わないが、僕と目が合うと逃げるのだけはどうにかならないのだろうか。


「ジン」

背後から声を掛けられる。
振り返るとそこには亜麻色の髪を跳ねさせ、紙屑や糸くずを服に付けたヨルが立っていた。
一年前からあまり成長していない体で、危なっかしく僕へと駆け寄る。
普段なら危ないとは思わないが、徹夜でもしたのか足元がふらついている。

「どうした?」

僕は自分からヨルに近づき、跳ねた髪を直し、服を軽く払う。
いつもならここで「自分で出来る」と言って拒むのだが、今日のヨルは興奮気味のようで、気にせず僕に尋ねてくる。

「今、時間、大丈夫?」

「問題ないが…」

「じゃあ、見て欲しいものがあるんだ。
やっと完成したの」

そう言うと強引に僕の腕を引っ張って行こうとするのだが、足元がふらついているので自分の方が引っ張られるよな形になってしまう。
本来なら「寝ろ」と言いたいところだが、こんなヨルはほとんど初めて見たので止めるに止められない。
仕方がないので引っ張られるような形にしつつも、こっちも彼女の手を引っ張って倒れないようにする。
こういう時の彼女はひどく不安定で幼い。
年齢は同じだというのに、これほど精神的に差があるように見えるのは何故だろう。

そのまま引っ張られていると、少し前から彼女がよく出入りしていた空き部屋の前まで来る。

「え、と…開けるね。
完成してから、一番最初に見せたいと思ってたんだ」

少し緊張したように、ロックを解除して扉を開ける。

扉の先は、海だった。

擬似的に造り出された、海底。
画用紙の魚たちが泳ぎ、青いカーテンや布切れが水中や波をつくる。
ポラロイドカメラで撮ったらしい写真が、カーテンに何枚も貼られている。
ホログラムが海底の独特な光や砂を映し出す。

「これは……?」

「海…じゃなくて、似てないけど水族館。
ずっと前にジンと行ったのを思い出しながら、作ってみたんだ」

ヨルはやりきったというようにそう言った。
所々糸のほつれや絵具の掠れは見えるが、この空間は言われてみればあの水族館を思い出せなくもない。
子供部屋のようだと思ってしまったのは伏せておこう。

「足元がふらついていたのは、これを作っていたからか」

「うん。
最初は…一人で出来るんじゃないかと思ったんだけど、みんなに手伝ってもらったんだ。
でも、予想以上に時間掛かった。
時間は掛かったけど、楽しかったなあ」

思い出したのか、ヨルはぎこちないが楽しそうに笑う。
もっと年下の子供のように。

「え、と…どうかな?」

青い目を優しく揺らめかせながら彼女が訊いてくる。
純粋で濁りがなく、どこまでも澄んでいる。

同じようにこの空間も。
一生懸命さや優しさが滲んでいるのがわかる。

それと同時に年齢に似合わぬこの空間が、とても奇妙なもののようにも見えてしまう。

「綺麗だと、思う。
でも、どうして…造ったんだ?」

「どうして……って、なんとなく?
あの時、楽しかったなと思って…それを思い出して。
青は落ち着く色だから。
それから、二月って丁度良さそうだったから。
それじゃあ、ダメかな? 私は良いと思うんだけど。
あ、いけないことだった…?」

ヨルが今度は慎重に訊いてくる。
その目は少し怯えていた。僕に対して、そうする必要はないというのに。
僕はそういう関係を彼女に求めている訳じゃない。

「いいや。
良く頑張ったな。ヨル。
だが、睡眠はしっかり摂るんだ。
足元がふらついている。
部屋まで送るから、少し眠るんだ」

そこだけは釘を刺しておくと、彼女は少し唇を尖らせながらも大人しく言う。

「………わかった。
その後はユウヤやランたちにも見せる。
喜んで、くれるかな?」

ヨルはやはり興奮したように、少し頬を上気させながら呟いた。
僕に尋ねたというよりは、自分自身を励ましているようだった。

画用紙の魚やイルカが揺れる。
写真の中の魚も泳いでいるように錯覚する。
青いカーテンが揺蕩っている。

ヨルの亜麻色の髪や青い目、白い肌に青い光が映り、何か別の世界のような美しさが今の彼女にはある。

それを綺麗だと感じながら、僕も独り言のように呟く。

「大丈夫だ。喜んでくれる」

僕がそう言うと、ヨルは小さく笑ったようだった。

「うん。そうだと……いいな」

夢見るように透明な声が、青い空間に響いた。



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