* 「深海の歩き方」の別視点のお話となっています。





ユイの時と同じ夢を見ます。

つまりは結局のところ、演者はヒトリということなのでしょう。
それを考えると、私の中には不思議で複雑な感情が生まれてきます。

寂しいような、悲しいような、叫びだしたいようなそんな感情。

もう長いこと、色々なことに対して麻痺してしまった私にとって、それはとてもとても興味深く大切で忘れてはいけないことのように感じられました。

だから、私は夢の中だと常に微笑んでいるように思うのです。
遥か彼方にある一筋の光を見つめながら、精一杯微笑むのです。

暗い海に沈んでいきます。
ぶくぶく。ぶくぶく。
私の見つめる先には一筋の光があり、きっとあそこに辿り着けば…私は私らしくいられるのではないかとそんな錯覚を覚えてしまいます。

でも、私はそこを目指そうとは思いません。
そこはユイのいるべき場所であり、決して私がいるべき場所ではないのです。
私はただ沈んでいくだけ。
ただただ…私は見ているだけでいいのです。
彼女の幸せが私の幸せに間違いはないのですから。
それを見守っているだけで、私はもう十分なのです。

いつになったら、底に着くのでしょう。
いえ…底に着く日が来るとしたら、それは本当の…ユイがあの場所に辿り着く日なのでしょう。
私はそれを見る日は来ないのだと思います。
とても残念ではありますが、彼女が笑顔であればそれでいいと私は心の底から思うのです。

視覚的に泡が光に上っていくというのに、音のしない…完全なる無音の空間。
ユイである時と違うのは、音というものが存在しないことでしょう。
私の場合夢から引き離される時というのは、まず音が蘇るのです。

今回もそうでした。

ごぽり。
泡が生まれる音に、私は目を醒まします。


***


ゆっくりと目を開けます。

ほう…と小さく息を吐きました。
そうしながら、目の前を見ると紅い瞳が映ります。

彼だなとすぐにわかりました。

「…何をしているの? ジン」

「君こそ、何をしているんだ」

「…寝てた」

「寝るなら図書館の中の方がいいだろう」

「…だって、中を見たら結構人がいたんだもの。
その点、ここなら暑いから人があんまり来ないし、寝首をかかれる心配はないでしょう?」

彼の当然の意見に、私は人の悪い顔を浮かべるようにしながら、そんなことを言いました。

もちろん、嘘です。
本当は…家で眠ることが嫌になって、でも誰にも寝顔を見られたくなかっただけなのです。

彼はその瞳を細めながら――私はきっと嘘だと思われているんだろうなと思いながら、その手にあったペットボトルを放り投げました。

「ほら」

私は慌てて、それを受け止めます。

「…ありがとう。ジン」

私はそれをイオらしい動作で受け取りながらも、頭の中がよくわからない感情に塗りつぶされていくのを感じていました。
もしも、私が入り込む隙があったのなら、喜んでいたかもしれません。
喜び方を忘れていなければいいのですが…どうでしょうか。
落胆する日々は多いですが、喜びのある日々というのはもう記憶の底に埋もれているようでなかなか思い出せませんでした。

私は些末なことは頭の片隅に追いやり、ベンチの右側をぽんぽんと叩きます。

「ジン。
暇なら、少しだけ一緒にいましょう」

私のその誘いに彼は少し驚いたようでした。
断られるかなと思ったものの、害はないと判断してくれたようで頷きながら、隣に腰掛けてくれます。

「…少しだけだ」

「ええ。少しだけ」

彼が座るのを待ってから、私はペットボトルの蓋を開けました。
少し緊張して、手が震えるのを押さえていると必然的にゆっくりとした動作になってしまいます。

私は多少温くなった水に同じようにのろのろとした動きで口をつけました。

誰かにもらったものを、ユイに送られたものではないものを口にするのはひどく久しぶりでした。
私はまるで天国の水を飲むかのように、確かめるように慎重に飲んでいきます。

「ふう。生き返ったー」

「熱中症にでもなりたかったのか」

「うーん…。昼寝のつもりだったから、それほど眠るつもりはなかったのよ。
でも、疲れてたのね。久々によく寝たわ」

決して嘘ではないことを私は口にします。
暑いですが、ここはあの家よりも幾分マシなように感じられる私は親不孝だと思います。
自分が情けなくなり、私は顔を俯かせました。

「よくこんな暑い中、熟睡できるものだな」

「あらら。暑いのがまたいいんじゃない。
この気怠い感じ、嫌いじゃないわよ。
それに、家の中は寒すぎるのよ」

「……?」

思わず、素直な感想が口をついて出てしまい、急に私は恥ずかしくなりました。
幸い少しばかり俯いていたので彼には分からなかったようですが、大切な家族がいる家を寒いと表現するとは恥さらしもいいところです。

やはり、私は親不孝だなと思います。
ユイだったら、もっと上手に返答できたはずなのに、私は少しでも彼女から離れてしまうとこんな失敗ばかりします。

きっと心が酷く醜いからでしょう。
ユイはこんな私を…この青い瞳と同じように澄んでいると言ってくれたのに…。
本当の私はひどく淀んでいるということを実感します。

私は苦し紛れに彼から貰った水を飲み干します。

そうすると、すうっと心が澄んでいくような錯覚に襲われます。
温くて、きっと美味しくないと普通は感じるのでしょうけれど、私はそれがとてもとても素晴らしいことのように…あるいはそんな単純に錯覚する自分に幻滅するような気持ちになりました。

こくんと最後の一滴が私の中に沁み渡ります。

「…うん。美味しい」

本当に私はそう思いました。

彼はそんな私の発言をおかしく思ったのでしょう。
訝しげな表情を浮かべます。

だから、私は精一杯微笑んでみせます。

だって、彼に見捨てられたら…私はもう私を見つけてもらえる機会を失ってしまう。
それは…それだけは避けなければ…。

酷く自分が傲慢だと感じながら、私はふと思いました。

もしかしたら、彼が私の光なのかもしれないな…と。

きっと思い違いでしょう。
それに本来その光を手に入れるべきなのは私ではないのですから。

私はただ…見守っているだけで、いいのですから。


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