72.Solitude (73/76)


ぎこちない笑顔に泣きたくなった。

泣くな。泣くな。絶対に泣くな。

私が先に泣いたら、ヨルが泣けなくなるから、絶対に泣くもんか。


山野博士が扉の向こうのバン君に通信を終えるのを確認すると、私を一度見てからヨルちゃんが言った。

「行こう。ジン、山野博士」

二人にそう声を掛け、くるりとヨルちゃんが私に背中を向ける。

山野博士はそれに寂しげに頷き先頭に立つ。
その口が「すまない」と小さく開くのが見えた。
ジン君は私とヨルを交互に見て、少し迷ってから口を開いた。

「いいのか?」

念を押すように、私とヨルに向かって言った。

「いいんだよ。
これで、いいの。
ユイとはちゃんと別れを言えたんだよ」

無言の私に代わるようにヨルがジン君に言った。
私もそれに同意するように頷く。
言葉を交わさないのは油断すると泣きそうになるからであり、そしてお互いに覚悟を崩さないように。
それがどれだけ強く脆いものかをわかっているから。

「………そうか」

ヨルが納得したならと。

そして彼は私にもう一度向き直ると、どこかやるせない表情をしながら呟いた。

「ありがとう。ユイ」

その言葉に私が静かに頷いたのを確認すると、彼はふらふらとするヨルの傍に付きながら長い通路の向こうに消えていく。
紅い目が最後まで私を心配そうに見ていた。
それに柔らかく笑いかけ、私は視線をヨルに移す。
振り返らないと知っている。
それでも見つめていると、ヨルが右手を少しだけ挙げた。
私も右手を挙げて手を振る。

「さて…と」

私は背後の大きな扉のロックに手を這わせる。
目を閉じ、段々と消えていく自分自身を認識しながら、頭の中で数字を組み出し始めた。


■■■


人を笑顔にするはずのLBXが、レックスの復讐の証であるイフリートが咆哮する。
泣き叫ぶ猛獣のように。
感情を持ったイキモノのように。

イフリートの胸を貫いて完全に倒したと思ったのに、レックスの叫びに応えるようにイフリートは暴走しだした。

「そうか! そういうことか!」

額を押さえ、レックスが譫言のようにそう呟いた。

「あはははははっ!
バン! これはイフリートの意志だ!」

「えっ!?」

「CPUが俺の感情を完全に理解した!
俺の憎しみが完全にイフリートに宿ったんだ!」

「そんな…っ!」

ありえない。そんなこと…。
でも、そうだ。
ユイだってそうだったじゃないか。
感情を持って本物を理解しようとしていたし、事実まるで人間のようだった。
本当にイフリートはレックスの憎しみを宿したのか。

それを証明するかのようにイフリートが叫びを上げ、俺たちに攻撃を仕掛けてきた。
禍々しい色をしたエネルギー弾がレックスを襲って、レックスはバランスを崩して機械に頭を打ち付けた。

「あっ!
レックス…」

「見ろ、バン!
あれが…本当のモンスターだ」

レックスの視線に合わせるようにイフリートを見上げる。

レックスの言うように、本当に化け物だ。

「止めてみせる!! この俺が!」

傷ついたオーディーンでイフリートに立ち向かう。
フレームに似合わない素早い動きで頭を掴まれ身動きが取れない。
そのままグラビティ・ポンプ内に連れ込まれる。

「オーディーン…っ!」

「無駄だ。
もう誰にもイフリートは止められん」

「止めてみせる!
そうじゃなきゃ、これまでの俺たちの戦いが……父さんが止めようとしたこともユイの決意も、ヨルやジンの苦しみも……悠介さんの命も…全部、全部無駄になる!!」

イフリートの胸部に向かって刃を突き立てる。
それを避けられても次の攻撃をやっても、暴走する動きに操作が付いていけない。
エクストリームモードが出来ない今、感覚でその動きに付いて行こうとするけれども、避けられるたびに動きが鋭くなっていく。
追いつけるか…!

「止めるんだ…!」

頭を掴まれ、何度も壁に打ち付けられる。
何度か戦ったレックスなら癖がなんとなくわかるから、それで避けられる部分も多かった。
暴走したイフリートの攻撃が読めない。
フレームのひびが大きくなっていく。
オーディーンの集音マイクからミシミシという嫌な音が聞こえてくる。

「オーディーンも限界だ。
もう諦めろ。バン」

勝ち誇ったようなレックスの声がした。
追いつけない。
勝てない。
でも、それでも…目の前の事実が例えどんなものであったとしても…!

「……俺は絶対に諦めない!
今ここで諦めたら、本当に何もかも終わってしまうんだ!
だから、絶対に……!」

諦めない。何があっても諦めることだけはしちゃいけない。

「何か…何か方法があるはずだ…」

「そんなものがあるわけない。
俺自身であるイフリートの憎しみに、子供のお前が勝てるはずがない」

レックスが微かに笑いながら、自分の憎しみで希望を潰そうとしているのがわかる。
このまま負けるのか。
そう思ったとき――



「いいえ。
貴方の憎しみを打ち破る手段はありますよ。
檜山さん」



声が、聴こえた。
スピーカーから聴こえてくるどこか機械染みたような声じゃない。
背後から少し前までよく聴いていた声が…。

「ユイ……!?」

消えたはずのユイが小さく開いた重い扉を背にして立っていた。
ヨルの髪は亜麻色になっていたから、あれはヨルじゃない。
なら、目の前のユイはもしかして…アンドロイドの…?
機械とは思えない見慣れた笑顔。
ふんわりと笑って、でも一瞬で顔を引き締めてゆっくりとこっちに向かって歩いてくる。

「ごめんね。
遅くなったけど、手助けに参上しましたのですよ!
バン君」

「手助けに来たって……消えたはずじゃ…」

「うん。
でも、あの子を放っておくわけにはいかないから。
檜山さん。
イフリートに私のデータ、多少なり使いましたね?
おかげで居心地が悪くて、ここまで来ちゃいましたよ」

今からスキップするぞというような雰囲気で俺たちに近づくと、のほほんとした顔でそう言った。
レックスはユイを睨みながら、ふっと鼻で笑う。

「ああ。そうだ。
戦闘において経験は重要な要素だからな。
少し拝借した」

「やっぱり!」

その答えにユイの方も何故か嬉しそうにする。
俺はその状況に唖然としながらも、何か違和感を感じた。
目の前のユイにじゃない。
イフリートの動きが少しだけど鈍くなっている気がする。
目でその動きを少しだけ見ることが出来る。

「うん。良かった。
そうじゃなかったら、私の出番がなくなるところでした。
バン君の助けにもなれる」

「…え?」

「まさか…お前…」

頭を強く打って動けないレックスの横を通り過ぎると、コンソール前の俺の横に並んだ。
横に並ぶと、やっぱり笑う。
でも…なんだろうか。
どこか違うと直感的に思った。
俺たちが見てきた笑顔はヨルがユイらしくしたもので、それを元にしたはずなのにあるはずの感情が違う気がした。
ユイらしくないユイがいる不思議な感覚。

ううん。ヨルでもない本当のユイでもないユイ自身を見ているのかもしれない。

「バン君」

少し乱れた声で俺を呼んだ。

「私がイフリートの動きを鈍らせる。
倒すことは出来ないけど、それは出来るんだ。
だから…イフリートを止めてあげてよ」

「そんなこと、出来るのか?」

「うん!
あの子は私と同じような場所から生まれた同類だからね。
出来るよ。
ちょっと私じゃあ性能が劣るけど……出来る。
今のイフリートに少し私の持ってるデータを流し込んであげればいい。
感情データは重いから。
イフリートがどんなにすごいLBXでも壊すことは出来なくても、動作を鈍くさせることはそんなに難しいことじゃないんだよ」

ユイは明るくそう言うと、両手をそおっとコンソールへと置こうとする。
そのとき、ぎちぎちとユイの指先から音が聞こえた。
よく見れば指の動きがぎこちない。


「本当にそれでいいのか。ユイ」


ユイの動きが、止まった。
キュルキュルとした何かを巻き上げるような音をさせながらレックスの方を見る。
その目も同じような音をさせて見開いた。

「自己保存をしないというのか。
わざわざ確立した自分を捨てるのか。
お前の大切な妹を独りにするのか。
こんな腐った世界のために」

「…………」

「レックス…」

レックスの言葉にユイは無言になる。
その様子をさっきよりも少しだけ鈍くなったイフリートの攻撃を防ぎながら窺う。
今『必殺ファンクション』を撃てば当たるんじゃないか。
でも……

「みんなにそれを聞かれますけど……」

ギリギリとした音を立てながら、ユイの手がまた動き出す。
さっきよりもずっとゆっくりとした動きでコンソールへと手を置いた。
触れた部分が光り出して、画面が0と1で埋め尽くされていく。

「自分から消えにいくのは、そんなに悪いことなんですか。
大切な人のためにでも?
檜山さんだって、きっかけは家族じゃないですか。
同族だと思いますよ。私たちは。
それに……」

オーディーンに振り下ろされる拳が鈍くなっていくのを感じる。
どうやってるのかはわからないけれど、確実にスピードがなくなってきている。
ユイが少しだけ苦しげな表情をしたけれど、それでもレックスへの言葉を止めず、手もコンソールから動かさない。

「私は私のためにこうしてるんですよ。
私はユイで与えられた名前もその通りですけど、行動はユイを模したヨルそのものなんですよ。
私はユイで姉で家族で、そしてそれ以前にヨルでもあるんです。
私は私を守るために『腐った世界』を助けるんです。
これから生きていく私のためにそうすることの何がいけないんですか。
何もいけなくありませんよ。

家族を守るのは当然です。ヨルがそうしたように。
お姉ちゃんが妹を守るのにも理由はありません。
そして……私が私を守ることに何も理由はいりません。
自己防衛ですもん。
自分の幸せを願うことと未来を守ることは『人間』の当然の行動ですよー。

それに今までああやってヨルも生きてこれたんです。
檜山さんが想像してるよりも世界は腐ってなんかいませんよ。きっと。

守るべき…ううん、私が守りたい世界です。
独りになっても寂しくなんてありません」

歪な音を立てながらユイがコンソールに手を押し付ける。

その考えはとてもヨルに似ている。
言われて、俺もなんとなく理解したような気がした。
ヨルをそこに見た気がしたんだ。
あの…自分を傷つけ続けて家族を好きだという姿に、似ていた。

「………お前は…」

今度はレックスの目が丸く見開かれた。
イフリートの動きがどんどん重くなっていく。
隣のユイと同じようなギチギチという鈍い音が聞こえてくる。

「ユイ…」

「バン君。
今だよ」

「……わかった!」

イフリートと距離を取る。
すぐにやってくるはずの攻撃は来ない。
動きが鈍くなっている証拠だ。

「『超プラズマバースト』!!」

《『アタックファンクション 超プラズマバースト』》

タイミングを合わせて、かつてレックスに教わった技をイフリートに叩き込む。
エネルギーの嵐に飛び込むようにしてイフリートの胸部を貫く。
イフリートもそれを防ごうと武器を掴んでくるけれど、その瞬間に合わせるようにしてユイの手の光が増すとイフリートの力が緩んだのがわかった。

「いっけええええ!!」

そのままの勢いでイフリートを貫いた。
その背後に着地するとひびの部分から光が広がっていき、それに包まれるようにしてイフリートは爆発する。
爆風がグラビティ・ポンプ内に吹き荒れた。

「イフリート…!」

よろりとレックスが立ち上がる。
その手は何かを掴むように上げられるけれども、何も掴めずに終わった。
ユイはその姿をキュルと瞳を動かしながら見つめる。
それからギリリと首を動かして、グラビティ・ポンプに向き直って、そこから帰ってきたオーディーンを目で追った。

「ごめんね。
おやすみだよ。イフリート」

どこかノイズの入った声で寂しそうに呟いた。





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