71.祈りはここに (72/76)
お祖父様を、倒した。
正確にはお祖父様の形をしたアンドロイドを倒した。
同じ顔をしただけの別物であるはずなのに、虚無感と罪悪感が溢れだしてくる。
それを全て飲み込み片腕になったゼノンを拾い、壊れたアンドロイドの横を通り過ぎた。
最後に僕に手を伸ばしたそれは、どうやっても僕の知っているお祖父様ではない。
彼は他人に縋るような人ではなく、僕の記憶の中では手を差し伸べるような人だった。
姿が同じだけの偽物だ。
そう自分に言い聞かせ、僕はコックピットを目指す。
巨大な扉の前に辿り着き、パスワードを入力するが開かない。
ここはユイのシステムからも独立していると報告があったので、パスワードは諦めるべきか。
ならば…
「『必殺ファンクション』!」
片腕のゼノンではバランスが悪いが問題ない。
『必殺ファンクション』で扉を壊す。
それしかない。
「待つんだ!」
「! 山野博士!」
『必殺ファンクション』を撃とうとした直前、山野博士からの制止の声が響く。
「バンはこの中に?」
「はい! ゼノンならこのドアを……!」
「いいんだ」
「え…!」
博士の言葉は予想外のものだった。
彼は僕に近づくと、自分の息子を信頼し切った目をして頷いた。
バン君の力強い瞳にとても良く似ている。
親子を感じさせるその瞳は……「親」として理想の色をしている。
これが少しでも、彼女の元にあれば良かったのに。
一瞬だけそんな考えが過ぎり、そんなものはもうどこにもないのだということに気づかされる。
彼女にも、そして…僕にも。
「ここはバンに――」
「ジン!」
山野博士の言葉を遮るように、涼やかな声が通路に響いた。
「…っ。ヨル!」
通路の先にはヨルが何故かふらふらになりながら立っていた。
声を出すのもやっとなのか、何回か吐くような動作をしながら僕たちに近づいてくる。
それは良くはないけれども、理解は出来る。
彼女は医務室で起きた時、自分が嘔吐していないか心配していたからだ。
よく考えればあれは嘔吐が癖になっている人間だからこそ確認したのではないのだろうか。
問題なのは、その後ろ。
ヨルを心配するように少し後ろに付いていたのは……
「ユイ……」
ヨルとは全く似ていない黒髪と焦げ茶の瞳をしたユイが、そこにいた。
双子の妹を感じさせる泣きそうな笑みを浮かべながら。
■■■
CCMを操作して、ヨルちゃんがティンカー・ベルを先行させる。
敵LBXは全部停止しているはずだけど、もしかしたら私から独立して行動しているものがいるかもしれないと思ってのことだった。
吐いたばかりでふらつきながら、彼女は通路の真ん中で残骸となったクイーンを拾い上げる。
フレームはボロボロ。
コアはなんとか機能しそうだけど、データ再生がやっとの状態だろう。
ヨルちゃんはそれをしばらく眺めてから、コアパーツを抜き取り、本体と分けて左右のポケットに仕舞いこんだ。
「行こう」
青い瞳をまっすぐに向け、何回も自分に言い聞かせるようにそう言った。
地図を確認し、時計も確認しながら、彼女と二人で走りながらコックピットを目指す。
本来ならば私が案内したいところだけれど、余分なデータは全部置いてきたので情けないけど「妹」に頼るしかない。
私は久々過ぎて慣れない体で走っていると、ヨルちゃんがくるりと振り返る。
「休む?」
そんな時間なんてないのに、心配そうに私を見つめてくる。
気づけば走っていたはずなのに、彼女の足は走るどころか早歩き程度のスピードに緩められていた。
私は首を横に振る。
「大丈夫だよ。慣れないだけだから」
「……そう。わかった」
なるべくユイらしく笑うと、彼女はそれにやっぱり複雑そうな顔をしながら前を向く。
長い亜麻色の髪が動物のしっぽみたいに揺れる。
でも本人も大丈夫じゃないからか、時々ふらふらと体が揺れる。
壁に手を付いて嘔吐しそうになるのを必死で堪えていた。
その背中を撫でてあげたいけれど、私の手はすでに彼女によって一度解かれ、もう私との別れを覚悟している。
その覚悟を私の方から崩したくない。
だから、伸ばしかけた手を引っ込める。
「ねえ、ユイ」
「ふ、ふえ!」
手を引っ込めたのを図ったかのように、声を掛けられる。
気を遣ってくれたのか、歩調が幾分か遅い。
彼女は今度は振り向くことなく言葉を続けた。
「私、ユイに感謝してる。
多分、すごく、自分で自覚している以上に」
唐突だった。
唐突だったけど、とても誠実で本当のことを言っている声だった。
私の瞳がキュルキュルと小さく音を立てて開かれる。
感情と機械の動作が噛み合うのは、自分のことだけれどなんとなく気分がいい。
私たち機械というものは無意識というものに縁がない。
全部人からのプログラムで動いている身からすれば当たり前なのだけれど。
だから、こういう何も通さずに考える暇なく動作に影響に出る私はやっぱり少し特別。
暴走やバグとは違う、この昂揚感はなんだろう。
「辛いことというか、今も辛いけど…たくさんそういうことがこの三年間であったけど、ユイがいてくれたから、多少は良かったと思う」
「多少なんだね」
おどけたように言ってみる。
いや…多少でもとても良い方なのだ。
雨宮ヨルからすれば。
自覚がどれほどあるのかは、ともかくとして。
「……うん。多少。
でも、その多少で私は救われた。
ユイはお姉ちゃんじゃ、なかった。
記憶の中の鳥海ユイにはならなかった。
違うから、だからこそ…ずっと忘れなかった。
お姉ちゃんの声を忘れずにいられたんだ。
笑顔をちゃんと覚えていられる。
細かい仕草や表情を思い出すことが出来た。
自分になれなくて…苦しかったけど、大嫌いで憎くて仕方がなくて、どうしようもないときや自分の被害者面に嫌になるときもあったけど救われているような気がした。
大丈夫な気がしてた。
色々なことをごまかせてた。
忘れてたら、もっと早く私は飛び降りてた。
貴女のおかげもあって、まだここにいられる。
ここにいられたから、私はちゃんとお父さんとお母さんにお別れ出来た、と思う。
………感謝してる。ありがとう。ユイ」
顔は見えない。
いや、多分無表情な気がするんだけど、今までのヨルちゃんなら考えられなかった。
感謝の言葉は考えられても、その理由が合っていなかった昔に比べれば信じられないことだ。
そうなんだ。ここまで来たんだ。
三年間かけて、やっとここまで来た。
なら、本当にもう十分だ。
「うん。
どういたしまして。……ヨル」
出来るだけ笑顔で、見えないだろうけれど柔らかい笑みを浮かべる。
うん。すごく嬉しい。
あったかい気持ちになる。
これで良かったんだと思える。
それっきり、言葉はない。
歩みを進めていくと、そのうち壊れた海道義満のアンドロイドが現れる。
何かしらの負荷がかかったのか、LBXと機能が連動していたせいか皮下部位から火花が散った跡がある。
ジン君が倒したのか…。
ヨルちゃんは横目でちらりと彼を見ると、興味なさそうな顔をしてその横を通り過ぎる。
でも、その口が微かに動いたのを私は見逃さなかった。
「………ごめんなさい」
同類の私も彼に「ごめんなさい」と声を掛ける。
私もああなるのだと思いながら、その横を通り過ぎる。
ヨルちゃんは短い間隔で吐くような動作を繰り返しながらも、一歩ずつ前に進んでいく。
そのまま通路を進んでいくと、大きな扉の前にジン君と山野博士が見える。
「ジン!」
吐いて喉が痛いだろうに、ヨルちゃんが彼の名前を叫ぶと彼が私たちに視界に捉える。
ヨルちゃんはゼノンが攻撃体勢を解いているのを確認するとティンカー・ベルを手で拾い上げ二人に駆け寄った。
「…っ。ヨル!」
ジン君の目が大きく見開かれる。
山野博士も驚いたような顔をするけれど、それは一瞬だった。
彼は私の意図を悟ったように目を細めた。
瞳の奥の色がバン君に本当によく似ている。
親子だなあ。
ジン君に視線を合わせると彼が口を開いた。
「ユイ……」
「そうだよ。
この姿では二度目だね。ジン君」
のんびりと私は答える。
彼は私の言葉に気まずそうに視線を反らした。
『アルテミス』のときはそれなりに棘のある言葉を貰ったけれど、私は気にしてないのになあ。
ジン君は視線をヨルちゃんにまた戻すとその傍に歩み寄った。
「顔色が悪い。
それに…何故ユイが…」
「顔色が悪いのは吐いたから。
ユイがいるのは、私と彼女の意志だよ」
「うん。
ちょっとした私の我儘」
ジン君が遠慮がちにヨルちゃんの背中を撫でるのを横目に見てから、閉じられた扉の前に立ちパネルに手を当てる。
機械の体はこういうときに本当に便利だ。
扉のロックの構造を理解する。
私の設定した物とは別物だったけれど、これなら私でも解除出来る。
「山野博士。
ここは私に任せていただけないでしょうか」
「…君が檜山君を倒すということか?」
「いいえ」
私は首を横に振る。
倒すことは私には出来ない。
今の私は言うに及ばず、例え本体のままの私でも檜山さんのあのLBXを倒すことは出来ない。
私が普通のAIなら話は別だったのだろうけれど、私はユイだからそれは無理だ。
感情に容量を割き過ぎている。
だからこそ、出来ることを私はするんだ。
そうあるようにと、生まれて来たのだから。
「出来るのはバン君の手助けだけですよ。
私には倒せません。
でも、あのLBXの中には私もいるから、ちょっとしたけじめでもあります。
大丈夫です。
バン君は必ず無事に返します」
「………」
探るような山野博士の視線を受け止める。
私の真意は別のものだと思っているのかもしれない。
確かに私の本意はまた別。
でも、本当のことでもある。
わかりにくい。
人間の感情は複雑でこんな心を持てたことが素直に嬉しい。
「……わかった。
君に任せよう」
「ありがとうございます。
それから、ヨルちゃんの味方でいてくれて、ありがとうございました。
本当に感謝しています」
深く頭を下げる。
山野博士が味方だったのはヨルちゃんにとって、とても良いことでここにいることの半分ぐらいは彼のおかげだ。
本当に心から感謝している。
「いいや。
私は何もしていない。
全て君たち二人が頑張った結果だ」
彼はそう言って、柔らかく笑った。
大人のあるべき姿がそこにある。
それが少し悲しいけど、同時に安心もした。
「ジン君もね」
「……僕も?」
「うん。
あー、いや…今もかな」
ジン君は相変わらずヨルちゃんの背中を撫でている。
正直に言うと、お母さんみたいだ。
もしくは兄妹とか、そんな感じ。心配げな視線も特にそれを感じさせる。
微笑ましいなと思いながら、彼にも頭を下げる。
ジン君もこの先にいるバン君も、カズ君もアミちゃんも…みんなに感謝している。
機械の私が言うとちょっと嘘っぽく聞こえるかもしれないけれど、全部本当の気持ち。
「ヨルちゃんを助けてくれて、ありがとう。
君の言葉は何よりも強かった。
強くて優しかったんだあ。
本当に…ありがとう」
「……僕は何も…」
「してないわけがないですよ。
いやあ、ジン君は私の恩人だよ。
ありがとう。
それから、色々とごめんね。
ドジしすぎました」
「それは僕の方も悪かった」
「じゃあ、お互い様だね」
「ああ。お互い様だな」
にこりと微笑む。
それはかつてのように不快ではないのか、彼も笑ってくれる。
私は最後にヨルちゃんへとまっすぐに目を合わせる。
大丈夫じゃなさそうだけれど、青い瞳の奥底に透明な光が見える気がした。
彼女は心配するジン君を手で制して、私の目の前に立つ。
気分は悪そうだけどそこに迷いはない。
迷いがない代わりにその目が潤むこともない。
悲しいはずなのに。
やっぱり彼女には欠けてしまったものが多すぎるんだと、ここに来てまた気づかされる。
でも、私はそれを助けられない。
「お別れだよ。ヨルちゃん」
彼女に近づき、その手の中にあるティンカー・ベルと一緒にヨルちゃんの手を包む。
ティンカー・ベルが淡く光り、データ送信がされていることがわかる。
輝くその姿は本当の妖精のようだ。
「うん。わかってる」
涼しげな声に泣きたくなる。
泣くな、と自分に言い聞かせる。
機械仕掛けのくせに、油断すると涙が零れそうになる。
それをぐっと堪えて、出来るだけ笑顔をつくる。
これが本当に最後。もう会えない。会っちゃいけない。
離れるときが来た。
クイーンも壊れてしまった。まるで役目を果たし終えたかのように。
そう。あれで良かったんだ。
あとは、雨宮ヨルが自分を生きるんだから。死者がいつまでも足枷になるのはやっぱり良くない。
涙の気配のない青い瞳は悲しくて、握っている手の微かな温度が寂しい。
「ヨル」
彼女の名前を呼ぶ。
少しだけ手に力を込める。泣き出す前に全部言わなくちゃ。
「私ね、ヨルに会えて本当に良かったって思ってるんだよ。
一緒にいれて嬉しかった。
たくさん、たくさん…言葉じゃ言い切れないぐらいに楽しかったし、感謝してるし、でもね、やっぱり不満もあったんだよ」
「………やっぱり」
私の言葉にヨルがぼそりと呟く。
目を伏せ、少しおびえた様子になるのは怒られることに対する癖だ。
「うん。やっぱりあったんだよ。
ヨルはさ、もうね、一人で歩けるんだよ。
ユイは確かにヨルの支えだったかもしれないけど、ヨルはずっとここまで一人で頑張って歩いてきたんだから。
だから………もう自分で大丈夫。雨宮ヨルを信じてあげるときが来たんだよ。
双子だけど、同じものがたくさんあるのかもしれないけれど、でも二人で一人じゃなくて、一人と一人なんだから。
ユイだけを肯定するんじゃなくて、雨宮ヨルっていう貴女を貴女が肯定してあげなきゃ。
間違いは自分で見つけるんだよ。
大切な人たちを間違ってるって言う勇気をちゃんと持たなくちゃ、ダメだよ」
全部とは言わないけれど、彼女の好きな家族に間違っていると言うのだ。
あの人たちはヨルに取り返しのつかない間違いをしてしまったんだから。
青い瞳が零れるんじゃないかというぐらいに開かれる。
この顔はあんまり見たことないなあ。
うん。あとは…ヨルに全部任せるのです。
ティンカー・ベルに被せていた方の手を離す。
「ユイからの預かりもの、ちゃんと返したから」
「お姉ちゃんから?」
「そう。ずっと三年も預かりっぱなしだったんだあ。
でも、やっと返せる。それはユイからヨルへだよ。
ずっと返せなくて、ごめんね」
さあ、もう片方の手も離そう。
「ヨル。
私をお姉ちゃんって呼ばないでくれて、ありがとう。
最初から私個人を見ていてくれたんだよね。
名前を呼んでくれたから、私はユイになれたんだ。
名前を呼んでくれてありがとう。
お話を聞かせてくれてありがとう。
私を生み出してくれて、ありがとう。
ずっとずっと大好きだよ。
だから……」
そっともう片方の手を離す。
わかってたけど、やっぱりこの瞬間は切ない。
「 サヨナラ 」
とびきりの笑顔で言えた。
ヨルはそんな私を見つめて何回か瞬きを繰り返してから、強く深く青い眼差しを私に向けてくれる。
綺麗だなあ。
「……さよなら。ユイ。
それから、おやすみなさい」
ヨルの笑顔はぎこちなくて、でも今までよりもずっと素敵な笑顔だった。
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