69.遙か高みへ (70/76)


作戦会議中、外でヨルちゃんと会話を進めつつも私はみんなに私の止め方を説明していた。

「LBXで破壊すればいいのか?」

《うん。
本当はヨルちゃんに人格プログラムから破壊して欲しいんだけど、この際それはいいよ。
もう直接破壊しよう。
『サターン』の中に私のいる部屋があるから、そこにある本体を破壊してくれれば私は止まる。
そうすればシステムもどうにか出来るし、こっちから操作できるものも増える。
いくつかシステムが独立してるのはちょっと気になるんだけどね》

「本来のやり方はどういうものがあるんだ?」

《檜山さんが言ったように、私を操作出来るヨルちゃんに音声入力で止めてもらう。
これは肉声じゃないと駄目だから、今回の作戦じゃ無理だけどね。
私はね、どんなに私から造ったシステムから切り離そうとしても三十パーセントぐらいは切り離せないようになってる。
元からそうなってるんだ。だから檜山さんが多少なり忌避してるわけだけど…。
人格プログラムは全部の根幹なんだよ。今、『サターン』のシステムを管理しているのはそこから逆に取り出した基礎なだけ。
「ユイ」っていう人格を破壊できれば、後は連鎖的に破壊できるようになってる。
本当はそのやり方が私としても有り難いんだけど…》

それは本来ならば、というだけの話。
今の状況で我儘は言っていられない。
私はもう消える覚悟は出来ている。

ヨルちゃんは心配だけれど、全てが終わればあとは生きている人たちがどうにかしなくちゃいけない問題なのだ。

私は必要じゃない。
自分を卑下するわけでもなく、ヨルちゃんを気にし過ぎたからでもなく、本来そういうものなんだ。
死んだ人には二度と会えない。
それが当たり前で、死んだ人に会えるということを目標にすることはいけないことなんだ。

随分時間がかかったけれど、私はヨルちゃんに貰った脳みそと心で考えた結果だから、私はこの判断が正しいと信じたい。

「君は、それでいいのか?」

ジン君がまっすぐに私を見つめて訊いてくる。
ヨルちゃんとは正反対の真っ赤な瞳は懐疑的に見える。
内部データと色々照らし合わせると、それが私を心配してくれてるんだと気づく。
ヨルちゃんがユイになってたときのあんなに嫌っていたときが嘘みたい。

なんだかおかしいなあ。
ちょっと笑い出しそうになるのを堪えながら、私は彼の質問に答える。

《もちろん。
ヨルちゃんのことは心配だけど、あの子は優しくて強くてちゃんと自分で考えられる子だもん。
私がいなくても、大丈夫!
まあ、元から大して役には立たなかったけど…。
心配する必要はないよ。
私はもう覚悟は出来てる。

あとのことは、全部まかせたのです!》

明るい声で、体があったら多分満面の笑みで。
私がそう返すと複雑そうな顔をしながらも、彼も他の皆も納得してくれた。
ただジン君だけは頷いていながら、釈然としなさそうな呟きをマイクで拾った。

「…それでは、駄目だろう」

まあ、そうだよね。


そんな話をしたのが、つい三十分前。
目の前のコントロールポッドを手持無沙汰に眺めるヨルちゃんを上から見ながら、外部カメラからの映像を分析する。
我ながら器用だなあ。
もうすぐ消えるというのに、私たち二人には緊張感と言うものがない。
遠い国のお伽噺を聴いているみたいな感覚。

《私、もう少しで消えるんだよね》

「うん」

《さよなら、した方がいいんだよね》

「するべきだと思う」

《どうやれば、いいんだろうね。さよならって》

友達と明日も会えるよと手を振るのとは訳が違う。
これからはもう会おうことなんて出来ないのだ。
そういうときの「さよなら」の仕方なんて、誰も教えてくれない。
きっと大人になりながら、そういうことをちゃんと覚えていくはずなんだろうけど……。

そういうことが上手くいかなくて、どうにもならなくなった人間がいるのも確かなんだ。

「………どうすれば、いいのかな…」

本当に、どうすればいいんだろう。

画面の向こうでは、順次LBXがアンブレラを展開していて『サターン』からの攻撃を防いでいる。
さすがに実用化はされていないからか、撃墜される機体も多い。
『サターン』の攻撃はシステムで管理されているけれど、私では停止することは無理なので、私の応用でとりあえずの停止プログラムをLBXに持たせてある。
私を破壊する前に、まずはそれで外部攻撃を止めるのだ。

切り離されていない部分のほとんどはあまり関係のないシステムばかり。
扉の開閉システムと繋がっているのは良かったけれど、肝心の『サターン』の操作システムを止めたければ私の本体を壊すか、正当な手段で止めるしかない。

頭の中で密かに撃墜された数をカウントしてみる。
もしも、あの中にティンカー・ベルが入っていたらどうなっただろう。
ユイのクイーンが入っていたらどうなっただろう。
残念ながら、両方とも今はヨルちゃんの服のポケットの中で出番はないけれど。
せっかくバン君に流されるようにしてだけれど、整備したというのに出番がないのは悲しい。
どんどん撃墜されていくLBXを見ながら、彼女は何を考えているのだろうか。

私を造ってくれた人。
何もかもを教えてくれた人。
私に幸せを与えてくれた人。
私が幸せになって欲しいと願う人。

そして、「さよなら」を言わなければいけない人。
失わなければいけない人。

画面上では生き残った数機のLBXが小さい体で一身に『サターン』に侵入していく。
各所で戦闘が開始されていく。
あのLBXの数はさすが檜山さんだ。用心深い。
制御室に入り込むと、にっくき神谷コウスケのルシファーの姿も映しだされる。
何事か言っているけど、相変わらずなんとなく馬鹿っぽいのはなんでだろう。

パンドラやフェンリルが敵の攻撃を抜け、私が送った地図通りに私の場所へと進んでいく。
私を破壊しようとする重い足音がする。

なのに、ちっともさよならの仕方がわからない。
電脳の海には言葉なんてたくさん溢れているはずなのに、こういうときに限って良い言葉が見つからない。
どうしようもないと涙を流したくなる。
涙を流して、「離れたくない」って叫んで、それでも別れなくちゃいけなくて…。
そういうふうに出来たら、どんなに楽だろう。
私たちの間ではそれが出来ない。
ありふれたお別れすら、私たちには出来ないのだ。

それにそんな別れ方は何か違う気がする。
それは私が納得する別れ方であって、ヨルちゃんのためになる別れ方じゃない。
彼女が納得して、先に進めるようになって、また柔らかく優しく笑えるようになる…そんな夢みたいな別れ方を探さなくちゃ、意味がない。

それは私には出来て、ユイにはもう出来ないことだ。
私は本物のユイにはちょっとした借りがあって、それはヨルちゃんも知らないこと。

《ねえ、ヨルちゃん》

「何?」

《ヨルちゃんは…私の声をどうやってサンプリングしたか、知ってる?》

私の突拍子もない言葉に、彼女は首を傾げた。
顎に手を当て、多分記憶を漁っている。
画面の向こうではオーディーンとゼノンが攻撃している姿が映る。
ルシファーは半身が壊れ、本当の悪魔のようになっていた。
神谷コウスケの高笑いが脳内に響く。
それを冷静な目で見つめながら、彼女は首を横に振った。

「声はもう入っていたと思う。
お父さんが残ってた映像から取り出したんじゃないの?」

《うーん…違うよ。
私の声はね、預かりものなんだよ。
お父さんが勝手に使っちゃっただけなんだあ》

「…別に親なら勝手にも何もないよ。
まさか、それがユイなりの『さよなら』の言葉?」

《ううん。
これはさよならじゃないよ。
味気なさ過ぎる。
ああ、でも…本当に言葉なしでお別れになりそうで怖いね》

「…………」

パンドラとフェンリルの距離を数えながら、冗談交じりにそう呟いた。
制御室ではルシファーがオーディーンとゼノンから必殺ファンクションを受けて破壊される。
同時に神谷コウスケも後ろに吹っ飛んだ。
ジン君の安堵の溜め息が聴こえる。

バン君たちの手で停止プログラムが注入される。
システムに侵入は出来ないけど、完全に切り離されているのではないのでちょっと気持ち悪い。
人間的に言えば、多分嘔吐感とか頭痛とかにとてもよく似ている。
それから麻酔を打たれたみたいに、体のどこかの感覚が遠のいていく。

私の死が近い。
じわりと来るこの感覚はあんまり長く続くと耐えられそうにない。
なるべく早く終わらせて欲しいという感情が浮かんでくる。

ああ。このゆっくりとねっとりとしたものが、死なんだ。

機械的にはとてもじゃないけど、バグの部類としてすぐにでもどうにかしたい。
どうにかしたいけど、冷静に観察している私もいる。
機械の悲しい性と生き残りたいという人間的感情があるけど、それとはまた違う強い感情が私にはある。
それを頼りにして、いくつかデータを消去したらいくらか楽になった。

「ユイ?
辛いなら私との会話はしなくていいよ。
私にカメラを使わなくていいし、その分バン君たちのサポートに……」


《大丈夫。
それに私よりも皆さんの方が優秀だし――》

大丈夫と言おうとしたところで、何かが遮断されたような感覚が襲ってくる。
毛細血管が二、三本切れたぐらいだけど…それは多分私の本体が中にあるからだ。

『サターン』で何かが起こっている。


「………」

「これは…!」

「まさか…!」

里奈さんがすぐに『サターン』をモニタリングしている画面へと向かう。
さすがのヨルちゃんも控えめにその画面を覗き込んだ。

「『サターン』全体に高密度のプラズマ磁場が発生している。
スパークブロード通信遮断!」

その声と共に監視していた通信が遮断された。
これじゃあ、コントロールポッドを使えない…どころか、私を破壊することが出来ない。
いや、出来るには出来るけど…。

「『エクリプス』を接近させろ」

「どうするつもりだ?」

「通信ケーブルを撃ち込み、『サターン』の乗員たちを説得する」

「…………上手くいくのかな。それ」

八神さんと拓也さんのやりとりに、ヨルちゃんが誰にも聴こえないように呟いた。
その目は前みたいに暗い。
きっとそれが彼女からすれば、正常な明るさなのだろうけれど。
私は状況把握にフル稼働しているので、素直に彼女に訊いてみることにする。

《どういうこと?》

「私は人のことを言えないけど、『イノベーター』は海道義満っていう人を信じていて、疑うなんて考え微塵もないと思う。
私の経験的に本当に信じているのなら、どんなことをしてでも信じ続けるよ。
忠誠心…っていうのかな、この場合。
彼の掲げる理想にしっかり嵌まった以上は、簡単には抜け出せないと思う。
例え、本人が死んでいてもだよ」

《………》

抑揚のない冷淡な声でそう言った。
自分のことを嘲笑するかのように。
そして彼女の言う通り、八神さんの説得は虚しく終わる。
一方的に通信を切られてしまった。

「止むを得ん」

八神さんは通信用のインカムを外すと、全員コントロールポッドから出るように指示を出す。
ヨルちゃんはそのまま再び壁際まで下がって、相変わらず鋭い視線を保ったまま壁に寄りかかった。
ジン君が彼女にちらりと心配そうに視線を送る。
その視線の先には冷たい青色が見えているのだろう。
彼はさり気なく他の皆からあまり離れない程度にヨルちゃんの傍に来た。
うーむ。これはもっと見ていたいなあ。
無理だけど。

「これより『サターン』に直接乗り込んで艦内を制圧。
進路を変更させる。
『イノベーター』たちも激しく抵抗してくるだろう。
よって、バンたちはこの場で待機」

「え!」

さすがに驚きの声が上がる。
ヨルちゃんは無表情。
ある意味、雨宮ヨルらしい幼い面影もおどおどとした態度もない。
どちらかというとイオっぽい。

「待ってください!
世界の危機なんです! このまま黙って見ているわけにはいきません!
俺も行きます!」

「僕も行く!」

「私たちも行きます!」

強い眼差し。
それを眺めながら、これなら…と私は思った。
逃げみたいだけど、私は少しだけ時間が欲しい。

「わかった。行くぞ」

八神さんが頷くと、ほぼ同時にジン君が一歩前に進み出た。
あ、私の話し出すタイミングを取られた。

「ユイ。
これから君をLBXで破壊するのに、僕たちに危険は及ぶ可能性はあるか?」

おおっと。
まさかに私に話を振って来るとは思わなかったけれど、彼の言いたいことは明白でヨルちゃんのことを考えているのがわかる。

《え?
えーと…『イノベーター』の人たちを抜かせば、あくまでもLBXだけが侵入して破壊することを想定しているから…元から危険はあるよ。うん。
爆発もするかもしれない。
ジン君たちが入って無事に帰ってくるようにすることを考えると、ヨルちゃんが直接行った方がいいと思う》

「ヨルを…か」

「…………」

八神さんが渋るのも無理はない。
『サターン』には檜山さんだっているし、彼女は私を自由に動かすことの出来る存在。
もしも裏切られたらと思うのは当然の判断だと思う。

当のヨルちゃんはすうっと目を細め、自分の服のポケットへと視線を向けてから、八神さんの方へと視線を戻した。

「より安全を考慮するなら、彼女を連れて行くべきだと僕は思う。
ヨルが裏切らないことは僕が保障する」

力強いその言葉。
それに賛同したのは私たちがずっと味方していた山野博士だ。

「私も保障しよう。
彼女は裏切らない。
行くかどうかは彼女の意志に任せるべきだとは思うが、彼女は信頼に足る存在だよ。
八神君」

「山野博士…。
雨宮ヨル。君はどうなんだ?」

「私は……」

視線を上へと上げる。
宝石のような青い瞳が八神さんを射抜く。
彼女の年齢に似合わないそれが、今は彼女の意志を相手に伝えるのに一役買っていた。

少し前の彼女ならきっと悩んで、その結果行こうとなんてしなかった。
でも、今は少しだけ前を見ているから。

「行きます。
大丈夫です。私が直接ユイを止めます」

ずっと踏み出そうとしなかった光の中に進んでいくように、涼やか声がはっきりと自分の意志を持って紡がれる。

私はそれを喜びながら、どこか切なさを感じながら、聴いていた。




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