65.繭の外 (66/76)


記憶は光と音で出来ている。

私たちを守ってくれていた優しい羊水に別れを告げて、お母さんのお腹の外に出て来た時、お母さんとお父さんはどんな顔をしていたんだろう。
私たちをどんな気持ちで抱き上げたんだろう。
もしもその記憶が蘇って、それが優しい光と音に溢れていたのなら、私はより深く家族を愛することが出来るだろうか。

そうしたら…お母さんは私を抱きしめながら笑って、お父さんは私に不器用にでも声を掛けてくれるかな。

お姉ちゃんを羨ましがらずに、澄んだ気持ちでお話しできるかな。

そうなったら、いいなあ。

それだけで良かったのに…。


■■■


「本当にこれで良かったのかな…」

バンのその言葉は俺たちの痛い部分を的確に突いていた。

本当にあれで良かったのか。
そのまま死なせるのが正しかったなんて考えたくはねえけど、だからってあいつがあの深みから抜け出せるとも思えない。
それはとても酷なような、気がする。

俺にあいつの気持ちがわかるわけじゃねえけど。
この中でわかるとしたら、ユイかあるいは…

「……わからない」

ジンぐらいなものだろう。

《私にもわからないなあ。
もしもそれに答えられるとしたら、私でもなければ本物のユイでもないだろうし…。
もっと後にならないとわからない問いだよ。それは》

いつものユイの声がスピーカーから部屋の中に響いた。
その声に反応したのは、ヘリポートにいた俺たちやLBXを整備していた郷田たち…大人たちは忙しく動き回っている。
相変わらずその声はぼけぼけとしていて、気が抜ける。

ユイは今、俺たちに協力している。
『シーカー』のシステムのロックを解除したり、『サターン』の解析やらユイのクイーンの解析などをやっている。
本人曰く、あいつを助けてくれたお礼だそうだ。

その妹は…あの後すぐにジンに寄りかかるようにして、ぶっ倒れた。
医務室に運んで医者に見せたら、精神的ショックからの自己防衛と疲労から倒れたんじゃないかという話だ。
今は里奈さんが監視の意味も込めて看病している。

《素知らぬ顔でLBX整備しちゃう仙道さんとかどうかと思いますけれど、そんなに情けない顔するもんじゃないよ。ジン君。
確かに方法は強引だったかもしれないけど、遅かれ早かれあれはいつかあの子が向き合わなければいけない問題だったもの。
それにあの子にだって非はあるよ。
だから、そんなに自分たちが背負わなくちゃみたいな顔はしないのです!
気に病むなとは言えないけど、気にし過ぎない!》

「何故、俺を話に出した…」

仙道がジョーカーに視線を向けたまま、不機嫌そうに言った。

仙道たちを含め『シーカー』の面々にはヘリポートであったことは全て話してはあるが、みんなどこか遠いところで起きたことみたいな顔をして聴いていた。
立ち会っていなければ、そんなもんなのか…。
壁一枚隔ててしまっているみたいなもんか。

《思わずと言いますか。あんまり関係なさそうなので。
カメラ内にちょうどいたので、深い意味はないです。
まあ、仙道さんに限らずですが、ほとんどの人にとってこんな話、どこにでもあるちょっと不幸な話ですよ。
その態度、私としては許せませんが…AIとしては評価してますよ?》

「褒めてるのか…それ」

《仙道さんのCCM内の画像データを全部ロリコン画像にしたいぐらいには!》

「絶っ対に褒めてないだろう。ケンカ売ってるのか、お前」

仙道をおちょくりながら、あははとユイが笑う。
画面は目まぐるしく動いて、ロックの解除やクイーンの解析が進んでいくのがわかった。
冗談を言っても作業は忘れないらしい。
器用だな、おい。

しかしユイの声は明るく、ヘリポートで起こったことをそれほど苦に思っていないような言い方はさすがに気になる。

それに誰よりも反応したのは、ジンだ。
こいつの場合はあいつに関して気にし過ぎてるっていうのは、ユイの言葉が正しい。

「君は……悲しまないんだな」

《……やることがあるからね。
私は人間の感情を重視して造られてるから、感情の上下で多少だけど性能に差が出るんだ。
やることがあるうちは、それを全うしないと!
…だから、今はちょっと普通の機械よりの思考かな?
ちょっと自分の中の情報量にゆらゆらさせられてる感じ?
感情的にはあの子のことで悲しいし、出来れば手助けしたいとは思ってるけど…実のところ、私はあの子についてあんまり知らないんだなあ。
だから、情報的には悲しめない、みたいな?》

「…彼女のことを、君は知らないのか?」

《名前は聞いたよ? そういう記憶はあるね。
ユイの思い出として、エピソード的にあの子は知ってるよ。
そこからどれだけ本物のユイと仲が良かったのかはわかるし、守りたいって気持ちも確かにある。
愛してるし、完成させてくれた恩をなんとしても返したい。
でも、彼女自身についてはあんまり聞く機会はなかったなあ。
大抵自分のことを貶めて言うんだよ。
自己評価が底辺も底辺。自分への執着心が薄い。その分、家族への執着は人一倍なのは知っての通りだよね。
だからあの子がジン君に勝負を持ちかけた時、驚いたんだよ?
事前に何も言ってくれなかったし…あんなの生まれてから初めてだなあ。
まあ、大して長く生きてないけど》

意外だった。

あれだけ妹のことを大事だって言ってたやつが、実際はそいつの心とかそういう重要な部分を知らないもんだろうか。
なんというか、その感じ…あれだ、ものすごく…

「妹に似てるわね…」

そう。それだ。

アミの言ったことがしっくりくる。
ああいう感じ。無条件で家族を慕う姿がすげー似てる。

《それは当たり前と言えば、当たり前かな?
私はあの子も多少なり入ってるからね》

「はあ?」

「…どういう意味だ?」

《そのままの意味。
私は基礎をお父さんに作られたけど、ユイとしての人格のほとんどはあの子が造り出した。
もっと言えば、彼女のユイとしての行動を学習して、ユイという人格のすべてを形成したんだよ。
あの子のユイのフリというのはね、実益もそれなりに兼ねていたんだあ。
お父さんはユイを理解しているように見えて、その表面のみしか理解していなかったんだろうね。
彼の造った私はユイには遠く及ばなかったんだよ。
そこで彼は壁にぶち当たった。まあ、後の彼の行動は想像出来るよね?
それでその全てを見ていたあの子は、お父さんの意志を継ぐことが正しいと信じて私を完成させることにした。
自分の経験から、自分のユイらしい行動を学習させることを思いついた。
始めから全て教えるんじゃない。経験させる。記憶を語る。一緒に話して調整する。
そうやって、全てを造っていった。
でもね、ジン君が言ったようにあの子はあの子でしかない。
どんなに似ていても、どこかにあの子らしさが残っている。
そうしたらさ、私の中にあの子の何かが一つもないのは変な話だよね。
私はユイらしくて、それでいてあの子らしい。
まあ、第三のユイってところかな?》

「君と彼女のユイと、本物か…?」

「いすぎだろう…。めんどい」

「そういう問題じゃないでしょう」

《あはは。その意見は私も同じだよ。
どこかで誰かが、おかしいって気づけば良かったのにね。
…まあ、それを置いておいて、ユイというのはね、とてもとても再現しにくい人物だったと思うよ?
これ、AIとしての意見ね》

いや、あいつは簡単だろう…。

俺たちのほとんどはそう思ったのか、みんな顔に出ていたのか、目の代わりのカメラを大袈裟に動かしてユイは笑った。

《あの子の話とクイーンのデータと、後はユイの生前の色々から推測するしか出来ないけど…。
ユイはね、彼女は天才の部類の人間だよ。
努力の範疇でどうこうなる人間じゃない。
あの手の人間ほど、読みにくくて純粋過ぎて、残酷で、愛しい家族はいないだろうね》

「馬鹿じゃないの。
ユイがそんなのなわけないでしょ。
いっつも、馬鹿みたいに笑ってた。人助けとか失敗しまくり。
天才なわけがないでしょ。
私、小学三年生の頃、あいつと同じクラスだったからわかる」

間髪入れて言ったのは、ミカだった。
というか、ミカのやつ、本物のユイを知ってたのかよ。
口ぶりからして、特に仲が良かったわけじゃないみたいだけど…。

俺も本物のユイのことを多少でも思い出そうとする。
あいつは確か小学校の低学年頃から人助けするのが有名で、なんか馬鹿っぽいことばかり話に上っていた気がする。

《ミカちゃん、馬鹿とはなんですか。馬鹿とは!
私は本当のことを言ってるよ?
特に理数は強かったみたい。
さすがお父さんの娘と言いますか…というわけで、私のとっておきのデータをどん! です!》

「待て、ユイ!
勝手に画面を変えるな!」

《うわあ。大目に見てください! 拓也さん!
それから顔が怖いですよお、八神さん》

わたわたとしつつ、画面が切り替わる。
なんだ? 論文みたいなやつだった。

「人工知能の論文か。
すごいな。斬新だ。荒いところはあるが、これなら確かにより人間らしくなる。
父親のものか?」

拓也さんや他の『シーカー』の面々があーだこーだと議論しだす。
俺には何がいいのか、さっぱりわからない。
とりあえず、これ英語だなというぐらいだ。
いや、マジで読めない。なんだこれ。

《ううん。ユイの。
ちなみにこれ小三の頃のだよ。
はい。次、小四です!》

「なっ…!」

全文英語だぞ!

俺が驚いたのはそこだけど、大人たちは違うらしい。
多分、内容に驚いてる。

画面が切り替わり、また英文がびっしりと画面を埋め尽くす。
やべえ。くらくらしてきた。

《小四のこれが大体私の基礎の理論かなあ。
お父さんはこれを発展させたんだよ。
ああ、そう考えると私はユイにも造られたのかも。
うーん…なんか複雑。
ああ、でも…多分あの子は喜ぶかもしれない。
愛って、重いなあ》

その言葉に誰よりも暗闇に突き落とされたような顔をしたのはジンだった。
罪悪感からか、俺やバンよりももっと強い感情であいつのことを考えている。
謝るとか謝らないとか考えてる俺よりも強い何かがある。
俺にとってはそれが最重要だけど……、それも本当にあいつを前にして言えるのか…。
わっかんねえ。
なんで、こんなに難しいんだよ。

「確かにこれは…天才だ…」

《でしょう?
でも、これを人前で出せば良かったのに…。
ユイはミカちゃんの言う通り、人助けばかりしてのほほんとしてたんですよ。
理由としては「面倒だから」ってね。
家族以外にはあんまり見せなかったらしいんだよ。
鈍くはなかったろうに…なんでわかんなかったのかなあ。
気づくの遅いんだなあ。あの天才。
ちなみに何やらせても、こんな感じらしいです。
適当で人並み以上。意識して抑えて、やっと人並みぐらい。
興味があることには秀才以上の実力で、好奇心のままに。
のほほんとして明るくなければ、どうなってたことやら…。
あ、ちょうどクイーンの解析も終わったから、そっちも見せましょうか》

そう言って、画面上でいくつか操作して、ユイはコアメモリの中から映像データを引っ張りだした。
記録は膨大ではっきり言って、俺よりも全然バトル数があるのが一目でわかる。
記録を遡り、一番最初の方にまで来るとその中から一つから選び出して再生する。

その映像のクイーンはいつものへぼっちい動きじゃなかった。
機敏でクイーンの特性をよく理解しているのが、クイーンの目線からでもよくわかる。
『シーカー』の中でクイーンを使うのはリコとユイだったけれど、動きが段違いだ。
相手の攻撃をぎりぎりまで引きつけて避ける。
それを繰り返し、相手を翻弄しては的確に銃弾を撃ち込んでいく。
なんかどれぐらいのダメージが出るか試している感じで、一つ一つの攻撃を微妙にずらしながら狙ってくる。

まあ、なんだ…とりあえず、確実に俺より強いのはわかった。

《ちなみにこれ、LBX初めて三日目ぐらいですねえ。
あんまりバトルには興味なかったみたいだから、記録少ないけど……。
ううむ》

「三日目…」

「私、今の状態でも負けるかもしれない」

「俺も怪しい」

口々に似たようなことを言う。
確かに、天才だ。
もしも生きていて、この実力を持ったまんまだったなら、バンやジンと確実に肩を並べた。

「他のあの膨大な戦闘データは、誰のものなんだ?」

《全部妹の…あの子のデータだよ。
見る?》

映像が映し出される。
そこに映るのは、いつものへぼい動きだった。
なんか安心した。
俺が知っているユイよりも下手なのは昔だからか…あれで結構上手くなってたんだな、あいつ。
映像のクイーンは下手というか、ド下手というか、反応に困る。
正直引くレベルで下手だ。

「ああ…ユイだわ。これ」

アミが右手を額に当てながら、安心したように呆れたように言った。
不肖の弟子というのは本当だったらしい。
そうとうスパルタだったに違いない。

《本気でこれだからなあ…。
クイーンでもティンカー・ベルでも、それこそすっごく努力したんじゃないかな。私の見えないところでも。
自分は出来損ないだからって、よく言ってた。ユイの適当に必死に追いつこうとしてた。
怖いぐらいに、色々なことを同じところに持っていこうとしてた。
同じものにはなれないのになあ。
でも、私の理解の及ばない何かがあったんだろうね。
私、ユイのことはあの子以上には知らないけど、あの子のことよりも知ってるんだよ。
お姉ちゃん失格だ。
でもね…》

声のトーンが悪戯っぽくなる。
俺でもわかる場違い感。
なんだ…本当にあいつっぽい。なりふり構わない雰囲気が似てる。同時になんかやばいこと考えてると思った。


《私はちょっとだけあの子の知らないユイを知ってるんだなあ。
まあ、預かりものだから返さなきゃならなかったんだけど、前のあの子じゃ無理だった。
でも…今なら大丈夫。
いやはや、これで後悔はなにもないのです》

「それは――…」

どういうことだ、とジンが続けようとしたところで、プシューと扉の開く音がした。
そっちに目を向けるとあいつを診ていたはずの里奈さんがいた。

「里奈さん。彼女は?」

ジンが真っ先に動いて、里奈さんにあいつのこと訊く。
里奈さんは困ったような顔をした。

「さっきまでうなされてたわ。
起きるまでもう少しかかりそうだから、何か手伝えないかと思って…。
一応、部屋にロックは掛けたけれど、あの状態では抜け出そうとは思わないでしょうね」

「……僕が様子を見ていても大丈夫ですか?」

「ええ。お願いするわ」

言うが早いか、ジンはすぐに部屋を出て行く。
その背中にユイが声を掛けた。

《ジン君。忘れもの、忘れもの》

そう言いながら、機械を操作すると解析していたはずのあいつのCCMを吐き出した。

「CCM?」

《中のデータとかコピー終わったし、どこにも通じないようにしてるから!
持って行っていいよ。
あ、それから、途中で社員の人からボトルを貰うと思うから、それも一緒によろしくね》

「だから、勝手に…」

「? …わかった」

拓也さんの言葉を無視して、ジンはそれを受け取るとさっさと出て行ってしまう。

はええ…。

思わず呟きそうになった。

《いやいや…良い子だなあ。
うん。安心した。安心した》

「お前さあ…」

《んー?》

「自分がどうなってもいいのかよ?
お前の言い方だと、自分のことはどうでも良さそうなんだよな。
それ、すっげえあいつに似てるぞ」

《そうかも。
さっきも言った通り、私はあの子でもあるからね。
人間に限りなく似てる。でもですね、あの子にはあの子の幸せがあって。
君たちには君たちの幸せがあって…ユイにはユイの幸せがある。
そして、私には私の幸せがあるんですよ》

「答えになってねえぞ」

《いやいや。十分答えだよ》

嘘付け。訳わかんねえぞ。

からかわれているような気分になる中、アミやバンも複雑そうな顔をしている。
カメラを見ると、未だに扉の方を向いていた。

随分長く一緒にいたつもりだったけど、何にもわかんねえ。




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