62.Carnival W / ユイ (63/76)


だらだらと気持ちの悪い汗が背筋を伝っていく。
通話の切れたCCMを握っていた腕がだらりと垂れ下がる。
CCMから漏れる会話を聴いていたバン君たちも無言だ。

僕はと言えば、手の中のCCMを見つめながら、あの暗く冷たい声を頭の中で反芻していた。

僕はあんな声を聴きたくて、止めようとしたわけではないのに…。

ここから出る手段は僕にはない。
でも、彼女を止めるためには出るしかない。
LBXは操作できない。
システムのロックは今拓也さんたちが必死で解除しようとしているが、あまり見込みはないだろう。

彼女を止めたい。
止めなければ、と思う。

「……一つ気になったんだけど…」

「? バン?」

「え、とユイの妹? が、ずっと鳥海ユイはいるって言ってたけどさ。
そのユイは何処にいるんだ?」

「何処って、ユイはもう死んでるじゃない」

「でも、あれは嘘を吐いているような感じじゃなかった。
それはアミもカズもわかるだろ。
だから、どこにいるんだろうって」

「郷田さんを裏切ったんだから、ユイが嘘を吐いた可能性も捨てきれない」

多少の憎しみを孕んだ目をしたミカ君が、郷田君の背に隠れるようにして呟いた。
僕はその意見を受け止めながら、バン君の言葉に耳を傾ける。

確かに、彼女は正体を明かしてからずっとそう言っていた。

『ねえ。
鳥海ユイはいるよ』

『ここに鳥海ユイはいるの。
これからもユイはいる』

あれはどういう意味だったのか。

「ミカの言う通り、確かに裏切ったかもしれないけど、俺はジンがあいつのことを味方っていう前提があって敵だったんじゃないかって言われて、なんかすっきりしたんだ。
俺がイオに対して思ってたことはその通りだった。
避けられる攻撃を避けなかったのは負けるためで、あいつは十分に強いし俺たちと互角に戦えるのにしなかったのは手を抜いてたんじゃない。俺たちを勝たせるためだ。
嘘を吐かれたのは悲しいけど、だからって、あいつが仲間じゃないなんて俺は思えない」

「バン君…」

彼の言葉は
強い力を持っていた。
アミ君は目を見開き、カズ君は少しだけ目を伏せてそれを聴いている。
彼はこの場にいる全員に聞かせるように、よく響く声で叫んだ。

「仲間だから、あいつが死のうとしてるのなら、止めなきゃ!
もしも本当にユイがここにいるなら、ユイならこの状況をどうにか出来るかもしれない。
あいつがユイと仲が良かったなら、ここから出る方法を知ってるんじゃないのか?
ユイを探し出せば…!」

「探すって…死んでるやつをどうやって見つけるんだよ!
第一、ここに隠れる場所なんてねえだろ。
見つけたって、どういう顔して会えばいいんだよ…」

呻くようにカズ君がそう反論する。
未だ困惑し飲み込み切れず、彼女のことをどう捉えればいいかわからないという顔をしている。
バン君のように「仲間だから助ける」と曲がりなりにも裏切った人物に言える人は稀だ。

それに対して、カズ君は…どうなのだろう。
彼は一貫してただ見ているだけだった。
アミ君は敵であった鳥海ユイに対して、怒りを滲ませた。
バン君はその実力を隠すような行動に対しては怒り、彼女がなおも仲間だと断言した。
彼は怒っているというよりは、後悔している気がする。
もしかしたら彼はどこかで、彼女が何か抱えているというのを分かっていたのかもしれないと漠然と僕は考えた。
それを悔いているのかもしれない、と。
その真意は彼本人にしかわかれないけれど。

アミ君がぎゅっとスカートの裾を握りながら、深呼吸の後に僕に視線を向けてきた。

「ジンが受け取ったCCMに何かヒントはないの?」

「いや。そもそもCCMには個人認証があるから、僕が何か確かめられるわけじゃ……」

ずっと握りしめていた白いCCMを見る。
これを彼女は鳥海ユイに渡せと言っていた。
それは本人がいるからこそ成り立つことだ。

僕はその時、『アルテミス』で出会った鳥海ユイを思い出した。
あれがアンドロイドだったのか思うと同時に、あの表情が人間以外の何物にも見えなかったのを思い出す。
機械的ではない、あの動き。
そして、そこから彼女がユウヤを助けようとした時に聴いた無理矢理大人ぶる子供のような声を思い出した。

あの声……、鳥海ユイに似ていなかったか?

僕は記憶を辿る。
CCMから聴こえたあの声は確かに鳥海ユイに似ていた気がする。
それから彼女の家にあった資料の山を思い出した。
あそこにあった資料のほとんどは人工知能関連のものだったはずだ。

それから、本来なら繋がらないはずなのに繋がった僕のCCM。
あの時、彼女は「そういうふうに命令した」と言っていなかったか?
「命令」を誰に出した? 何に出した?

「まさか……」

鳥海ユイがいるとは、そういう意味なのか?

思い出す。
あの青く揺らめく空間を。あの時の彼女の言葉を。
確かにあれは『盛大なヒント』だった。

カーニバル。復活祭の前の謝肉祭。
謝肉祭の後に、苦行となる四旬節を超え、復活祭がやってくる。
彼女はそれを待っていると言った。

何の復活を待っているのか。
何を復活させたのか。
何故姉のフリをし続けていたのか。

僕は目の前で赤く染まる画面を仰ぐ。
なおもロックを掛けられているシステム。
不規則に瞬くキーの明かり。

彼女はこの部屋を出る前、CCMを操作したとき「ユイ」と言っていたのが蘇る。
それに彼女が言った「教えるため」というのが引っ掛かっていたが、僕の考えが正しければ……。

「ジン?」

半歩後ろへと下がる。
画面を見上げながら、信じられないと思いつつも僕は呟いた。

「君はそこにいるのか。鳥海ユイ」

声を向けたのは、目の前の機械。
傍から見れば、僕は奇人か何かか。
見上げながらの言葉に誰かが口を挟むよりも先に、言葉が降ってきた。

《………うん》

スピーカーからは現実味の薄い声が聴こえてくる。
次の瞬間、赤かった空間は全て通常のものへと変わる。
光が正常に戻り、目の前がちかちかと瞬いた。

「! ええっ!
あんなに苦労したのに、一瞬で室内のシステムが回復した…」

結城さんの呆然とした声。
拓也さんが駆け寄り、自分もキーを叩いた。

「通信は!?」

「通信の方は…駄目です……。
室内のシステム自体は回復しましたが、こちらからの命令は一切受け付けません」

「いや、待て待て待て!
なんでユイの声がスピーカーから聴こえてくるんだよ!
あいつ、実は生きてどこかにいるっていうのか!?」


「それは違う」


僕は確信を持って、そう言った。
青い瞳で「ユイは死んだ」と語る彼女の瞳に偽りはなかった。
それは僕が保証する。

だから、彼女の言うように本当に鳥海ユイはここに存在していたのだ。

彼女の言葉を借りるならば、「復活」していた。

「生きているんじゃない。
生み出されたんだ。
おそらくは父親の手によって…。

彼女の言う鳥海ユイは本物の鳥海ユイではないけれど、だからと言って鳥海ユイでないとも言い切れない。
そうだな?」

《うーん。そうだね。
完全一致の本物じゃない。私は鳥海ユイで、そうだっていう自覚もあるけれど、でも鳥海ユイじゃない。
私は人工知能。君たちもよく御存じのAI。
私のお父さんと呼ぶべき人に作られた存在。
ジン君、よく気づきました。
褒めてあげましょう。褒めて伸ばすのは、AIにも有効なんだよ!
知ってた?》

紛れもない鳥海ユイの底抜けに明るい声が響く。
状況をわかっているのかと訊きたくなったが、それを僕は堪えた。

人工知能。
それならLBXの操作を乗っ取ったことや通信が遮断されたこと、堅固なセキュリティーの中に合ったメタナスGXの内部に潜入出来たこと…多くのことに納得がいく。
機械なら人間である僕たちよりも、そういったことは得意分野なはずだ。

「『シーカー』のシステムにロックを掛けたのは君か?」

《うん。
それから、ハッカー集団のところやタイニーオービット社、モノレールなどなど…ここに関わるものはほとんどだね》

「…本当に、ユイなの?」

アミ君が一歩画面へと近づき、彼女に問いかける。
表情の見えない彼女はどんな顔をしているのか、くすりと小さく笑い答えた。

《本当だよ。アミちゃん。
私は鳥海ユイ。
まあ、私はあの子のユイらしい行動を学習してユイとして作られたんだけどね。
私が造られたときには、もう本物の鳥海ユイは亡くなっていたの。
だから、本物の鳥海ユイは記録でしか知らないんだけど。
ユイの認識はアミちゃんたちと同じくらいかな》

「あはは」と鈴を転がしたようにコロコロと笑う。
体があったなら、楽しそうな表情も見れただろう。
僕は拳を握り、おそらくは彼女の目の機能を果たしている室内のカメラに向かって視線を動かした。

「頼む。ここの扉を開けてくれ」

《……それは無理だよ》

「何故だ?」

《絶対にここから出すなって、あの子に言われてるからだよ。
LBXの操作もさせるな。何があっても、全て終わるまでは閉じ込めておきなさいって。
まあ、大丈夫だよ。
『サターン』発射までにはロックを解除するようにも言われてるから。
間に合う、間に合う!》

努めて明るい声。
そういうふうな感情を込めていると思いながら、僕はその声を聴いていた。
これが何も考えずの言葉なら、ここから出る手段はなくなる。
それだけは…ダメだ。

「形は変わっていても妹だろう」

《うん。そうだねえ》

彼女は間延びしながらも静かに言う。
一体どんな表情をしてその声を出しているのか、僕にはわからない。

《でもだよ、ジン君。
あの子が私に頼んだことは、ここから君たちを出すなってことなんだよ。
自分を助けろとは一言も言わなかった。
言わなかったなら、それは私には願っていなかったってことになる。
願われてもいないことを、私がすることは出来ないよ。
望まれていないことを、あの子にしてあげる権利が私にはどこにもないもの。

私は結局のところ、家族だけど、家族じゃないから、あの子を助けることは出来ないのですよ》

「助ける気はないのか?」

《逆に訊きますが、どうしてジン君たちはあの子を助けたいの?》

聞いたことのない静かな鳥海ユイの声がスピーカーから聴こえてきた。
機械で制御され発せられたその音には、温度がない。
彼女は妹のことをどうも思っていないのか。

《助けたって、今度は君たちを助けてくれる保証はないわけですよ?
里奈さんや八神さんたちの例は特別なんだよ。
あげたものと同じくらいのもの、もしくはそれ以上のものが還ってくる保証なんてどこにもない。
もっと言えば、あの子なんて彼女がお父さんとお母さんから貰ったものと同じことをジン君たちにするかもしれないよ。
………可能性の、話だけど》

「………っ」

確かに鳥海ユイの言うことは正しいと思う。
助けたからといって、裏切らないという保証はどこにもない。
僕たちが信じていようとも、相手も同じものを還すとは限らない。
それに僕たちの中にも彼女を信用していない人間はいる。
その中に彼女を入れて、何かを感じて今のような行動をするかもしれない。

それは彼女が一番よく知っているはずだ。
自分がおかしいと気づいている、彼女なら。
与えられるはずの愛情が与えられないことを知っている。
無条件に信頼出来るはずの人間が裏切ることを知ってしまっている。

無償の愛がないことを身を持って知っている。

そんな人間が、助かることを望むのか。
裏切らないのか。
仲間としていいのか。
助けていいのか、悪いのか。

「本人の都合じゃねーよ。
俺が助けたいから、助けるんだ。
裏切るとか裏切らないとか、見返りがどうとかは二の次だ。バカユイ」

最初に声を上げたのは、カズ君だった。
戸惑っていたはずの彼が、何故一番先に彼女の問いに答えようとしたのか。
彼はつまらなそうに…いや、少しバツが悪そうに言葉を続けた。

「俺は未だにどういう顔をして会えばいいかはわからねえけどな。
言いたいことがあるんだよ。
それ言わなきゃ、けじめが着かない。

多少なり気づいていた側の人間として、無視していた人間としての身勝手な責任ってやつだよ。

お前にとってはくだらないかもしれないけどな」

《責任って…気づいて、いたの?》

驚いたような声がする。
僕も彼の言葉に驚いた。
彼は気づいていた人間だったのだ。
だからこそ、後悔するような目をしていたのか。

「こいつ、おかしいんじゃねえかって程度だけどな。
それでも何か言っていたなら、違ったかもしれない。
自己満足には違いねえけど、俺はな、謝るんだ。謝りたいんだ。お前の妹に。
それが間違っているかどうかは、今は考えらんねえけどな。
それには生きてるあいつが必要なんだ。死んでるんじゃ、意味がない。
死のうとしてるなら、無理矢理止めるしかないだろ。
それにあいつの都合が関係あるかよ。
バーカ」

不器用な言葉は、それでも確かに意志を持っていた。
鳥海ユイがどんな反応をしているのかはわからない。

彼の言葉を皆それぞれに苦しげに、興味なさ気に、驚いたように聴いている。
バン君は何処か誇らしげに、アミ君は決意するように聴いていた。
皆が何かを決めかねている中、僕たちの意志を一つに収束させる力が彼の言葉にはあった。

僕も彼の言葉を噛み砕いて、飲み下す。

彼は自分が助けたいから助けるのだ。
謝るためには、彼女が必要だから。
理由は全く違うけれど、その目的はバン君と同じ。
それでいて、僕たちの…僕の抱える感覚にとても近い。

僕も謝りたい。
気づかなくて悪かったすまない、と。
自己満足なのは承知の上で。一方的で望まれてなくても。

それから出来るならもう一度、僕は彼女の優しい声が聴きたい。

「それにな、お前だって助けたいなら助けたいって言えよ。
何が家族じゃないから権利がねえだ。回りくどい言い方すんな。
俺たち人間だって、んなもん割り切れるか。
そもそも、助けるのに権利があってたまるかよ。
そんなこと言って、出来ないとか決めつけるんじゃねえ。
出来ないって言ってるってことは、出来るならそうしたいってことだろ?
言われたからとか、命令だからとか理由付けんな。
今、この場で一番力を持っているのはお前なんだ。
力を持っているお前が助けようとしないでどうする」

《…わ、私は…》

声が動揺しているのがわかる。
温度を取り戻しつつあるその声はカズ君の言葉に引きずられるようにして、苦しげに話し出す。

《私だって、助けたいよ。
大切だから。私を造ってくれた人だから。家族だから、妹だから。
でも私はあの子を助けるための言葉を持ってない。
どんなにユイらしくなっても、本物らしいって言われても、それはやっぱり「らしい」ってだけで偽物で……私はあの子が家族に求めた言葉を言ってあげられない。
だから、救えないんだよ…。
あの子がしようとしていることが、私のためだっていうなら尚更なの。
そんなこと私は望んでないのに…!
でも、私は無力だから。今だって、エレベーター止めたり、扉下ろしたりして足止めするのが精いっぱいで…》

震える声が感情を吐き出していく。

鳥海ユイは常に笑ってはいたが、感情を吐露することはほとんどなかった。
僕が見た限り、初めてのことだ。
その言葉は間違いなく彼女の妹のことを大切に想っていることが伝わってくる。
彼女はその後を言うのを躊躇っているのか、沈黙が訪れようとしていた。
僕はそれよりも先に口を開いていた。

「僕は彼女の名前を知りたい。
まだ本当の名前を知らない。
だから彼女の声で、意思で、ちゃんとその名前を聴きたい。名前を呼びたい。
出来れば、あの優しい声をもう一度聴きたい。
そのために、自分のために僕は彼女を助けるんだ。
だから、頼む。ユイ。
僕たちに協力してくれ」

そう宣言すると、自分の中で自然に答えは出た。
カズ君の言うとおりだ。
後回しばかりだけれど、自分勝手も甚だしいが助けるんだ。
それだけは確かだ。
視界の端で、肩をすくめたカズ君の姿が映る。
「難しく考えすぎなんだよ」と彼は言った。
本当にそうだと思う。
僕も鳥海ユイも、それから青い瞳の彼女も難しく考えすぎている。

《役立たずでも、出来損ないでも、本当の家族じゃなくても……私が助けていいのかな?》

「ああ。もちろんだ」

僕がそう言うのはなんだかおかしい気がしたけれど、バン君もカズ君も何も言わず、僕に言わせてくれる。
鳥海ユイはどう受け取ったのか。

《…あの子はヘリポートに向かってる》

泣きそうな声で、ぽつりとそう呟いた。
液晶画面にはタイニーオービット社内の見取り図が映し出される。
ビル中央部に赤い点が光っている。
あれが今の彼女の居場所か。

「ヘリポート?」

「そういえば…いつだったか、私とカズとあの子の三人でヘリポートを見に行ったわ!」

「あの時から全部考えてたってことかよ」

《そうだよ。
もっとずーっと前から、決めてたの。それが「約束」だからって。
でも、多分だけど「約束」がなくてもいつかはこういう行動に出てたと思う。
一週間とか一か月単位の覚悟じゃないんだよ。

それを今から本当に、止められるの?》

ユイはもう一度僕たちに確認する。
その覚悟が、熱量が、どれほどのものなのか僕は知らない。
止めて後悔されるかもしれない。
それでも、止められずに死なれる方が嫌だ。

「止める。絶対に」

強く、絶対的な意志の元にそう言う。
しばしの沈黙の後に、きっとユイも覚悟を決めた。

《……わかった。信じるよ。
私の持っている権限はもうあんまりないけど、やれる限りのことはする。
私のCCMから指示を出すよ。
絶対に間に合わせるから!
だから…

あの子をよろしくね。ジン君》

慈愛の籠った言葉と共に、重く閉ざされていた扉がゆっくりと開いて行った。


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