61.Carnival V / ダレカ (62/76)
繋がった。
何故だかはわからないが、繋がった。
「はあ!? なんでだよ!」
彼女の声が聴こえたのか、いつの間にか隣にいたカズ君が驚愕していた。
今はそれを気にしている場合ではない。
《おーい。
喋ってくれないと話が進まないわよー。
…といいますか、そもそも通話なんて出来ないはずなんだけど…そういうふうに命令したのに…どうしてかなあ》
「…思い出したんだ」
《ん?》
「君との病院での記憶を思い出した。
君と僕は確かに出会っていた。
でもそれは君であって、鳥海ユイじゃない」
《んー?
それはどうしてかしら?
私は鳥海ユイって言ったのは、他でもないジンじゃない。
その時会ったのは、間違いなく鳥海ユイよ》
「そうだ。君を鳥海ユイとしたのは僕だ。
君がそう見られるように仕向けていたのもあるのだろう。
事実、僕は騙されていた。
僕は間違った。
君は鳥海ユイじゃない。
鳥海ユイが妹のフリをしていたんじゃない。
妹が鳥海ユイのフリをしていたんだ。
君は鳥海ユイの妹だ」
《………っ》
はっきりと僕は言う。
彼女が微かに息を飲んだのがわかった。
僕の声が聴こえているバン君やカズ君、アミ君は目を大きく見開いた。
当然だ。
何故ならば、彼らが本物としてきた鳥海ユイは本物ではなかったのだから。
「崩壊事故にあったのも、僕に鳥海ユイだと名乗ったのも、今の今まで鳥海ユイだったのも、全部君なんだ。
君が言っていたことは、全て妹のことだった。
君は君自身のことをちゃんと語っていたんだ。
それを姉のこととして認識したのは、僕だ。
間違えたのは、忘れていたのは、他でもない僕なんだ」
《…どうして、そう思ったの?》
声が微かに震えていた。
僕の声も震えそうになる。
意識して呼吸をし、震えを無理矢理抑え込む。
「決定的なのは写真だが、鳥海ユイに対してずっと違和感があったんだ。
当たり前だ。
僕の知っている鳥海ユイは君であって、本物の鳥海ユイじゃない。
亜麻色の髪に青い瞳の君こそが、僕にとっての鳥海ユイだったんだ」
長い沈黙が訪れる。
警報音がうるさい中、僕は必死で耳を澄ました。
彼女が静かに息をする音だけが響いている。
「事故で亡くなったのは鳥海ユイなのか…?」
注意しつつも怒気を孕んだような、怯えるような訊き方をしてしまう。
通話口の向こうで彼女はどんな表情をしているのだろう。
無表情のような気がして、背筋に悪寒が走った。
《………うん。
私はそれ以来、ずっとユイだった。今はただの名無しだけどね。
バン君たちと仲良くなったのは、本物のユイじゃないんだ。
私、最初から、本当に最初からみんなに嘘を吐いていたの》
諦めたのか、腹を括ったのか。彼女は僕の問いを肯定する。
よく聴けば、涼やかな声が震えていた。
それでも泣いているようには感じられない。
彼女は深く息を吸う。
ジジ…と再び耳障りな音がして、スピーカーから一転して彼女の明るい声が響いた。
《ジン。
貴方の推測通り、私は鳥海ユイの死んだ双子の妹。
今の今まで鳥海ユイだったのは、私。
最初から私は貴方たちを騙していた。嘘を吐いていた。
気づかせなかったのは私。貴方が悔やむ必要はないわね。
最初から貴方たちの敵だったの。
味方じゃなかったのよ。
だから……私のこれからを気にすることはないわ》
「………は?」
「死んだって、じゃあ、本物のユイはどこに行ったのよ…?」
《本物と呼べるべきユイは、もうこの世の何処にもいない。
でも、ユイはいるわ》
先程から何回も繰り返している言葉。
『鳥海ユイはいる』と彼女は言うが、彼女が鳥海ユイではないと宣言した時点で鳥海ユイはどこにもいないはずだ。
「君が鳥海ユイだからか…」
《いいえ。言葉のままの意味よ。
まあ、本物かと問われれば本物ではないけれど、ユイではないとは言い切れない。
でも、私とは違うわ。ユイの方が貴方たちといるべきなのよ。
ユイがいる時点でね、私は…もうユイでいる必要はないの。
だから、もう眠ることにするんだ。
私、こう見えてもへとへとだったんだもの…。
っと、そういえば、なんでこれスピーカーになってるのかしら?》
彼女がそう言えば、スピーカーから声は消え、僕のCCMからしか声が聴こえなくなる。
僕は彼女に問いかけた。
「君は…何をしようとしている?」
僕の強い問いかけに、彼女は明るい声を抑えた。
涼しげな覚悟を決めた、それでも弱々しさを感じる声で言った。
《ジン。私、お父さんとお母さんが大好きなの。
もうこれ以上ないってくらい、大好き。
ユイのことも同じくらい好き。
なかなか褒めてもらえなくて、名前を呼んでもらえなくて、でも優しい時間も確かにあったんだあ。
私の家族は私とって何よりもかけがえがなくて、シアワセな家族》
まるで脈絡のないことを話し出す夢見るような幸せな声がする。
僕は自分の記憶とあの冷たい部屋を思い出した。
彼女の声は残酷なまでに幸せだ。
《でも、他人から見るときっとそうじゃない。
私の家族はおかしいんだ。私もおかしい。
ずっとお母さんは振り向いてくれない。お父さんは私を見てくれなくて、お姉ちゃんは死んじゃったけれど、私にとってはそれが普通だったんだよ。
むしろ、そこに愛があるって信じてた。
ううん。今でも信じている。
それでもおかしいって、やっと気づいたの。
気づいてしまったの。
気づきたくなんて、なかった。
ずっと私の普通のままでいたかった。
でも、そんなわけにはいかなかったんだよ。
ユイは普通の家で育って、確かな親の愛を知っている。
そういうふうでなければいけないから。
それを教えるためには、私が本当の普通に気付くしかなかった》
気づきたくなかったと、彼女は嘆く。
家族の愛を信じていると、彼女は言う。
どれもが彼女の本心に違いない。
彼女はここにきても未だに、当然のことのように、歪に家族を愛している。
《私はいつか大人になる。
それが法律的な二十歳なのか、それともそれよりも前なのか後なのかはわからないけれど。
私も貴方も、大人になる。それは絶対。当たり前。ずっと子供のままでいられる人なんて、いない。
でも、どういう大人になるかまでは誰にもわからない。
お母さんもお父さんも私は愛してる。もちろん、ユイも。
でも、でもね、ジン…ジン君。私ね、お母さんとお父さんみたいな大人にはなりたくないの。
大好きでも愛していても、もうそれしかないって思っていても。
ううん。なっちゃいけないって思うんだ。
私はきっとそういう大人になる。
みんなに嘘を吐いていたから。家族に見限らせてしまったから。……ユイの居場所を奪ったから。
だから、私は大人になりたくない。
ユイのまま、大人になりたくない。
それは私の役目じゃない。
私の目的は叶った。私はこれから約束を叶えるの。
何度も言っているけれど、私は記録を元に戻す。
もう一度、私が眠るの。
それで、全部元通りにするんだよ》
意志の籠った確かな声だった。
途中で少し憤ったかのようにすら思える声で全てを言い切った。
まるで、これが最後とでも言うかのように、感情の全てを僕へと向けた言葉だった。
彼女の心からの言葉。
そして、僕は彼女の言った言葉の意味を今度こそ、正しく理解する。
彼女は死んだはずの鳥海ユイの妹だ。
それを記録通りに戻すということが何を意味していて、眠るということがどういう行為なのかをはっきりと想像できた。
口にするのを躊躇うようなその行為は、僕が今一番望んでいない答えだった。
「君は……死ぬのか…?」
僕が呟くと、視界のバン君たちが目を見開いた。
微かな僕の呟きが聞こえたのは彼らだけで、あとの人たちは室内を忙しく動き回っている。
どうか否定してくれと願いながら耳を澄ませて、彼女の返答を待つ。
沈黙が長い。
長い沈黙が何を語っているのかは明白であり、
《……うん。そうだよ》
否定、しなかった。
僕は再び声が震えるのを押さえながら、考える暇もなく話し出していた。
「君が…君がどんな大人になるかなんて、わからないじゃないか。
これからでどうだって変わる。
君が両親のようになるという確証はどこにもないんだ。
それに君は敵だけれど、敵らしい行動をしなかったじゃないか。
『アルテミス』の時はユウヤを助けた。メタナスGXやアキハバラで、わざと負けたんじゃないのかっ。ゴライアスで君は僕たちを負けないようにしたんじゃないのか!
敵ならば、何故今この絶好の機会にLBXで僕たちを攻撃しない!
そんなの敵として、おかしいじゃないか。
君は僕たちの敵であるという前に、僕たちの味方であるという大前提があったんじゃないのか?
それならば、僕たちを裏切ったことにはならないはずだ……。
だから、だから…」
最後の方は自分でもなんと言おうとしたのか、わからない。
僕はただ止めなければと思った。
ここで止めようとしなければ、彼女は本当に…。
《ジン。それは違う。
私は最初から最後まで、貴方たちの敵だった。
それが本当のことよ》
聞き分けのない子供を宥めるように、彼女は僕にそう言った。
くすくすという笑い声がする。
それはとても渇いていて、楽しそうではなかった。
くすくすと、彼女の涙がこぼれていくような錯覚を覚えた。
《ジン》
冷たい声で名前を呼ばれる。
いつか名前を呼ばれたあの優しい声には程遠い。
きっと暗い目をして僕の名前を呼んでいる。
体温すら奪うその声に指先から冷たくなっていく。
《恋人とかじゃなくて、家族でも愛してるとか大好きって言葉や感情は、もっと貴くて清らかで澄んだものであるはずなのに、なんでこんなに……》
すう…という息継ぎの音。
暗く淀んだ、深く冷たい声がする。
《好きって苦しくて、つらくて、絶望なのかな》
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