59.Carnival T / サヨナラ (60/76)
彼女は自分なんかどうでもいいようで、その行動は後のことを顧みていない。
鳥海ユイは何を考えているのか、全く読めないのだ。
「……あら、だって関係ないもの。私には。
今後どうなろうと、私には一切関係ないわ。
あるとしたら、それってユイに対してでしょう?」
「? だから、君に関係あるんじゃないか。
君は…鳥海ユイだろう」
当然のことを、再び不敵に笑いながら彼女は言う。
彼女は垂れ下がっていたその腕をやっと上げようとしていたところだった。
その手には何も握られていない。だから、油断した。
油断してしまった。
「そうね。私は鳥海ユイなのよ。どうやったって、そうなの」
「? 何を…言っているんだ?」
「ジン」
僕の疑問は優しく呼ばれた彼女の声で遮られる。
不敵な表情と声は何処にいったのか。
今までとは別物のその声が耳に届く。
どこか諦めを含んだ切なそうな笑顔が目に焼き付く。
「無理難題を突き付けてごめんなさい。
でも楽しかったんだあ。一番楽しかった。
賭けには負けちゃったけど、一生懸命探してくれたのを知ってるから。悩んでくれたこと知ったから…それで、いいや。
私を探してくれて、ありがとう。
嬉しかったよ。本当に嬉しかったの。
本当は名前を呼ばれてみたかったけど、それは贅沢だよね。
でも、ユイの名前はちゃんと呼んであげて。
いつまでも『鳥海ユイ』じゃ、きっと寂しいよ。
仲間なのに距離が遠いって、寂しいんだよね。多分。
私、わからないけど。
わからなくて、ごめんなさい」
「ごめんなさい」で始まり、「ごめんなさい」で終わった彼女の語りは滅茶苦茶で時々声が小さくなって、詰まったりしていた。
喋り方もどこか幼い。
いつものイオでも、鳥海ユイでもない。
でも、今の彼女は僕にとっての鳥海ユイだと思えた。
周囲が慌ただしくなる一方で、彼女の周りだけが静寂を保っている。
僕もバン君もアミ君もカズ君も、裏切られて憤っているはずの他の仲間もその静寂に足が縫い付けられたように動けず、怒れずにいた。
「ねえ。
鳥海ユイはいるよ」
焦げ茶の瞳が揺れる。
「貴女が、ユイなんだから当たり前でしょ」
怒りが滲ませた声でアミ君が僕たちの総意を代弁する。
鳥海ユイはそれに頷き返し、「そうだね」と再び涼やかな声で返した。
「ここに鳥海ユイはいるの。
これからもユイはいる。
だから、私は今まで通り眠ることにするんだ。
大丈夫。きっと助けてくれる。
ユイは私と違って、明るくて良い子で頭もいいから。
再現し切れたかはわからないけど、ユイだからきっと大丈夫だよね。
そうだなあ。でも、私のことをゆるさないでいてくれるといいなあ」
「だから、な…にを、言っているんだ…。
鳥海ユイは、君なんだぞ…」
彼女の口から紡がれる言葉に、僕はまた心臓を握られたような気がした。
今度は冷たい凍っているかのような手で。
なんだ。この違和感は……
僕の心臓がどくどくと音が聞こえるんじゃないかと言うほど動悸しているのなんて、彼女は気にしない。
腕が上げられ、その手が彼女の瞳へと向かう。
手の中には何もないのが見えた。
その指が瞳へと伸ばされる。
何かを取った後、それを握りつぶした。
「……?」
手首を捻るような動作。
伏せられていた瞳が上げられる。
彼女はまっすぐに僕を見つめてくる。
黒髪に紛れるようにして、僕だけがその瞳を見ることが出来た。
その瞳の色は青だ。
海のように深く暗く青い瞳が僕を映す。
その瞳はもう覚悟を持っていた。
あの頼りになる笑顔が今僕の紅い目には映っているはずだ。
ああ。その笑顔は場違いだ。
この絶対的に不利な状況でその笑顔はなんだ。
君は何をしようとしている。
「さあ。カーニバルのはじまりよ。ジン」
何もなかったはずの手には、彼女のCCMが開いた状態で握られている。
気づいた時にはもう遅かった。
真野さんたちがそのCCMを奪うよりも先に、彼女は呟いた。
「ユイ」
不敵な表情はそのままに、硝子の鈴を転がしたような声で自分のものであるはずの名前を愛おしそうに呼んだ。
もしもそれで自分の名前を呼ばれたら、きっと蕩けるような幸せを受けられるかのように錯覚させる優しい声。
余韻すら優しさを孕むというのに、それはすぐに警報音の不協和音に遮られた。
緊急事態を知らせる赤いライトが途端に光り出す。
青い瞳もそのライトの色に塗りつぶされ、色がわからなくなる。
同時に見えたのは、青白い閃光。
鳥海ユイの手にいつの間にか旧式のスタンガンが握られている。
その足元には気絶させられた真野さんたちが転がっていた。
「どうしたっ!?」
「わかりません! 突然内部の回線が全て遮断されて…!
それどころか、ロックが掛けられて操作出来ません!
そんな…! さっきチェックした時にはこの箇所に異常はなかったのに…」
「っ!ユイ ! お前、何をした……!」
「えー?
ちょっとした馬鹿騒ぎですって。
カーニバルってそういうものでしょう?」
彼女はその手の中のスタンガンを弄びながら、余裕の表情を浮かべる。
スタンガンを彼女に迫ろうとしていた拓也さんに投げつけ、すぐにCCMへと持ち帰る。
素早いボタン操作に僕もCCMを構えようと、ポケットに手を入れた。
その時、ポケットから写真立てのメモリーが落ちたことに僕は気づかなかった。
彼女の目はそれを追うように伏せられたことにも気づけなかった。
そんなことは知らずに構えるが、僕がCCMを動かす前に勝手にゼノンが動き出す。
「ゼノン!?」
「え! ちょっと! パンドラっ?!」
「おい! 待て、フェンリル!」
「オーディーンっ!?」
皆のLBXが勝手に動き出し、あろうことか僕たちにその武器を向けていた。
操られている!
咄嗟に緊急停止のボタン操作をしたが、エラーが発生し止めることも出来ない。
鳥海ユイが操作しているのか?
いや、通常のLBXなら多少は大丈夫かもしれないが、この場のLBXは最新の技術を使って造られた特別製のものも多い。
操作するのにもそれ相応のスペックがいる。
それを彼女のCCMひとつで操っているのか?
そんなの無理に決まっている。
何か仕掛けをしたに違いない。
「私たちのLBXに何をしたのよ!?」
「見ての通り。
君たちのLBXを操ってるのよ。
仕掛けの一つや二つ、私がしていないわけがないでしょうに。
まあ、邪魔しなければ、手荒な真似はしないわ」
そう言いながら、ごそごそとポケットを探ると鳥海ユイがいつも持っている方のCCMを取り出した。
それを勢いよく放り投げる。
反射的に手を出して僕がそれを受け止めると、見越していたかのようにCCMはすんなりと僕の手に収まった。
「それ、返すね。
私にはもう必要ないんだ。
ユイに渡してあげて。
あ。自由に調べてもいいけど、壊さないでね。
お願いだから」
口調がまた子供っぽくなる。
明るく素っ気ない声。
その表情には相変わらず迷いがない。
まるで最初からこうなると予想し、こうすると決めていたようだ。
「じゃあね。お別れだよ、ジン。ユイをよろしくね」
くるりと長い黒髪を尻尾のように振りながら、彼女は扉から外へと出て行こうとする。
後ろで手を組み、遊びに行くような気軽さ。
下手をするとスキップしそうな勢いだ。
彼女は最後に思いついたように僕に振り返ると、不敵に笑う。
僕はその笑顔に足が縫い付けられたかのように動けなかった。
茫然とただ立ち尽くす。
「この言葉は二回目ね。
прощание。
バイバイ……―――ジン君」
鳴り響く警報音にかき消えそうな声は辛うじて僕の耳に届いた。
「待っ……!」
手を伸ばし名前を呼ぼうとして、声が出てこなかった。
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