56.翠の海 (57/76)


「タイムオーバーか。
わかったよ。ダディ。
ふん。命拾いしたね、君たち。そこの凡人も」

「そうね。君との共闘も楽じゃなかったわ。
次がないことを願うわね」

「それは僕の台詞だっ…!
後はお前がやっておくんだな。凡人!」

「はいはい」

神谷コウスケは未だに青筋を立てながら、室内を出て行った。
それをイオは見送ると、まず最初に足元に落ちた千切れたリボンを拾う。
細かい糸くずまで丁寧に拾い上げ、ポケットに仕舞い込む。

仕舞いこむ直前、慈しむようにリボンを優しく撫でたのが見えた。

それから、壁のボタンを押してアミ君たちのCCMを取り出す。
器用にも四つを同時に放り投げて渡すと、最後にケースを引っ張り出した。

「これ。返すわね」

彼女が奪ったものでもないだろうに。
そう言って、バン君へとそのケースを押し付ける。

「え?」

疑問符を浮かべながらバン君がケースを開け、それを僕らは横から覗き込んだ。
中には奪われたはずのエターナルサイクラーがあった。

「な、なんで…?」

「なんで返したかってこと? 必要なくなったからじゃないかしら。
ドングリっていうのが、そこで製造されてるじゃない。
あれはメガトン級の威力を持つ超小型爆弾なのよ。
それを製造するためには、エターナルサイクラーを使ったグラビティーポンプというものを作る必要があるの。
そのグラビティーポンプが完成してしまったから、必要なくなったんでしょうね。
一度完成すれば、ドングリを無限に生み出せるんだから」

製造されるドングリを指差し、笑顔で丁寧に彼女は説明するが、言っていることは凶悪そのものだ。

「さあ。あんまり時間はないわよ?」

彼女はいつもの不敵な笑顔を浮かべた。
そのままの笑顔で、その横のぽっかりと空いた小さな空間を指差す。

「そこから外に出られるらしいわ。
『シーカー』の人たちが心配しているだろうから、早く帰りなさい」

そう言うと、さあさあと急かすように何故か片手で僕たちの背中を押そうとする。

「ちょっと! 押さないでよ!」

「わわ…! ちょっ、まだ聞きたいことがあるんだけど…!」

バン君は慌てて、イオに向き直った。
彼女の瞳が不思議そうに揺れる。

「さっき、なんで俺たちを助けたんだ?」

「ああ。ルシファーの翼を打ち抜いた時のこと?
神谷コウスケが気に食わなかっただけなんだけど、助けたように見えたならきっと君の見間違いよ。
ほら。だって私、オーディーンの攻撃、ちゃんと避けたじゃない」

「それはそうだけど…」

「そういうことなの。
ほら。早く帰りなさいって」

バン君の疑問を軽く流すと、その背中を更に押して、狭い空間に押し込めた。
僕はその後を追うように中に入ろうとして、

「ジン」

名前を呼ばれて立ち止まった。
青い瞳が冷静に僕を見る。
真摯に、懇願するかのようなその視線に目を反らしそうになるのをどうにか堪えた。

彼女は僕とは違って、不敵な笑顔を浮かべる。

「勝負は私の勝ちかな?」

「そうだな…」

「途中経過ぐらい、教えてくれもいいと思ったんだけど…それもなしだったわね。
ああ、迷路のあれは微妙にそうだったかな」

「そうかもしれないな」

「………妙に素直なのは、逆に気持ちが悪いんだけれど…何かあったのかしら?」

それを君が言うのか。
イオは不満げな顔を作る。作ったような顔に感じてしまうのは、僕の気のせいであって欲しい。

「何もない。
…勝負は僕の負けだ。それでいい」

「…ふーん。まあ、何かハンデを背負うなら勝手にどうぞ。
こちらからは何もないわ」

「本当に、それでいいのか?」

「ええ。最初に言ったじゃない。
条件全部飲み込んでもらっての勝負だったんだから、破るわけにはいかないでしょう」

「分かってないわね」とつまらなそうに言葉を続ける。
それから、彼女は僕の背中も片手で押して、狭い空間に押し込もうとする。

「……君は死んだ人間を生き返らせたいのか?」

押し込まれる前に、僕はそう訊いた。
なんて脈絡のない。それでも訊いておきたかった。
彼女は、誰を生き返らせたいのだろう。
彼女の言うカーニバルはそういう意味ではないのか。

「まさか。
私、灰原ユウヤに言ったじゃない。『死んだ人間はかえってなんてこない』って。
死んだ人間はね、どうやったって生き返りなんてしないわ。
死者は死者として、大人しく眠っているべきなのよ。
誰だって知っていることじゃない。
私も貴方もそれを知っているでしょう」

青く澄んだ瞳が当然というように僕を見つめた。
そして、溜め息を一つ吐き出す。

「さあ。仲間が待ってるわよ」

背中を押そうとする手が見える。
僕はそこで気づいた。
その手は鳥海ユイが僕に差し出してきた方の手だ。
悠介さんの遺体を触っていたのとは、別の方の手。
偶然かもしれない。
偶然かもしれないけれど、その手が一瞬戸惑うように止まって、そろりと伸ばされる。

「じゃあね。ジン。
また会いましょう」

「ああ。また会おう」

僕がそう返すと、彼女は驚いたような顔をした。
それから…微かに寂しげに笑う。

「うん」

いつもとは違う少しだけ子供のような声。
イオはぽんと優しく僕の背中を押した。


■■■


ダストシュートから放り出された僕たちはゴミの上に着地した。
べしゃという間抜けな音を立てて落ちた僕たちは、文字通りゴミのようだ。

「やっと見つけたよ。あんたたち」

「いやー。一時はどうなるかと!」

「無事で良かったっす」

そんな僕たちの前には助けに来てくれた真野さんたちの姿とその後ろから、鳥海ユイが顔を出した。

「良かったー。みんな無事だったんだね!」

「ユイ!? しばらく来れないんじゃなかったの?」

「拓也さんから連絡貰って、頑張ってお父さんを説得してきたんだよ!」

『お父さん』

彼女のその言葉に生温かい手で心臓を握られたかのような錯覚を覚える。
今日何回も感じた息苦しさが襲ってくる。
生温かい手が僕の心臓を握りつぶすのを待ち構えている。

彼女はアミ君に駆け寄り、いくつか言葉を交わした後に僕の方を振り向いた。

心配そうな瞳と目が合う。
本能的に逸らそうとする体をどうにか抑えた。

「ジン君。大丈夫? 顔が青いよ?
立てる?」

すうっと音もなく手を伸ばされる。
差し出された手はイオが僕の背中を押したのと同じ方の手だ。

「…………」

「え、えーと…」

おずおずと更に伸ばされるその手を僕は取る。
彼女は驚きながらも、「よいしょ」と声を出して僕を立ち上がらせた。
すぐにその手は離れる。

「ありがとう」

僕が素直になるべく彼女の目を見て言うと、心底驚いたような顔をされる。
それから、にこりと笑った。

「えへへ。どういたしまして」

嬉しそうな声音に、僕は思わず目を反らした。



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