49.墜落する飛行船 (50/76)
「え……?」
「私の目の前で車に轢かれて、それで…だから、妹はもういないから、何もしてないっていうのはそういうことなんだ」
「交通事故…」
「うん。事故」
あまり思い出したくないことなので、追及されないか心配だったけれど、ジン君は目を見開いただけで何も言ってこなかった。
顔を伏せて、何か考え込んでいるようで、私は声を掛けようと思って彼に近づく。
「だ、大丈夫?」
手を伸ばして触れようとしたところで、ジン君が顔を上げる。
紅い瞳が私を見据えた。
思わずたじろぐ。
「大丈夫だ。それと、話し辛いことを訊いて申し訳なかった。
すまない」
「ああ、うん。それは、気にしてないよ」
もう終わってしまったこと、だし…。
「…バン君と合流しよう」
「あ、うん」
歩き出すジン君の後に付いていく。
いつかのときのように、ぴょこぴょこと私は歩き出す。
歩きながら、ふにふにと自分の頬に触れてみた。
うーん…。
「ジン! ユイ!」
「バン君!」
手を振って駆け寄ると、バン君は満面の笑みで「無事で良かった!」と言ってくれる。
ジン君はバン君にオーディーンを渡す。
オーディーンが少し傷ついているのを見て、私のクイーンもそういえば傷ついていたなと思って、ぽんぽんと鞄を叩いた。
あとで整備しよう。
「あ、悠介さん」
整備の仕方をわくわくと考えていたところで、悠介さんの姿が視界に映る。
表情は必至そうで、どう見ても異常事態だ。
その様子にバン君とジン君も気づいたようだ。
「何があったんだろう?」
「行ってみよう」
ジン君の提案で三人で外へと出る。
そこには悠介さんと…え、と誰?
とにかく二人が対峙していて、知らない人の手には銃が握られている。
そこから先はスローモーションだった。
知らない人が持っていたケースが黒服の人に奪われ、それを追いかけて知らない人が飛び出したところで後ろからトラックが突っ込んできて――…
悠介さんが身代わりになって死んだ。
■■■
割れた眼鏡が痛々しい。
流れる夥しい量の血に吐き気がした。
思い出すのは、死んだ両親の姿。
そのまま吐いてしまえれば、幸せだったのかもしれない。
隣のバン君は膝を付き、口を手で覆っている。
無理もない。
親しい人が目の前で死んだなら、この反応は当然だ。
「………」
鳥海ユイはと言えば、バン君の傍らに片膝をつき、その背中をゆっくりと撫でていた。
「大丈夫、大丈夫」
根拠のない言葉を言いながら撫で続け、ゆっくりとその手を離した。
立ち上がると、僕に花のように場違いな笑みを浮かべる。
「ジン君。あとは任せたのです」
「あ、ああ」
そう言って、軽い動作で階段を下りていくと、悠介さんを轢いたトラックに駆け寄った。
運転席のドアを開けて、中を確認してから、なるべく血を避けるようにして悠介さんへと近づく。
首元に手を当ててから、トラックの下に巻き込まれた下半身を確認して首を振った。
「大丈夫ですか?」
「あ…あ…」
それから、そばに尻餅をついていた誰かに近寄ると声を掛けた。
相手はショックのあまり話せないようで、彼女は近づいて軽く体を触る。
「怪我はないようでなによりです」
明るい声でそう言う。
顔は見えなかったが、おそらく笑顔だ。
悠介さんの死体は遠目から見ても直視できるものではないというのに、彼女は普通のことのように見て、生きている者を気遣う。
彼女の妹は…交通事故で死んだと言っていた。
自分の家族を目の前で亡くして、それと同じようなことが目の前で起こったというのにそんなに平然としていられるのだろうか。
僕なら無理だ。
現に今、この場から動けないでいる。
「はっ…」
呼吸することすら難しくなる。
彼女に対する違和感はいつもあった。
しかし、これは違う。
間違いようのない明確な嫌悪感。
気持ちが悪い。
「ジン君!」
僕の様子に気づいたのか、鳥海ユイが近づいてくるのがわかる。
ぱたぱたとした間抜けな音が不釣り合いだ。
彼女の性格と行動がまったく噛み合わない。
死体を前にして、即座に作れるその笑顔は気持ち悪いより他にない。
「じ、ジン君! 大丈夫!?
え、えーと、バン君みたいに気持ちが悪い!?」
慌てながら僕に手を伸ばそうとして、彼女は途中で止めた。
その手は悠介さんに触れた方の手であり、それを引っ込めて逆の手を僕に伸ばす。
小さな白い手が見える。
触れて欲しくない。
「あ…っ」
無意識のうちに彼女の手を弾いていた。
その顔は見えないが、傷ついているかもしれない。
そうは思ったが、謝れるほど僕は平常心ではなかった。
「ご、ごめんね!
気持ち悪いんだよね!
大丈夫! 拓也さんたちが来てくれるって、今連絡したし、警備の人の姿も見えるから…あの、あの…!」
心から僕を心配している声音。
行き場のない手が見えた。
それをしっかりと握り直すと、彼女は本当にわからないというような声で言った。
いや、事実…その時、彼女は本当にわからなかったのだろう。
「わ、私、何か変なこと、したかな?」
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