45.ザレゴトイズム (46/76)



《「ゆるさない」…ね。
ふふっ。
うん。それって、素敵だわ》

「……どういう意味だ」

《だって…それって、》

小さな笑い声が止む。

僕の目の前にはいつの間にか出口の看板と、僕の正面に立つイオの姿。
右耳にCCMを当て、少しだけ寂しそうに微笑んでいる。

「《ずっと、死ぬまで私のことを忘れないでいてくれるって、ことでしょう》」

CCMから、そして直接透明な声が響く。

青い瞳が感情のわからない色を湛えている。

「《それは、とても素敵なことだよ》」

彼女から紡がれた言葉が鋭利に、僕に突き刺さる。

本来憎悪から発せられたはずの僕の言葉を彼女は当たり前のように受け取って、飲み込んで、そしてそれを「素敵だ」と微笑んだ。

それは…僕が初めて見る類の「異常」だった。

「さて。勝負は私の勝ち。
ということで、ジン」

パチンとCCMを閉じて、イオは悪戯っぽく笑った。
さっきまでの異常さはどこに行ったのか、明るく楽しそうだった。

「明日、私とデートしましょう」

……は?


■■■


「何故、こんなことに…」

集合場所から…デートの場所まで指定され、次の日の正午過ぎ。
物理的にも精神的にも重いなと感じている僕とは違い、彼女は満面の笑みでアイスティーを飲んでいる。

「んー?
どうかした?
あ、もしかしてコーヒーより紅茶の方が良かったかしら?」

「それはいい。
そもそも、僕が自分からコーヒーがいいと言ったんだ。
問題は…なんで、君とデートなんてしなければいけないのかということだ」

「勝負に負けたんだから、仕方がないじゃない」

「君の独断で決めたことに僕を巻き込むなということだ」

「じゃあ、来なければ済む問題だったじゃない。
律儀だね、ジン。
私との約束なんて、反故にしても誰も怒らないのに」

それはおそらく彼女自身もなのだろう。

「……約束は、約束だから…。
それよりも、デートという呼称はどうにかしてくれ」

「男女が予定を立てて、一緒に出掛けるなら、それは立派なデートでしょ。
嫌なのはわからなくはないけど、我慢しなさい。
それにジンも健全な青少年なんだから、デートの一つや二つ、その涼しげな顔で流すぐらいしなさいよ」

右手の人差し指をくるくると空中で回しながら、イオはホットドックを一口食べる。
「お腹空いたでしょう」と言いながら彼女が買ってきたそれは僕の目の前にもあり、僕も一口食べたが美味しかった。

半分ぐらいになった自分のホットドッグを齧り、どうにも出来ない不満を飲み込むようにコーヒーを煽る。

不満そうな顔をする僕を彼女は母親のような目で見つめてくる。
いや、母親というのはどうかと思うので、姉…ぐらいがいいのかもしれない。

「………」

昨日、あの迷路で僕が彼女に言ったことがまるで嘘だったかのように、普通に会話している。
イオは気にしていない様子だった。
それでも、まだあのことを否定してもいない。

そのことが引っ掛かっている。
とりあえず、じいやに鳥海ユイについての調査を依頼し、連絡を待っている状態だ。

「んー…夕方から行くとして、それまではどうしましょうか?
何か希望、あるかしら」

「僕の方からは特に――…」

「ない」と続けようとして、思いついた。

「…LBXバトル」

「はい?」

「君とバトルがしたい。
一試合でいい」

まっすぐにそう告げると、彼女は少しだけ困ったような顔をする。
ストローに口をつけ、アイスティーを飲んでからゆっくりと答えた。

「バトル…ね。
うん。いいわ。
それなら、Dキューブがあれば出来るもの。
ちょうど持ってるから。そうね……河原とかでいいかしら、場所は」

「まかせる」

僕がそう言うと、彼女は「よし」と言いながら残っていたホットドックを丁寧に食べ、優雅にアイスティーを飲み干す。
急いでいるように見えて、動作一つ一つが随分と洗練されていたのが妙に気になった。

「君はどこかで礼儀作法でも習っていたのか?」

「別に。
特には……やってないかな。
ああ、でも本で勉強はしたわね。
いざ、大勢の前に出るとき恥ずかしいでしょう。
基本はしっかり叩き込んだわ」

見事なまでのウインクを披露。
そのまま彼女が颯爽と立ち上がると、同時に強風が吹いた。
僕は髪を押さえながら風が止むのを待つと、強風にあおられ、彼女の髪を結んでいたリボンが解けた。

長い黒髪も風に舞う。
意外にもその黒髪は自分で切ったかのように、不揃いだった。

「あ…!」

ライトブルーのリボンが風で舞っていく直前、僕はそれを受け止めた。
リボンは古ぼけていて、少し色があせていた。
僕の手にリボンが収まっているのを確認すると、イオは急いで僕の元に駆け寄ってくる。

「ありがとう! ジン」

僕は彼女にリボンを返しながら、そう訊いた。
彼女は途端に笑顔になりながら、僕の手からリボンを受け取る。

「大事なものか?」

「ええ。
ずっと昔に貰った家族からの贈り物なのよ!」

いそいそと彼女は髪を結び直す。
纏めてしまうと、不揃いな部分は分かりづらくなった。

「さて、行きましょうか。
あ、ゴミを捨ててからね」

その手に飛んで行ったと思ったペーパーが握られていて、彼女はそれをゴミ箱に投げ入れた。
綺麗な放物線を描いたそれは風も計算の内なのか、少しだけ逸れながら見事にゴミ箱に納まった。

「よし。良いことありそう」

「願掛けか何かなのか?」

「まさか。
ゴミ箱に願掛けするほどの変人じゃないわよ。
でも昔から何か上手くいくと、それが連鎖していく感じがして楽しいの。
まあ。今ではある程度いろんなことを計算したり推測したりしているから、どちらかというと自分の計算が合っているか確認している状態ね。
上手く計算が合っていると、楽しいわ。
うーん…あら? これって、やっぱり願掛けなのかしら?」

「変な奴だな。君は」

「そう?」

「ああ。
君こそもう少し子供らしくするべきじゃないのか」

「私は十分子供らしいわ。
ほら、私ってお茶目でしょう?」

舌を小さく出し、それっぽく見せるが小細工もいいところだと思ってしまう。
どう見ても色々と隠しきれていない。

具体的には、その青い瞳は一ミリも動いていない。

「いや。どちらかというと、ませている」

「ええー…」

イオは心底残念そうに声を上げた。

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