41.銀の毒を垂らす (42/76)


フェンリルが地に伏すよりも先にプロトゼノンを動かした。
武器を放ったティンカー・ベルは今は無防備だ。
一気に決められると思った。

その考えは『アルテミス』において、打ち破られていたはずなのに。

「必殺ファンクション!」

《アタックファンクション ブレイクゲイザー》

そのまま空中に向けて、必殺ファンクションを放つ。

「甘いわね。ジン」

イオのその言葉通り、必殺ファンクションが直撃するよりも先に腰部の制御ユニットを操作し、少しだけ横にズレる。
それでも十分ではなく、腕に当たり爆風が巻き起こる。

それはティンカー・ベルにとって好都合としか言いようがなく、軽量化された機体で爆風を利用し、ブレイクオーバーしたフェンリルの傍らに立つ。
ずるりとその胸から武器を引き抜くと、再びそれを構えた。

「こういうことは得意なのよ。私」

不敵な笑みをうっすらと浮かべながら、ティンカー・ベルは高く跳躍し一回転。
その動きを利用して、ドライバーから銀色に輝くナイフへと武器が変わる。
以前見た武器とは違い、溝が目立つそのナイフは僕の武器を器用に絡め取り、致命傷を避けつつ、こちらにダメージを与えてくる。

じわじわとCCMのケージが減っていく。

「…相変わらず、君は強い」

僕は素直な感想を漏らす。

彼女は本当に強い。
僕の予想の斜め上をいく戦闘方法。自身のLBXの性能を100%引き出すための動き。
天賦の才に頼らない努力が滲み出るその動きには好感が持てる。

ふざけた表情や行動に反して、真摯なその戦い方に僕は小さく、本当に小さく微笑みながら状況打開のために、腕を大きく動かし逆にティンカー・ベルの武器を絡め取った。
大きく空に投げ出された武器を掴まれるより先に振り下ろしたこちらの武器。

「これで…っ!」

決着だ! そう思ったはずなのに、本当に妖精のような軽やかな動きでティンカー・ベルは武器を避け、プロトゼノンを飛び越える。
重力により落下してくるティンカー・ベルの武器が見え、それを掴まれ攻撃されたら終わりだと瞬間的に思った。

間に合わない!

「………」

ブレイクオーバーすると思ったはずなのに…。
ティンカー・ベルの武器は次の瞬間、自身の胸に深々と刺さっていた。
プロトゼノンには一撃も与えられていない。

「…ごめん。ティンカー・ベル」

無感情な声だけが僕の耳には届いた。


■■■


「イオ!」

ステージから降りた直後、僕はイオへと詰め寄った。
彼女の手には損傷したティンカー・ベルとCCMが握られている。

僕は普段の僕なら考えられないような、勢い任せで彼女の腕を掴む。
イオに触れたのはこれが初めてだった。
お互いに…話はしても、どんなに近づいても、触れることはなかった。

僕が彼女に、あるいは彼女が僕に触れた時、どんな感情を抱くのか。
答えは今、はっきりとわかった。

「何故……何故、わざと負けたんだ?」

僕が抱いた感情は 怒り だった。

彼女のあの時の行動は、明らかにわざとだ。
いや、武器が予想以上に迫っていたことを考え…それを計算できなかったと思えれば、彼女の負けは判断ミスの一言で済ませることが出来るだろう。

しかし、僕には出来ない。
彼女と戦い、負ける直前まで追い込まれた僕には、彼女がそんなミスを犯すとは思えなかった。

「あれは私の判断ミス。私の負け、貴方の勝ち。
問題あるかしら?」

こちらに振り向きながら、無邪気な笑顔で謝るでもなく言った。
青い瞳には悔しさも悲しみも何も映っていない。
『アルテミス』の時も、彼女の悔しさは一瞬で過ぎ去っていったと記憶している。
でも、あれは全力の戦いの元での結果だ。今とは訳が違う。

「君なら、他でもない君ならば、あんなミスはしない」

「…私、貴方にそんなに信頼される行動をした覚えが、残念ながらないんだけれど…」

自覚はあったのか、という思いがよぎったが、それもすぐに怒りの一つとして飲み込まれる。

確かにそこまで信頼に足る会話や行動、本心を晒し出す勇気や時間が僕たちの間にはない。
それでもわかる。
あんなミスを、多くの努力が必要であろう繊細な攻撃をする彼女が許すはずないと僕はどこかで確信していた。

彼女のあの病室での言葉を思い出す。

『裏切り』という言葉に、彼女の一番の感情が秘められていたような気がする。

「君のあの行動は、真剣に戦った僕たちに対する裏切りだ。
何より、君の、君自身の努力に対する裏切りに等しい」

「………」

静かに、それでも怒りを込めて僕は彼女に対して言葉を吐き出す。
感情の見えない、楽しげな色は見えるが、それすらも仮面のように僕には映ってしまう青い瞳はそれを冷静に受け止めている。

「私、努力はそんなにしてないわ。
そのツケがあの場で回って来ただけ。
ティンカー・ベルには申し訳ないことをしちゃったけど……私は初めから自分に対して裏切りの感情はないからね。
ジン。その言葉に、それほど説得力はないよ」

にこりと微笑まれた。
怒るでもなく悲しむでもなく、微笑まれた。

笑顔というものは、感情を隠すのにとても有効だ。
僕は笑顔よりも、それほど自分が感情の振り幅のある人間ではないと思っているので、無表情を選んだ人間だった。

イオの微笑みは完璧だった。
蔑み、怒り、嘲り…おおよそ負の感情の見えない、寧ろ慈愛に満ちた笑み。
瞬時に作れる表情ではない。
すうっと、腹の底に氷を入れられたように怒りが冷めていく。

痕が残るのではないかと思うほど彼女の腕を掴んでいた手も、いつの間にか弱々しいものになっていた。
彼女が望めば、簡単に振りほどけてしまう。

「……まあ、うん。
ジンの怒った顔、初めて見たわ。
気分はあまりよくはならないけど、いいわ。
元々、このつもりだったもの…とは言っても、そうね。
君の望んでいない方のヒントをあげましょう」

イオはゆっくりと僕の手を解くと、軽やかに距離を取る。
まるで鏡を見るかのように相対する。

微笑みは消え、いつの間にか不敵な…僕にとっては随分と見慣れてしまった笑顔を浮かべている。
その反面、青い瞳には真剣な光が宿る。

ここから彼女が言うことは、真実だ。

「私、貴方に会ったことあるわ。
覚えていないかしら?」

「…僕と?」

「ええ。
まあ、結構一瞬だったけど…ちゃんと会話もしたのよ?」

思い出すかのように、彼女が目を細める。

なんだか場違いだと思った。
さっきまでのあのぴりぴりとした空気はどこに行ってしまったのだろうかと考えたが、彼女の柔らかい雰囲気の中にも、未だに緊張感が漂っている。

「僕に君に会った記憶はない」

「それはそうでしょう。
あったら、もう少し反応があってもいいと思うわ。
それに思い出すのは私の仕事じゃないもの。
今回のヒントは、そうね……ちょっとした悪戯よ」

「悪戯?」

「そうそう。
だって、ジンが知りたいことはもっと違う、直接的なことでしょう?
私はそれに関するヒントも用意してあるけど、貴方にはもう少し悩んでほしいから、伏せておくとしましょう」

「…条件的には僕に分があるとはいえ、それは君の方に勝率が傾き過ぎじゃないか?」

「そうかしら。
もしも、思い出すことが出来れば…一発逆転よ。
あとは違いを把握して、切り取って、逆さまにすればいいだけの話。
単純に考えて、ちょっとだけ複雑にしなさい。

私は捻くれてるから」

「自覚があるなら、多少は直したらどうだ」

「ふふっ。
それが出来れば、こんなことにはならなかったでしょうね」

くすくすと笑いながら、彼女は二歩、三歩と後ろに下がる。
その瞳の青は深くなり、態度とは真逆の冷淡で無感動な色をしていた。

いつかの感覚が蘇る。
知っているという感覚。

クマのぬいぐるみ。どこか達観したような幼い瞳。白い病室。

そして、記憶の海で彼女の記憶が少しだけ光り輝いたような錯覚。

「君と…僕が会ったのは、病院か?」

「………さあ、どうかしら。
当ってたり、そうじゃなかったり?」

おどけた表情をした彼女は、実にいつも通りだった。
動揺の色もない。
冷静な瞳が相変わらず輝いており、その視線を少しだけ下に落とす。。
彼女はその手に握ったままになっていたCCMを開くと操作し、何故か僕のCCMが鳴った。

「?」

ポケットからCCMを取り出し、低い位置で開いて見てみると…イオからメールが来ていたどころか、何らかのデータが既にインストールされ始めている。
ちなみに僕は彼女にアドレスを教えていない。教える理由がない。

「餞別よ。
有り難く受け取っておくといいわ。
ちなみにそれ、下手なことするとCCMのCPUに過負荷をかけるように仕組んであるから、大変よ?」

壊れたらもう一度、同じものを作るのにはどれくらいかかるかしらね。

言外にそんなことを言われている気がした。

「なっ…!」

「あはは。いいね、その顔。
あー、楽しい」

僕が何か言うよりも先に、彼女は笑いながら人混みの中に駆けていく。

僕が追いかけても届かない距離になって、漸くイオは振り返り、大きく大きく僕に手を振る。

「じゃあねー! ジン」

後悔も悲しみも怒りも蔑みも嘲りも、喜びと楽しみ以外は何もない瞳をきらきらと輝かせ、整った笑顔を僕に向けた。


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