33.道を違えて進んでいく (34/76)


海道邸、そしてそれを通して政府、『イノベーター』の情報にも繋がっているパソコンに『イオ』という名前を打ち込む。

『開示可能情報なし』

画面にそう表示される。
やはり本名ではないらしい。
ならばと、『アルテミス』でも使われていた写真で検索を試みるが、これでも出てこなかった。

「……情報が隠されているか、消去されているのか」

公のデータに彼女は存在しないということか…。
それとも、彼女自身がそれを何らかの方法で隠しているのか…。

勝負を引き受けた以上、全力で立ち向かおうと思ったが…彼女が誰なのかを当てるのは予想以上に難しい。

僕はとりあえず彼女のことを先送りにして、灰原ユウヤについてを調べる。
ほとんどの情報、主にCCMスーツの実験データ及び実践データについては消去されているが、実験の内容データは残っていた。
おそらく…イオがあえて残したデータの一つだろう。

映像と機密書類を画面に開き、同時に見る。

それはひどいものだった。
人道的とは思えない実験の数々。

灰原ユウヤはずっとこんな実験をされてきたのか…。

そして、他でもないお祖父様がこの実験を主導した。

「灰原ユウヤについて調べてるのかしら?」

「!」

突然後ろから声が掛けられる。
聞き覚えがあるその声に、僕は急いで振り向いた。

そこにはイオが立っていた。
僕に勝負を持ちかけた少女。
しかし、なぜ…彼女が秘匿されているはずのこの場にいるんだ。

「イオ。どうやって、ここに…」

「あらら。忘れたのかしら。
ハッキングは私の得意分野よ。
侵入自体は楽じゃないけど、来れないことはないわ。
あとはダクトとか色々と通って入って来たの」

CCMをチラつかせながら、彼女は事も無げに言う。
僕はため息を吐こうとして、鳥海ユイのことを思い出し、直前で止めた。

「君は…ユウヤがこういう実験を受けていたことを知っていたのか?」

「大体は。調べないと助ける助けないもないからね。
…ひどい実験だったでしょう?」

「ああ」

僕は彼女の質問に同意する。
彼女は冷たい視線を画面に送りながら、次の瞬間にはにこりと笑った。

「大丈夫よ。実験を再開するためのデータはもう残っていない。
一から造るにはコストがかかりすぎるし、もう誰もその実験の犠牲にはならないわ。
私が壊したんだしね」

自信たっぷりに彼女が言う。
確かに僕も調べたが、データは再生不可能なまでに破壊されていた。
尚且つそのデータも多くの無駄なそれでいて似たようなデータに埋もれ、サルベージも困難だろうと推測できる。
彼女のこの発言は嘘ではない。

「……」

「ねえ。ジン。
私が誰か、わかった?」

満面の笑み。
子犬がしっぽを振るように、楽しそうに聞いてきた。

「…君が少なくとも『イオ』という名前でないことは分かった。
それから、イオ、君は公には存在していないな」

「うん。どちらも正解。
だけど、それじゃあ、五点もあげられないわ。もちろん百点満点で」

五と指を立て、不機嫌な顔をする。
僕は更に、質問を続ける。

「何故、君は公に存在していない?」

「……うーん。
いない人間だから、かな」

「いない?」

「そう。いないのよ。私はこの世のどこにも、ね。
ああ。でも、私は幽霊ってわけじゃないわ。
足もあるし、実体だってあるものね」

冗談を交えつつ、彼女は少しだけ言い難そうに答えた。
反応から見て、真実か…。

いくら彼女の方から持ちかけてきた勝負とはいえ、嘘を吐かない保証はない。
見極めも重要と言うわけだ。

「そんなことより、ジン。ヒントをあげるわ」

右手の人差し指を立て、得意げな表情。
そのまま僕に背中を向け、くるりと回転して、また僕の方に向き直った。

「私ね。お母さんの方にロシア系の血が入っているの。
クウォーターよりも、血は薄いのかな。でも、お祖母ちゃんは懐かしい匂いがするって言ってロシアにいたの。
だから小さい頃は…ちょっとの間だけど、ロシアで過ごしたことがあるわ。
ロシアってね、想像はできると思うけど、ものすごく寒いの」

「…だから、青いのか」

その青い瞳を見つめる。
澄んだ色を湛えるその瞳は、家族から受け継いだものなのかという感想を持った。

自分がかつて住んでいた場所の話をする彼女は、懐かしむように優しい顔をする。

「ええ。
隔世遺伝とか先祖返りっていうらしいの。
お母さんは日本人らしいのに、家族の中で私だけ瞳が青いのよ。
色々と苦労したわ」

「そうなのか…」

あまり実感がないが、家族と瞳の色が違えばそれ相応の苦労があるのかもしれない。
イオはわざとげに肩をすくめながら、僕を見据える。
その視線を僕からパソコンの横に置かれたプロトゼノンへと移す。

「その子が新しいLBX?」

「…ああ」

「そう。
素直な良い子だと良いわね」

つまりは操りやすいと良いということか…。
回りくどいなと思いつつも、僕は頷く。

彼女はあのふざけたような笑顔に戻る。

「さて、一つ目のヒントは以上!
何か質問は?」

「それを言うためだけに来たのか」

「その通り。そのために来たんだけど、仕事が増えたわね。
ジンへのヒントを出すのが、本命だったのになあ」

「それはどういう――」

ことだ。と言おうとして、続けられなかった。
甲高い警報が研究所中に響き渡る。

パソコンの画面へと目を走らせると、傍らに置いていたプロトゼノンとCCMを手に取り、急いで外に出ようとした。

イオは右手を耳に添えながら、僕を見据える。
その手のCCMはいつの間にか開かれていた。

「イオ。君はどうする」

「もちろん。付いていくわ」

「侵入者として捕まる可能性もあるぞ」

「私が? 今の今まで、侵入者として捕まらなかったのに?
防犯システムも私に対して作動はしないようにハッキングしてあるし、いざとなったら脱出経路も用意してあるから、大丈夫」

『イノベーター』の警備がそんなに簡単にハッキングされて大丈夫なのだろうかと心配にもなったが、僕はそれを咎めなかった。

彼女が敵になるかもしれないということも、今は考えずにおく。

僕が僕の意志で行動する以上は、この段階では彼女は敵ではないというのは確かだろう。
彼女は僕がもしくは僕『たち』が『世界を守るため』に戦うというのなら、敵になると僕に言っているのだから。

今はまだ…僕が僕のためにしか、行動していない以上は。

「こっちか」

僕はCCMで確認して、八神さんがいる場所に急ぐ。
位置が移動していないところから見て、閉じ込められているのだろう。
僕が海道義光の義孫であっても、この状態で出歩いているのは危険だ。
警備の目を掻い潜り、進んでいこうとして…何故かイオが僕の目の前に立った。

「警備の方は私に任せなさい」

そう言って、CCMを操作する。
すると、どこからか火災報知機の音やシャッターの音が聞こえてくる。
ガシャンガシャンとシャッターが高速で開け閉めされる音に、恐怖しもしたが…。

「これでしばらくは時間を稼げるはず」

「自分から殺傷性の高いシャッターに進む者はいないからな」

「そういうこと」

彼女が僕よりも半歩前に出る。
僕が前に進むよりも先に、彼女が進んでいく。

確信を持って進んでいく姿は、悠然としている。
自信を持った人間だからこそ出来るその姿。

どんな積み重ねを持って、そうやって立つのだろう。
僕が努力を重ね、お祖父様に認められることを原動力に進んできたように、彼女にもそんな何かがあるのかもしれない。

「…ここね。ジン」

再び耳に手を添える不思議な動作をしながら、僕を呼ぶ。
使わされるようなその行動に不満を持ったが、あまり時間もないので僕はCCMを入り口のパネルに当て、扉のロックを解除した。

「海道ジン! どうして、ここに…。それに君は…?」

「ああー、気にしない。気にしない」

「はあ。…こっちだ」

堪えきれなかった溜め息を吐きつつ、八神さんを逃がすために通路を進んでいく。
生贄を待つように開け閉めするシャッターを横目に見つつ、扉をCCMによって開く。

「何故、私を逃がす?」

その質問に僕は答えない。

「早く行け」

「それじゃあね。八神さん。
ああ、それと…途中でちゃんと拾って行ってあげてくださいね」

ひらひらと呑気に手を振る。
そのイオの発言に疑問を抱いたようだが、彼は通路を進んでいった。
完全に扉を閉じきったところで、僕は来た道を戻ろうとする。

「ジンは、これからどうするの?」

静かに分かりきっているとでも言うように、彼女は僕に聞いた。

「自分の意志で生きていく。それだけだ」

「ふーん。
じゃあ、私とはここでお別れね」

それは単純に帰る道が違うのか、それとも進むべき道を違えたということなのか…。

おそらく、後者だろう。

つまり、ここからは僕らは敵同士に…なると彼女は判断したのかもしれない。

「それじゃあね。
また会いに来るわ。
ジン」

彼女は振り返らずに、僕とは別の通路を進んでいく。
追いかけて来れないようにか、すぐにシャッターが下り、イオの姿は見えなくなった。


■■■


イオは目の前の海道義光を見た。
彼の胸部には外部接続用のケーブルが彼女の手元のパソコンと繋がっていて、画面を操作している。

「そんなに損傷は激しくないわね」

これなら私でも直せる。

大して安堵もなく、持ってきた工具も使って、細かい修理を行っていく。
音声データの損傷、飛んでしまった性格データを修復。

それを彼女はすぐに終わらせると、パソコンを閉じる。
更にパソコンを床に何度も叩きつけて、完全に破壊した。
耳に付けていた盗聴器も外して、ポケットに入れる。
それから持ってきた袋に破壊したパソコンの部品を詰めて、持ち帰れるようにする。

途中で適当に家庭ごみに紛れ込ませて捨てよう。

そう考えながら、タイマーによって海道義光が起動する前に、彼女は部屋を出た。




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