31.私をみつけて (32/76)


彼女はまた笑顔を浮かべる。

それはまるで今にも泣きそうな笑顔で…。
何故か胸を締め付けられた。

けれども僕がその感情に飲み込まれるよりも先になんでもないような顔を作り、イオが下から覗き込むように顔を近づける。

「私が誰か、ね」

「…っ」

『アルテミス』でユウヤにしたように、唇と唇が触れそうな位置に彼女はいた。
お互いの吐息も感じ取れるような距離。
その青い瞳に見つめられ、動くことが出来なかった。

「…そうね。
ジン。貴方ならわかるかもしれない」

「何が…だ」

「私が誰か、ということの答え」

「君はイオではないのか?」

「それはさっき貴方が否定したじゃない。
私がイオって名前じゃないから、否定したんじゃないの?」

「それは…」

否定したのは、本当に彼女の名前だったのか。
でも…そうだ。僕は彼女の名前が『イオ』ではない気がした。

僕を見つめる青い瞳を持つ人物は、そんな名前ではなかったはずだ。
思い出せない。
それでも、記憶のどこかにその色がある。

「ねえ。貴方は何が知りたい?
私の名前?
私の目的?
敵か味方かどうか?
それとも、他の何かかしら?」

「僕が知りたいと言ったところで、君が大人しく教えてくれるとは思えない」

「ええ。
教える利点が私には一つもないもの」

「じゃあ、何故僕にそんなことを聞く?」

「だから言ったじゃない。
貴方ならわかるかもしれないって…」

そう言いながら、艶やかに彼女は笑う。
その感情は読み取れない。
彼女の笑顔は、どの笑顔も実際の感情とは別物のような気がしてならないから。

わからない。そのことにただ恐怖する。

彼女は何を考えて、笑っているんだ。

「ねえ。ジン。
勝負をしましょう」

「勝負?」

「そう。
私が誰なのか…貴方がさがすのよ」

「……基準がわからない。
その勝負は、君の名前がわかれば正解なのか?
勝ち負けの判断基準がない勝負を受けるわけがない」

「判断基準…。
そうね。
私がどういう存在かを当てられれば、それで貴方の勝ちよ。
もしも私の本当の名前を知ることが出来たのなら、貴方の完全勝利」

「存在を調べろと言うのか?
そんな曖昧なもの、どうやって判定するんだ」

「難しく考える必要はないわ。
私はこれから貴方に積極的に関わっていくことにするもの。
目的だって見えるかもしれない。ヒントもあげる。
名前も過去もなんだって詮索してくれて構わないし、どんな証拠を集めてくれもいいわ。
ジンはただ貴方の正しいと思った考えを私に突きつければいい。
貴方の考えが正しいと思ったのなら、それを突きつけて、もう一度私に言えばいいのよ。

『君は誰だ?』って」

僕のさっきの言葉を彼女が繰り返す。

その息継ぎの音まで聞こえてくる。
彼女の言葉には、ふざけた様子も悪戯な雰囲気もなく、ただ真剣だった。

「僕が勝ったら…どうするんだ?」

「私が知っている限りのことから、貴方の知りたいことを全て教えてあげる。
敵だったら、それを止めたっていい。
目的を教えろと言われれば、包み隠さず言うわ」

「僕が負けた場合はどうする?」

「特にこちらからはないわね。
貴方のお好きなように。
何か後ろめたいのなら、ジンが自分でペナルティを決めればいい。
まあ、判定はこっちがするわけだし、大体均等は取れてるんじゃないかしら。
ほら。難しいことは何もないでしょう」

イオはそう言った後、漸く僕との距離を離す。
軽やかな動作で後ろに二、三歩下がり、病室の扉に近づいていくように思えた。

「良い条件だと思わない?」

「良い条件だとは思うが、僕がこの勝負を引き受けるという確証はどこから来るんだ。
僕にとって、今の君はそこまでして知りたい相手でもない」

「ええー。
ジンはもっと好奇心が強いと思ったんだけど、意外と臆病なのね」

「どこをどう解釈したらそうなるんだ…」

『臆病』と言われ、僕は少し怒りの籠った言葉を彼女に向ける。

それは…ほんの少し本当のことだったから。
自分でもどこかで『臆病』なのではないかと、思っているから。

現に僕は今、お祖父様にユウヤへの実験を聞くことを恐れている。
僕を助けてくれたお祖父様が変わってしまったのかもしれないことを恐れている。

そして、目の前のイオにも言い知れない恐怖を抱いている、から…。

「だって、ジン。私が怖いでしょ。
得体が知れないって思ってるでしょう。
心の中に私に対しての何かしらの恐怖がある。
でもほんの少しだけ、私を知りたいとも思ってる。
なのに、貴方は私との勝負を受けないの?
それは自分の好奇心に対する裏切りに等しくはないかしら。
それを臆病と言い換えて、差支えないと私は思うわ」

何処か冷たい声音。
それは僕に対してであり、どこか自分自身に対してでもあるように感じられた。
何回も見てきた笑顔が、その声と合わさるとハリボテのように見えてしまう。
嘲るような微笑みが虚勢のようで、自虐的だ。
それを見て、僕は彼女の本当の心は何処にあるのだろうか…と不思議に思った。

その時、ああ…と自覚した。してしまった。

彼女の言葉は当たっているということに。
心を知りたいということは…要するに彼女を知りたいということではないのだろうか。

口を開いては閉じる。
反論したくても、出来なかった。

深呼吸を一つ。
見つめてくる青い瞳を見つめ返す。

「いいだろう。その勝負、受けて立つ」

「うん。そうこなくっちゃ。
ああ…そうね。私の方から条件を一つ足してもいいかしら?」

「好きにすればいい。こちらに断る理由はない」

「時間制限を設けたいの。
そうね…私はこれから貴方に積極的に関わっていくとは言ったけれど、私は貴方『たち』にも関わっていくことになるわ」

「『たち』…?」

「ええ。貴方『たち』。
ジンに対しては制限なんて考えずに会いに行くけど、こっちの回数を時間制限に使いましょう。
私は…貴方たちの前に三回だけ姿を現すわ。
その間に貴方は答えを見つけるの」

「時間制限を超えたら、僕の負けというわけか。
それでいい。僕はかまない。
君が誰なのか…僕が見つける」

彼女の言葉を借りるように、僕は言った。

イオの表情が一気に変わるのがわかる。
未だ近い距離だからこそわかる、表情の動き。
小さく息を吸う音。

一瞬だけ間を置いて、それから彼女は笑う。

それは極上と表現できる、心の底からの笑み。

その意味がよくわからない。
けれど、何も言葉をかけることが出来なかった。

「ええ。
それじゃあ、勝負を始めましょう。ジン。
さあ。私をみつけて?」


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