30.再会 (31/76)


独特の薬の匂い。
外の世界から隔離されたようなゆったりとした時間の流れ。

病院というのが、僕は苦手だ。
トキオブリッジ倒壊事故で入院した時から。

小さい頃、ユウヤと一緒の病室で、彼の心からの悲痛な声を聴いたことが思い出される。

彼の病室へと向かいながら、思った。
あの時から…何も時間が動いていないように感じられてしまう病院が、僕はやはり苦手だ、と。

『アルテミス』の後、病院に運び込まれたユウヤはあれ以来目を覚まさない。
精神的な負荷がかかり、ずっと眠り続けている。
じいやが言うには…治療法はないらしい。

『イノベーター』がお祖父様があんなことをしたのかと…僕の中では未だに疑問が渦巻いている。
突き詰めて、突き詰めて…考えていると鳥海ユイの言葉が蘇る。

《信じていても疑うことを忘れない方がいいよ》

信じていても…。
それが今の僕の抱えている疑問をより明確にする気がした。
そして…あの悪寒が走るような冷静な響きと場違いな笑顔も蘇る。

彼女に対する違和感が…どうしても消えてくれない。

僕はあの声の響きも表情も…鳥海ユイが苦手なのだと、改めて気づいた。


■■■


扉のロックを解除し、ユウヤの病室の扉を開ける。
彼の体調を知らせる電子音だけが響く部屋。
眠り続ける彼とそれから…

「何をしている。イオ」

「んー? あ、ジンだ」

イオが動物のしっぽのように髪を揺らしながら、振り返る。
ここは関係者以外立ち入り禁止の上、扉にはロックが掛かっていたはずなのだが…。

僕はそれを問い詰めようとして、止めた。
よくよく考えれば、ユウヤのCCMスーツのセキュリティを難なく解除したのは彼女だ。
これぐらいのロックはどうということはないのだろう。

「? ああ! 扉のロックなら解除したわ。ごめんなさいね」

あまり心の籠っていないと思われる謝罪。
その瞳が悪戯げに細められる。

「…それで、何をしていた」

「何って、お見舞い」

「見てわからない?」と問いかけながら、彼女はユウヤに近づく。
その顔をぐっと彼の顔に近づけ、「やっぱり目を覚まさいね」と一人苦笑した。

決して悪意のある言い方ではないが、一応見張る意味でも彼女の隣に立つ。
そして、その横顔を見つめた。

その瞳からは先ほどの悪戯っぽい色は消え、優しげに細められている。
より深く青い慈しむようなその目に、何故か懐かしい気持ちになる。

その瞳を知っている気がした。
しかし、どこでどうして知ったのかは…思い出せなかった。

「まあ、あれだけ無理な実験をしていれば、当たり前か」

彼女の一言が、優しい空間から僕を引き戻す。

「何故だ」

「んー?」

「何故、君がユウヤの実験のことを知っている?」

僕がそう聞くと、彼女の目が悪戯気に揺れる。

「あら。今更ね。
…なら聞くけど、あの時私が何も知らずに彼を助けたと思ってたの?」

「あの時は…状況が状況だった」

僕が苦し紛れにそう言うと、彼女はすうっと目を鋭く細める。
心地の良かった空気は一瞬にして変わり、緊張が走る。

「まあ、それもそうか。
じゃあ、冷静な判断が出来る今なら…わかるでしょう。
私は…彼を知っていたよ。以前からね」

「それをどこで…!」

「説明しなきゃダメ?
方法はいくらでもあるもの。君があの時見たようなやり方もあれば、違うところから彼の情報を手に入れるやり方だってある。
そう考えると、この問答に大した意味はないわね」

彼女はそう言うと、大げさに肩をすくめた。
くすくすと嘲笑うような笑い声が小さく病室に響く。

「…何故ユウヤを助けた」

「助けたかったから?
いや、たまたまそこにいたからかな」

「…君は『イノベーター』ではないのか」

「私がその組織の人間なら、ジンと一回ぐらい会っていないと不自然じゃないかしら」

イオの返答は尤もであり、確かに僕の記憶の中に彼女はいない。

彼女は僕の続けざまの質問にも嫌がることなく、それよりも嬉しそうに答える。
次の質問はまだか…と、むしろ遊んでとねだる子犬のようにも見える。

その様子に鳥海ユイの時とはまた違う違和感を感じる。
彼女は…一体、何を望んでいるんだ…?

「君の目的はなんだ」

『アルテミス』での質問を再び彼女に問う。
あの時はただ笑顔で返されただけだった。

おそらく今回も…。

「なんだと思う?」

違った。
彼女は今度は僕へと問いかける。

何か文句を言おうかとも考えたが、僕の方から質問攻めにした罪悪感がある。
僕は真面目に考え、そこで気づく。
僕は大して彼女の真意を見極められるほど、彼女を知らない。

その笑顔は、嫌と言うほど見ているのに。

「…ユウヤを助けるためか?」

「それは目的ではなく、過程ね。
延長線上に彼がたまたまいただけよ。
いたから助けた。いなかったら助けなかったかもしれない。
それだけ」

分かってはいたが、彼女は僕の答えを否定する。
ただそれに怒るわけでもなく、今度は明確…とまではいかないが答えをくれた。

「君は…敵なのか、味方なのか?」

「それは難しい質問だなあ。
私の立場は見方によって違うから、一概にジンの味方か敵かは言えないわ。
敵かもしれないし、味方かもしれない。
ああ、でも…そうね」

くすりと彼女が不敵に笑う。

何度も見たその笑みは、やはり不敵以外に言葉が出てこなかった。
そして、その笑顔が僕の記憶の奥底に眠っている気がした。

「ジンがもしも…これから、『世界を守るため』なんて理由で私の前に立ったなら、その時は確実に敵同士になるわ」

「どういう意味だ?」

「そのままの意味ね。
君がその行動に出たら、私の目的…ううん、これもまだ過程かな。
とにかく私の過程に邪魔になるはずだから、敵対するのよ」

確信を持って、彼女はそう僕に告げた。

綺麗に弧を描く唇。
自信に満ち溢れたその表情。

しかし、その瞳にはどこか言い知れない寂しさがあるような気がした。

僕はその瞳を見て、見つめて…知っていると思った。
その瞳を僕は知っている。

そして、一つの疑問が浮かび上がってくる。

「君は…」

「………」

「君は………誰だ?」

僕の言葉に彼女は……

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