27.聖域 (28/76)
「私が彼を助けるから」
決意の籠った確かな言葉だった。
僕はその姿にしばし見惚れてしまった。
「助けるって…一体、どうするんだよ! ジャッジを止めても駄目だったんだぞ!」
「というか、貴女…一体どこから来たのよ」
バン君の仲間…青島カズヤと川村アミが驚愕と呆れと共に、彼女を見ていた。
バン君に至っては言葉もないらしく、目を丸くしている。
イオは少しだけ楽しそうに笑うと、上を指差した。
「飛び降りてきたのよ。だって、ここ、ちょっとせり上がってるから、下からは時間かかるんだもの」
「飛び降りたって…そんな無茶苦茶な…」
「鍛え方が違うのよ。鍛え方が」
彼女はそう事も無げに言うと、灰原ユウヤへと近づいていく。
その手にはCCMが握られており、そこから外部アクセス用のケーブルが繋がっている。
「待てよ! 下手に触ったら、どうなるか…」
「大丈夫。
ジャッジは君たちが破壊してくれたから、大体のシステムは破壊出来てる。
後は灰原ユウヤとの接続をどうにかするだけよ。
それに電流ぐらい、我慢すればいいだけだもの」
にこりと、彼女は微笑んだ。
片膝を付き、視線を合わせるようにして手を伸ばす。
彼に触れる直前にスーツから鋭い電流が走る。
一瞬彼女は顔をしかめるが、それでも手を伸ばすことを止めない。
彼女は電流を「我慢」し、彼女は…灰原ユウヤを…押し倒した。
僕たちが何か声を上げるよりも先に、彼女は素早くスーツの胸部にケーブルを差し込むとCCMを操作する。
「よっと…、ごめんなさい。灰原ユウヤ。
外部接続完了。管理者権限により、システムに侵入開始」
『システムに侵入を開始します。
……完了しました』
5秒もかからずに、イノベーターの科学の粋を集めたはずのセキュリティを突破してしまう。
彼を押し倒し、片手で押さえつけながら、次の指示を出す。
彼に触れている箇所からバチバチと音を発しているが、彼女はその手を離さなかった。
「よし。
暴走箇所を含めて、全システムを破壊及びコピーも含めて辿れるだけのデータを全て消去…ああ、指定した箇所は保護を忘れずに」
『了解しました』
幼さの混じった、子供が無理に大人のフリをしているような声。
CCMの画面が目まぐるしく変わる中、灰原ユウヤの口からは叫び声が上がる。
「あああああっ! ああ、あああ、独りに…独りに…」
そう叫びながら、押さえつけられていない方の手を宙に伸ばす。
彼女も押さえつけてはおきながら、電流もあってそう痕が付く程に強くは出来なかったのだろう。
暴れる彼の手がゆらりと、一直線に彼女の首へと伸びる。
「!」
「独りに…しないでっ!」
「くっ…!」
そのままイオの手が彼から離れてしまう。
形勢逆転。
あっけなく彼女はその優位を彼に譲り、その細い首を絞められる。
停電の中観客席のざわめきに紛れるように、辛うじて息を吸う彼女の声が耳に木霊する。
「は、くぁ…」
「ああっ、ああああ…うわあああ!」
「っ! このバカっ!」
青島カズヤが彼女を助けようと駆け寄ろうとして、それを他の誰でもない彼女が止めた。
「はあ…はっ、大…丈夫…」
そう言って、苦しげに彼女は笑う。
その笑みを崩さず、彼女は灰原ユウヤにゆっくりと手を伸ばした。
何の抵抗もなくその手が彼の頬に届く。
システムのほとんどが破壊されてきているのか、もう彼女の手を拒むものはなかった。
まるで崇高な儀式を見ているようだ。
手を出せない。口を挟めない。そんなことはしてはいけない。
この状況は明らかに異常であり、止めなければいけないのに足が動かない。
「げほっ。が…っ、独りに…しない、で…ね」
「ああ…、あ…」
「馬…鹿、ね。っ、灰原、ユウ、ヤ…。
ど…なに、泣い、て…叫んでも…」
白い首に喰い込む指。
イオは抵抗しない。ただ受け入れる。
それでも、その言葉だけはナイフのように鋭く彼に差し込まれていく。
「げほっ。…死ん、だ人間は…だれっも、もどっ…てなんて、こな…」
「っ!」
言い終わるよりも先に、彼女の首が締まる。
音がするのではないかと言うほどに。
その行動とは裏腹にイオの首を絞める灰原ユウヤの目からは、涙が零れている。
彼女の頬に落ち、その青い目に落ち、一見すると彼女が泣いているようだった。
「っ…!」
今にも途切れそうな息遣いがして、それから彼女の手がゆっくりと落ちる…その前に…
「――――イオっ!!」
突然、目の前の出来事を全て否定するかのような…いや、きっと無鉄砲に放たれた声なのだろうが、とにかく大声がどこからか会場全体に響き渡った。
一瞬の静寂。
それもすぐに観客の声に打ち消されるが、同時にCCMが鳴る。
『全システムの破壊及び、データ消去が完了しました』
派手なことなど何もない。
ただその無機質な声と同時に、灰原ユウヤが彼女の首から手を離した。
「うわああああああっ! あああ、ああ…」
頭を抱え叫びだし、最後に彼は力なくイオに覆いかぶさるようにして、漸くその暴走を止めた。
「げほっ! ごほっ…はあ、はあ…さすがに死ぬかと思った」
あれだけのことをされて、出てくるのはそれしかなかったのか…。
灰原ユウヤを抱えるようにしつつ、イオは上半身を起こす。
何度か大きく息を吸い呼吸を整えながらも、彼女は問題ないとでもいうかのように再び微笑む。
「死んだ人間は誰も戻ってこない…か」
自分で言った言葉をぽつりと口にする。
それは彼女自身にも、あるいは僕自身にも向けられているようだった。
「でも、まあ…もう、きっと独りじゃないよ。灰原ユウヤ」
優しげに眼を細めながら、灰原ユウヤへと視線を送り、それから僕へと視線を移す。
灰原ユウヤの涙で潤んだように見えるその瞳は、やはり僕には彼女が泣いているように見えた。
僕はその視線に頷くことで答える。
彼女はそれに満足したのか、会ってから幾度となく見た笑顔を浮かべる。
「…ありがとう。ジン」
まるで本当に泣くようにイオは笑った。
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