25.二人 (26/76)


Bブロック終了後、イオは選手用通路にて待ち構えていた。
目当ての人物が近づいてくる。
彼はイオを不思議そうに見ながらも、彼女の目の前を通り過ぎていく。

まあ、あっちは私を知らないわけだし…。

彼女は寄りかかっていた壁から背を離した。

「マスクドJ」

そう呼ぶと、彼…マスクドJが立ち止まる。

「少しお話があります」

何か覚悟を決めたような、そんな響きを持って、彼女はゆっくりとそう言った。


■■■


「海道ジン」

後ろから不意に名前を呼ばれて、心臓が嫌な音をさせた。
しかし、その声には覚えがある。
ゆっくりと後ろを振り返ると、先ほど戦った相手であるイオが立っていた。

にこりと微笑みながら、後ろに手を組み、僕へ迫った。

「もうすぐファイナルでしょ。何してるの?
LBXのメンテナンスは?」

「メンテナンスはすでに終わっている…。
それよりも君は何故ここにいるんだ?」

「曲がりなりにも選手なんだから、ここにいてもおかしくはないと思うけど…。
あえて言うなら、君と同じ…かな」

「灰原ユウヤを調べているのか」

「うん。
色々と気になることがあるからね」

彼女はそう言うと、いたずらっぽく笑う。
その笑みはこれからひと暴れしようとでも考えているような、軽くイタズラしようとでも考えているかのような…とにかく嫌な気しかしない笑顔だった。

逃げた方がいいかと思いつつも、なぜか彼女からは逃げられる気がしない。
何故だ。

「ねえ。手伝ってあげましょうか」

「必要ない」

「まあまあ。遠慮しないで。
目的は一致してるんだから。さあ、行きましょう」

何かとても逆らえないような微笑みを持って、イオは僕の前に立つ。
言葉は強制的だが、その行動に僕を強制させる気はない。

彼女は僕の目の前に立っただけで、無理矢理連れて行こうとはしなかった。
その強引な話の進め方から僕の腕を引っ張るぐらいのことはすると思ったが、予想に反してただ待っているだけだった。

「……」

「どうする?」

「…行く」

「おおー」

その反応はなんなのだろうか。

不機嫌にしていると「眉間に皺寄ってるよ」と、注意されてしまう。
彼女は入り組んだ通路をスイスイと進んでいく。

その間、誰とも会わないと言うのだから驚きだ。
CCMを見るような動作もしないで、彼女は灰原ユウヤの控室まで辿り着く。

「うーん…。今の所、部屋の中には灰原ユウヤしかいないみたい」

「何故わかるんだ」

「それはほら、企業秘密ってやつですよ」

にこりと彼女が再び微笑む。
本当に彼女はよく笑う。
その笑みに色々な意味を含ませては笑いかけてくるその姿は、不安でもあり、不気味でもあり、そしてどこか力強かった。

彼女は小声で僕を呼ぶと、控室の入り口がよく見える位置を譲ってくれる。
そこからはちょうど、何かしらの機材を運び込んでいる最中であり、機材が入っていると思われるケースには『神谷重工』という文字が見えた。

「神谷重工…」

「うーん。あの厳重なケースからして、精密機械か何かかなあ。
LBXは登録の時点で変えられないし、武器にしては大きすぎる…。
見つかりたくないか、または外的影響を受けやすい何かか」

彼女の見解は実に的確だと思う。
出来れば確認したいところだが、迂闊には動けない。
時間も迫っている。
今はリスクを負うべきではないか…。

「………思ってたよりも酷いか」

不意に隣の彼女が呟く。

その声の調子から、何か知っているのではないかと思うと同時に…底知れない怒りがある気がした。
顔は笑顔だが。

「あ、そろそろ時間ね。
ジンはファイナリストなんだから、遅れるわけにはいかないでしょ?」

彼女はそう言うと、こっちこっちと再び僕を誘導する。
灰原ユウヤのことも気になるが、彼もファイナルに出る以上、ここで鉢合わせということも考えられる。
それはさすがにマズイはずだ。

僕は釈然としなかったが…彼女に従うことにした。
それに彼女の方が明らかに、会場の仕組みを把握している。
任せた方が効率がいい。

彼女は来た時と同じように、通路を進んでいく。
そのうち、少しばかりうるさい大勢の声が聞こえる。
観客の声か…。

「呼ばれるまで一緒に待っていてあげましょうか?」

「そこまでしてもらう必要はない」

「あら。残念」

彼女は手を振り、僕の横を通り過ぎていく。
足取りは軽く、今にも歌いそうな雰囲気で。

「バイバイ。
頑張ってね。あ、そうそう。ジン」

くるりと器用に回転し、満面の笑みを浮かべる。
時間にして1時間ぐらいの付き合いだが、こういうときは何かあるというのが僕でもわかった。

「ジンは親友に内緒で自分以外の友達と遊びに行かれたことって、ある?」

「…? それがどうしたと言うんだ」

「ちょっとした質問」

「……僕には関係ない質問だ」

「ええー」

「? その反応はなんだ」

「中学生なんて箸が転んでも笑う年頃に、『僕には関係ない』はないでしょう。
もっと楽しみなさい」

「……」

随分古い言い回しだと思っていると、彼女はあからさまに不機嫌になりながらも、言葉を続ける。

「まあ。答えはないってわけか…。例えが悪かったかな。
うーん…要は物事って自分の知らない間に動いてたり、知っている人が残酷な一面を見せることがあるってことを…言いたかったんだけど」

「…君は、一体何のことを言っている?」

それはもしかしたら、お祖父様のことかと思ってしまう。
警戒しながらイオの返答を待つが、彼女は悪戯っぽく笑うだけだった。

「ただの友人関係の話よ。
色々と応用が利くでしょう」

その笑顔のまま、恐らくそれ以外の意図があるのだろう答えを返してくる。
彼女は軽やかに方向転換すると、彼女の黒髪がその動きに従って揺れた。
それが…目の前で転んだ鳥海ユイを想起させるのは何故か。

「君は、鳥海ユイを知っているか?」

「鳥海ユイ?」

立ち止まり、考え込む。
その青い瞳をより青くしながら、彼女は今度は邪気のない笑顔をこちらに向ける。

「ごめんなさい。知らないわ。
その人、私と何か関係あるの?」

「いいや。こちらの話だ。気にしないでくれ」

「……ふーん」

全てを見透かすような視線を向けつつも、何も聞かずに彼女は通路の角を曲がり、そのブーツの音が遠ざかっていった。

遠ざかる音に言い知れない不安を僕は覚えた。


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