20.波紋を呼ぶ (21/76)


鳥海ユイと目が合った。
たまたま会場を見上げていたのだろう。
物珍しそうな視線を会場全体に向けていた彼女は、目の前にいる仙道ダイキは特に気にせず僕に気づくと小さく手を振った。

「はあ…」

僕は手を振り返ることもせず、堪らずため息を吐いた。
僕の態度にどう思ったのかは知らないが、鳥海ユイは再びバン君たちに向き直った。
同時にこちらも彼女から視線を逸らし、背後の階段を下りる。

階段を下りきると、すぐに声が聞こえた。

「久しぶり。灰原ユウヤ」

凛とした涼やかな声。
それがはっきりと誰かの名前を呼んだ。
僕は反射的に壁に体を張り付け、気づかれないように声のする方を見る。

「………」

「何か言ってくれないと困るんだけど…発声器官に問題はなかったはずよね」

「………」

黒髪の少女とおそらく灰原ユウヤと思われる少年が向かい合っている。
灰原ユウヤは無表情に彼女を見つめているが、少女の方の表情はわからない。
その声から、なんとなく不敵な笑みを浮かべているのではないかと想像してしまう。

「…どちらかっていうと、」

彼女が彼に近づいていく。
静かな廊下に彼女のブーツの音だけが響き渡る。
こちらから見ると、唇と唇が触れ合うような距離まで灰原ユウヤに近づき、左手を彼の肩辺りに軽く置いた。

「話さないんじゃなくて、話せないのかな」

「………」

「ああ。そっか。私を覚えてないって線を忘れてた。
君はあんな状態だったし、私のことを覚えてない方が自然かな」

会話の体を成していない一方的なやりとりは続く。
その声音は不敵そうではあったものの、どこかもっと複雑な思いやりの感情が紛れているようだった。

「灰原ユウヤ…」

僕は小さく少年の名前を呟く。
覚えがあるようなないような、とにかく曖昧だった。

「………」

「…どうにかはなりそうだけど、これは思ったより大変そう。
君への負担も大きそうだし…っと、お迎えかな」

「ここにいたのか! 灰原ユウヤ!」

「勝手に出歩くなと言っただろう!」

一方的な会話を終わらせる鋭い声が聞こえてきた。
灰原ユウヤと同じような格好をした少年が彼の肩を掴むと、二人がかりで彼を連れて行く。

彼が連れて行かれる中、名残惜しそうに彼女を見つめている気がした。
実際はただなんとなく見ていたにすぎないのかもしれないが。

「またね。灰原ユウヤ」

彼女は彼にそう声を掛け、手を振ってから彼に背を向ける。
つまりはこちらに向かってきているということであり、今の自分の状態を瞬時に理解させられたということである。

「……何やってるのかな? 君」

階段に差し掛かったところで、案の定少女に見つかってしまう。

僕とは正反対の色、青い瞳をまっすぐにこちらに向けてくる。

「…何もしていないが?」

「いや、そんな堂々と言われても…。
うーん、私と彼の話聞いてた?」

「………」

「あ、聞いてたんだ」

「聞いていない」

「…うーん。
あ、大丈夫。別に聞かれてもいい会話だから。
心配しないでいいよ、海道ジン」

にこりと笑われて確信する。
絶対に僕の言うことを信じていない。

「何故僕の名前を知っている?」

「色々と噂でね。
それに『アルテミス』出場者のプロフィールは公開されているんだから、名前は知っていて当たり前。
私のだって捜せば出て来るもの」

「君も大会出場者なのか?」

「もちろん。
そうでなければ、ここにはいないでしょう?」

彼女は笑顔でそう返す。

その笑顔は僕の想像した通り、不敵で少し人を喰ったような笑顔だった。

「…もうすぐ開会式ね。
運が良ければ、同じブロックかな」

「余裕だな」

「そう聞こえた?」

「ああ。どちらかが負けるんだ。
そして君と僕が当たった場合、そのどちらかは間違いなく君だ」


「そうかもね。
でも勝負は時の運ってよく言うでしょ。もしかしたら、私が勝つかもしれない」

そう言って、彼女は青い瞳を爛々と輝かせた。
その瞳と不敵な笑顔がよく似合っている…と僕らしくもなく思った。

彼女はにこりともう一度笑い、僕の横を通り過ぎていく。

「じゃあね。海道ジン」

ひらひらと手を振る彼女に無反応を返す。
僕の様子に彼女が溜め息を吐くが、そこでふと僕は彼女の名前を聞いていないことを思い出す。

「聞きたいことがある」

「ん? 何かな?」

「君の名前はなんというんだ?」

「私? うーん…、とりあえずはイオでいいかな。
うん。私はイオだよ」

不思議な解答が返ってきた。
名前に何故「とりあえず」を付ける必要性がある。

「どういうことだ?」

「なんでもない。なんでもない。
私はイオ。今後もよろしく」

彼女はイオは…満面の笑みで今度こそ、この場を去った。



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