短編(その他)

  黄金色の糸を編む(海道ジン)


 海道ジンが久方ぶりに雨宮ヨルに会ったのは、入道雲が際限なく枝を伸ばし、いよいよ何処にも枝を伸ばすことが出来ずに、雲がはらはらと左右に落ちだした時だったと記憶している。
 ジンは、ぱちり、と目を瞬かせた。同じようにヨルも目を瞬かせ、小首を傾げる。さらさらと風で揺らめくカーテンのように、肩口で亜麻色の髪が揺れた。
「驚くよね〜」と同意を示してきたのは、今日一緒に買い物に行くと言っていた花咲ランだ。その隣には、面白そうに目の前の光景を見るジェシカ・カイオスがいる。
 前に会った時、ヨルの髪はいつも通り、背中を覆う程度の長さだった。それが今はどうだろう。肩口より少し出る程度に揃えられ、随分と短くなっている。彼女が今着ている、シンプルなワンピースと、手に持った真新しい麦わら帽子にはよく似合っていた。

「……どうしたんだ?」

 随分と言葉足らずになってしまったが、ヨルは正しく理解してくれたらしい。こう、と白い指で髪を一房取ると、説明を始める。

「地下鉄に乗ってる時に、人にぶつかって、絡まっちゃって。面倒だから、こう、適当に」

 つまりは、面倒だから、衝動的に髪を切ってしまったのだ。勿体ないことをする、とジンは素直にそう思った。 

「すごいんだよ、ヨル。もう躊躇なくバッサリ!」

「少し調節すれば、元のままでも全然大丈夫だったのに」

「夏だからね」

二人の信じられないという声に、ヨルはそれだけで十分とばかりに答えた。
確かに暑いからという理由で、髪を切るのは世間一般ではよくあることだ。なんとなし不機嫌になってしまうのは、彼女が迷わず自分の髪を切ったことが気に食わないからだ。綺麗な髪だったから、もっと大切にしてほしかった。
何も考えず、髪を切ってしまった時のヨルのように、ジンは彼女の亜麻色の髪を指に絡めるようにして触れた。短くなった髪は、以前のようにはいかず、はらはらと指から零れ落ちる。それがほんの少しだけジンを不愉快な気分にさせた。

「さて! 私たちの買い物は一段落したし、ヨル、ジンと出掛けてきたら? ジンに新しいタブレット選んでもらいたいって言ってたじゃない」

「うん、そうだね」

麦わら帽子を被りながら、ヨルがジンの隣に立つ。幾分か伸びた背は、それでもまだ小さい方で、ジンと並ぶと麦わら帽子で彼女の顔は丁度見えない位置に来る。多少調節してやろうかと、ジンは手を伸ばそうとした。
久しぶりに会ったのだから、顔を見て話すことが出来ないのは寂しい。そして、そういった理由で、ジンがヨルに手を伸ばしても、許される関係が二人の間にはあった。
しかし彼がそうするよりも先に、彼女が麦わら帽子の下から控えめな笑顔を覗かせたものだから、ジンは動きを止める。
動きに合わせて揺れる亜麻色の髪が、さっきよりも好ましく思えた。
ヨルと連れ立って部屋を出ていく直前、ジェシカがジンを呼び止める。履き慣れないらしいミュールで危なっかしく振り替えるヨルに、先に行っているように促してから、ジェシカの方を見た。

「どうしたんだ?」

「この前アミと行ったカフェのケーキが美味しかったから、教えようと思って。新しいタブレット探しなんてすぐ終わっちゃうでしょ」

「あたしからは、この前の大会のプロモーションで貰った遊園地のチケット! 自分じゃ使わないんだもん、助かるよ!」

二人して、ジンの服のポケットにメモとチケットを捩じ込んでくる。絶対に行けという圧力をひしひしと感じながら、ジンは二人に礼を言って、ヨルの後を追った。今頃ジェシカとランの二人はやりきったとお互いの功績を讃えているかもしれないと思うと、釈然としないが、ヨルを待たせている。急がなければ。
途中、メモとチケットを確認して、これからの予定に修正をかける。休憩のタイミングも組み直した。
外に出ると、途端にむわっとした嫌な熱気に襲われる。夏が楽しそうに猛威を奮っていた。記録的な暑さです、とテレビの中のお天気キャスターは連日嘯いているが、ここ最近で記録的でない暑さの夏があったなら教えて欲しかった。
ヨルは日陰から出て、眩しそうに太陽を見上げながら待っていた。亜麻色の髪は陽射しを浴びて、薄い黄金色を帯びる。それが短く揺れる後ろ姿は嫌いではなかった。振り返ってジンを見つけると、ゆるゆると柔らかく眦を下げる。夏空を一掬いして注いだような、青い瞳とぱちりと目が合った。
ジンは早足で近づくと、彼女の右側に立って、出来るだけ自然に手を繋いだ。お互いにちょっと汗ばんでいて、繋ぐと肌と肌が吸い付くようにくっついた。ヨルが微かに肩を揺らすが、離そうとはしなかった。おずおずとヨルは人差し指の腹で、彼女の手を握ってくる、ジンの手を撫でる。暑さとは違う熱がそこにはあった。

「暑いね」

表情は涼しそうに、けれども吐息にはほんの一匙の熱を込めて、ヨルが呟いた。ジンはそれに視線をちょっと泳がせる。

「夏だからな」



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