短編(その他)

  美しい人(鶴丸国永×審神者)


人の身は環境の変化や心の機微を敏感に感じ取る。
暑さや寒さはもちろん、嫌だと感じれば気だるさを訴え、嬉しいと感じれば心の臓から熱くなる。

これ以上なく面白く、それでいて酷く煩わしい。

鶴丸国永は刀だ。人に作られた武器。鉄に人の想いと熱を加えられた存在。

心というものは元々持っていなかったはずだ。
いつから心を持ったのか、いつから自分を持つ人々や自分を墓から出した者たちに何かしらの感情を向けるようになったのか、正直憶えていない。

はっきりと憶えているのは、自分が目覚めた時のことだ。

瞼を開く。生まれて初めて肺に空気を入れる。心臓が鼓動を始める。血液が巡る。
指先を動かした。五本の指が動く奇妙な感触。
足もある。足裏に何かの感触。これは何の感触か。

「やあ、『鶴丸国永』」

自分の名前を呼ばれた。目がその人の輪郭を捉える。

短い黒髪に金色の瞳をした少女だった。
少女…というには少しばかり歳が上なような気がしたが、人間の歳というのは分からない。

ただ気が強そうだとは思った。

「こんにちは、初めまして。
目覚めて早々で悪いけれども、私の為に戦ってくれないだろうか」

容姿に良く合った声が耳に届く。

足裏の感触、この感触は畳だと漸く気づいた。

「ああ、良いだろう。退屈をせずに済みそうだ。
ところで『主』」

肺が上手く空気を出し、喉を震わせた。自分の声はこういう声なのかと思った。

低い男の声だ。でも自分を使っていた者たちよりも低くない。

人によっては儚いと表現する澄んだ声。
その声に見合うようにあつらえられた線の細い身体。

鶴丸国永はどうやらそういうふうに作られたらしい。

鶴丸の言葉に「ん?」と審神者が小首を傾げる。
切り揃えられた黒髪が揺れた。

「俺みたいなのが突然来て驚いたか?」


■■■


心があるということは鶴丸国永にとって僥倖だった。

自由に動く身体があることもまた彼にとって想像していたよりもずっと喜ばしいことだった。

今まで見ることしか出来なかったものに触れられる、感じられる。
肌で感じるということは煩わしくも新鮮で、その大半は楽しいと形容して良いものばかりだ。

春に咲く桜の花の微かな香りは心地良かった。暖かい空気が彼を包む。
春の日差しは眠気を誘うということを初めて知った。
居眠りをしすぎて初期刀と主に大目玉を喰らった。

夏の暑さは肌を焼く。ジリジリとした夏の太陽の目が眩むような光。
あまりの暑さに眩暈を憶え、審神者に夏の過ごし方の極意を教わりながら看病された。
審神者の顔を目の前で見れたのは良かったが、眩暈はもういい。あれは御免だ。

秋の色は美しい。紅葉を桜と同じようにまた愛でる。
空気がしんとした冷たさを纏い出すのもこの頃だ。
色とりどりの落ち葉からより綺麗な物を集めて、短刀たちと共に主に差し入れた。

冬は命の眠る季節だ。生き物の気配が薄く、肌を刺す痛みは寒いというものだと教わった。
寒さが身体の芯まで冷やすほどになってくると雪が降り出し、放っておくとすぐ積る。
雪というのは触ってみるととても冷たく、そして驚きを生み出すのにとても適していた。
主に特大の雪玉を当てたその日、彼女の見事な背負い投げによって雪の中に投げ出されたのは記憶に新しい。

季節を、その移り変わりを、鶴丸国永は五感で実感する。

人間はこれを生まれながらに感じられるのか、なんて羨ましい生き物なのだろう。

戦場を駆ける時の感覚もまた新鮮だった。
自分自身を握り、歴史修正主義者と戦う。相手の攻撃を受けて痺れる腕。
戦場の血生臭い空気が鶴丸に纏わりつく。その重みが鶴丸には得難いものだった。

戦える。錆びた自分が再び刀としての姿を取り戻していくのが分かった。

宝として大事に仕舞われるのも良いが、やはり自分は戦場を駆けていたい。
じっとしているのは鶴丸には退屈だ。

本丸で時代も作り手も違う刀たちと話し、戯れるのも楽しい。
同じ時代、同じ場所にいた刀たちもいた。
主は熱心に刀集めをする方ではなかったが、鶴丸が来た時には二十振前後の刀がいたし、その後も主の手によって刀が顕現された。

退屈なのは性に合わない。
相手が新しい刀であっても古くからいる刀であっても、鶴丸国永は生まれながらの本能に従うようにして「驚き」を提供した。

「驚き」は良い。
心が動いているのを感じる。退屈は心を殺していく。
身体と心があれば、自ら行動して「驚き」を求めることが出来る。

まあ、やりすぎはご法度だ。

思っていたよりも身軽な主が逃げた鶴丸国永を追いかけ屋根まで上がり、鶴丸にお縄をかけたのはこの本丸の記憶に残る大捕物となったのだから。

この本丸の主は最初の印象に違わず気の強い女性だ。
どこで学んだのか、戦闘の指揮はまあまあ上等で、幸いにも今現在折れた者はいない。
負けず嫌いで向上心があるが深追いをしない所が、鶴丸も他の刀たちも好ましく思っていた。
鶴丸の「驚き」に対してもある程度寛容だ。後始末を手伝ってくれる時もある。小言も付いてくるがそれは自業自得というので甘んじて受け入れている。
彼女の容姿も鶴丸は気に入っていた。
短く切り揃えられた黒髪に、鶴丸のものとは色が違う金色の瞳。
自分と反対の色で作られたようなその容姿は鶴丸のお気に入りだった。
整った顔立ちや均整の取れた肉体も嫌いではない。

鶴丸は主を視界に収めると、決まって足音を殺して彼女に近づく。
彼女が本丸内で一人でいるのは珍しい。狭くない本丸にはたくさんの刀がいて、彼女は常に慕われ乞われているからだ。

「主!」

庭の景色を見つめていた彼女に声を掛けると主は自分の方に振り向いてくれる。
金色の瞳の中に自分一人が映るその瞬間が鶴丸は一等好きだ。
今自分だけが彼女を捉えているという事実に、鶴丸の中の独占欲が満たされる音がした。
鶴丸の唇が弧を描くのと主がいつものように首を傾げるのはほぼ同時だった。

「どうしたの? 鶴丸」

「いや、ははっ。驚かせようとしたら、どう驚かせようか分からなくなって、普通に声をかけてみたんだ。
どうだ、意外で驚いたか?」

「なんだ、鶴丸でもどう驚かせようか分からなくなるんだ。
それは驚いた」

「心外だぜ。俺にもどうやって驚かせようか分からなくなる時ぐらいあるさ。
こうならないように、普段から常に新鮮な『驚き』を模索してるんだがな」

「探求心があって結構。
でもあまり派手なことはしないでね、鶴丸」

そう言うと主は鶴丸の額に手を伸ばした。伸ばされる手を鶴丸は見つめる。
主の手は好きだ。自分とは違う柔らかい輪郭を描く指先。自分にはない物。替えの利かないものの一つ。
強く張られた緊張の糸を、戦場の血の匂いを、殺気立った空気を振り払ってくれるのは、いつもの彼女の手だ。
自分に触れてくれる指先の熱が鶴丸は好きだ。

彼女は鶴丸の額に手を伸ばすと指で弾いた。
威力のないそれは痛みを生じさせるようなものではなく、軽く額に衝撃を感じた程度だった。
彼女は蜂蜜を混ぜた夕暮れのような黄金の眼差しを鶴丸に向ける。

「次は縄で済ませないよ」

「ああ、肝に銘じておこう。
次は何で俺を捕まえに来るつもりだ?」

付け加えられた言葉には重圧を感じたが、鶴丸はそれも甘んじて受け入れた。
縄でないなら次はなんだろうか。それを考えるのも「驚き」がある。
主が表情を変える。むっとして眉を寄せる、不満げな表情。
黄金色の眼差しは欠片も残さず消えた。少し残念だが、鶴丸の独占欲は満たされる。

彼女が表情を変える時を見るのは鶴丸の楽しみの一つだ。
それが自分の引き出したものであるのならば尚更だ。
大捕物の時も彼は追いかけられながら、首をもたげた独占欲と自分だけがあの表情を引き出せるのだという充足感に満たされていた。

醜悪な感情だと思う。

他人には見せない表情を見せてほしい。美しいものも醜いものも、全て見せてはもらえないだろうか。
ふとした瞬間にその醜悪な感情が顔を出し、鶴丸の心の臓を締め付ける。

鶴丸国永は心を呼び覚まされた。主の声に応えた。伸ばされた手を掴んだ。

主は特別だ。
刀たちは皆彼女を慕っている。自分たちを使ってくれる彼女が彼らは好きだ。
鶴丸の感情はきっとそこから生まれている。
それが心の臓を焼くような熱を孕むということを鶴丸は知らなかった。

主と他の刀剣が顔を寄せ合いひそひそと耳打ちをしているのを盗み見てしまった時、鶴丸の胸は痛みで締め付けられた。
その眼差しや指先、声に孕む熱が自分と寸分変わらぬものであると気づいて、鶴丸は息が詰まった。心に、身体に、痛みが走る。
内臓が爛れるような痛み。幻の痛みは、しかし本物としてそこにあった。
爛れた臓腑が身の内を更に焦がしていく。苦みを伴ったその熱が何であるのかを鶴丸は知った。

鶴丸国永は恋をしている。

優しい色をした金色の瞳を持つその人を自分だけのものにしたかった。


■■■


その日は朝から雨が降っていた。

白く煙る庭はいつもと変わらないはずなのに、違う世界を見ているようだった。
雨の日は皆手持ち無沙汰になる。鶴丸も例外ではなかった。
出陣があれば話は別だが、本日鶴丸は部隊に組み込まれていなかった為、完全に暇人となった。
退屈だ、驚きがない。

ふらふらと本丸の中を歩く。
探しているのは彼女の姿だ。自覚した想いは脈打つたびに痛みが走る。踏み出す足は痛みと想いで浮いた。
何かを開く音が鶴丸の耳に聞こえてきたのは、主の部屋の近くの角を曲がった時だ。

黒い大きな傘を開いた主が履いた靴を整えながら庭へと歩き出そうとしていた。

「君、こんな雨の日に何をしようっていうんだ?」

「書類仕事が終わったから気分転換に散歩」

雨で濡れた庭が別世界みたいで歩いてみたくなったから、とまるで子供のように言う。
そして彼女は傘を鶴丸の方に傾ける。悪戯を思い付いた子供のような笑みを浮かべていた。
彼女のその表情に鶴丸の心の臓が跳ねる。

「鶴丸も来る?」

その問い掛けに頷く以外の答えを鶴丸は持っていなかった。

「ああ、主、御供しよう」

差し出された傘の柄を鶴丸はそっと掴む。主は彼がしっかり柄を掴むのを見届けてから、手を離した。
本丸の庭は存外広い。気を抜けば迷子になってしまう程であるが、それにも関わらず不思議なことに手が良く行き届いていた。
池の回りを一周し、掛けられた橋を渡り、雨露に濡れる庭の草花を見る。
雨に濡れた庭は静かな美しさを保っている。もう少し多く降れば泥による汚れが目立つだろうが、今日はそうはならなかった。
遠くから短刀たちの笑い声が聞こえる。

傘の中には主と鶴丸の息遣いだけがあった。
雨音に紛れて溶けてしまいそうなその呼吸の音を鶴丸の耳は器用に拾い上げた。
時折囁かれる主の声が耳によく馴染んだ。
静かな柔らかい声だった。殊更丸みを帯びた音。

傘の中、まるで世界に二人きりだった。
呼吸の音と雨音が二人の間で反響する。

傘を叩く雨の音は独占欲が満たされる音にとても良く似ている。

とくとくと脈打つ鼓動の音と共に独占欲という器に水が降る。水面を叩く雨粒が作る波紋が消えては現れ、心が小さく音を立てた。

肺に満たされるのは彼女の甘い香りと雨に濡れた土の匂い。

彼女の顔がすぐそばにあるだけで指先が痺れた。

恋とはなんと甘美なんだろう。だからこそ失うかもしれないという想像は恐ろしかった。



鶴丸国永は恋をしている。

叶わないかもしれない恋だ。人と刀だ。生きる時間が違う。ずっと一緒にいることはきっと出来ない。

それでもこの傘の中の儚い世界を自分のものにしたいと喉が鳴った。

彼女が鶴丸を見上げる。
その金色の眼の中には自分が映っていた。
鶴丸は微かに震える指で彼女に手を伸ばす。
頬の輪郭をなぞり、手を添えると彼女はいつものように小首を傾げた。
彼女の言おうとした言葉は彼女の瞳を覗き込んだ鶴丸によって吐息ごと飲み込まれる。
色素の薄い髪が彼女の肌をくすぐった。
金色の瞳が大きく見開かれるのが鶴丸には見えた。驚いたようなその表情に鶴丸は眦を下げる。
彼女の吐息を全て飲み込んでから、鶴丸は僅かに体を離す。

傘の中に静寂が訪れる。
覗き込んだ金色、彼女の瞳の中には鶴丸がいる。
言葉を、声を、雨で煙る美しさを閉じ込めるための方法を、鶴丸国永は探している。

雨音が響く傘の中、そこは人の声が最も美しく聞こえる場所だという。
鶴丸にその知識を与えたのは誰だったか。
他の刀剣だったかもしれないし、主だったかもしれない。

だから鶴丸国永はその閉じられた空間の中で、自分だけをその瞳に捉えてくれている人を見つめて呟いた。

人の身に与えられた美しく儚い声が傘の中で反響した。


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