短編(その他)

  その日常に乾杯を!(オタレッド)


オタレッドという人物を知っているだろうか。

アキハバラの平和を守るオタレンジャーのリーダーであるその人のことである。
真っ赤なジャージと赤い鳥の仮面がトレードマーク。

オタレッドは普段は少々弱々しい青年である。
よれよれのスーツと寝癖の消えない髪、それから昨今では珍しい分厚いビン底眼鏡がそれを強調している。

そうそう、いつも引っ提げている白い紙袋も忘れてはいけない。あの中には彼の赤いジャージや仮面、それからLBXが入っている。
本名は不明。「ユジン」という名前は伝わっているが、名前なのか苗字なのか、はたまたただのハンドルネームなのか。
真相は謎のままである。
興味のある方は調べてみてほしい。調査結果の報告求む。

さて、これはこの前の日曜日の、いつものようにアキハバラが騒がしい日の出来事である。

「ひったくりよ!」

「むっ!」

キラーンと分厚い眼鏡のレンズが看板に反射しまくった光で光る。
若いご婦人の(推しの缶バッチが輝く)カバンがひったくり犯によって奪われたのである。
ひったくり犯は人の波を抜けると、真っ直ぐにオタレッドに向かって来ていた。

彼の仲間であるオタレンジャーがいれば華麗な連携でひったくり犯を一捻り! となっただろうが、今日は生憎と彼一人しかいなかった。

それもそのはず。今日は贔屓のメイドカフェで今後の活動方針の決定と月一のハンドメイドLBXの報告会があり、現地集合としたのは他でもない彼なのである。

であれば、ここでひったくり犯を止めるべきなのは、いや……止められるのはオタレンジャーのリーダーであるオタレッド、彼しかいない!

彼は素早い動きで紙袋から仮面を出すと、実に0.5秒の速業で被った。

「ふんっ!」という雄々しい掛け声と共にひったくり犯の前に躍り出ると、高らかに歌い上げる。

「アキハバラの平和を脅かす不届き者め!
このオタレッドが成敗してくれよう!」

師匠直伝の武術の構えを取ると、オタレッドは軽やかな腕の動きでひったくり犯を絡めとり、体重を移動させてひったくり犯を地面に倒して御用にした。
通行人が呼んだ警察がすぐにやって来て、ひったくり犯は彼らに連れていかれる。

ご婦人のバックを拾い上げ、缶バッチに傷がないことを確認してから、彼は丁寧な所作でご婦人にバックを渡す。

「ありがとうごさいます! 何とお礼を言っていいか……」

「いえいえ!
アキハバラの平和を守るオタレンジャーとして当然の事をしたまでです!
それでは予定があるので私はこれで……」

爽やかな笑顔(仮面で見えない)でその場を立ち去ろうとオタレッドはご婦人に背を向ける。
なんと格好良く爽やかな青年だろう。
場の空気が完全に一致しかけた。

しかしその時、とても不幸なことに彼の足首が突然の反抗期を迎えた。

何もない道で足首がぐにゃりと曲がり、受け身を取る間もなくこけたのである。

盛大なドシャっという音とカエルを轢いたような「ぐえっ!」という声がアキハバラの街中に木霊する。

「すみません! すみません!」

四方八方に平謝りしながら急いで立ち上がると土汚れを払いながら、逃げるようにその場を立ち去る。
オタレッド史上おそらく最速の速さでアキハバラの街を駆けると、彼はメイドカフェ目掛けて飛び込んだ。

メイドカフェの「お帰りなさいませ、ご主人様!」という声がアキハバラの街に響く。

声の揃ったいつも通りの美しい挨拶。肩で息をするオタレッドにもそれは惜しみ無く降ってきた。
馴染みのメイドカフェは今日も彼に優しい。

しかし今はその優しさも体に沁み行ってこない程に彼は項垂れていた。

恥ずかしかった! 何故あそこでこけてしまうのか!
体幹を、足を何故普段から鍛えておかなかったのか!

「あー…」と少し情けない声を上げるオタレッドに、先に来ていた仲間たちが声を掛けるのはその数秒後の出来事だ。



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