短編(その他)

  三歩先の幻(海道ジン)


その日、僕はテーブルに相棒のLBXを丁寧に座らせて、アルテミスの中継映像を見ていた。
技の応酬、プレイヤーの冴え渡る判断、必殺ファンクションによる怒涛の決着。
特に山野バンと大空ヒロのバトルは熱かった。あれほど生で見たいと思ったバトルは他にない。
手に汗握る試合の数々に魅了される中、僕は一つの試合に目を奪われ、そしてそのLBXプレイヤーを見て自分の目を疑った。
テレビの中で古城アスカと一緒に映る彼女の姿に僕は絶句した。

「幽霊が出た!
幽霊が! アルテミスに!」

大慌てでテレビの画面を指差しながら言った僕に、母が大変に冷たい視線を送ってきたのは記憶に新しい。
ちょっと昼寝でもしなさいと、無理矢理布団の中に押し込められたことも。

違うんだ、母さん。
画面を見れば分かるじゃないか。
これが驚かずにいられるだろうか、だって彼女は……「雨宮ヨル」は死んだんじゃなかったのか!?


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「雨宮ヨル」は例えるなら夢幻のような同級生だったと思う。
無表情で何を考えているか分からない。
けれども、外国の血を濃く感じさせる雪のように白い肌や薄い髪色はクラスではどうしようもなく目立っていた。
同級生という関係でしかなかった僕と彼女の間には、特別な思い出はない。
ただ席が近く、丁度黒板との間に彼女がいて、その横顔を授業中に何度も見る羽目になった。それだけの話である。
そんな彼女は僕が小学五年の時、交通事故で亡くなった。
彼女の机は空っぽになり、黒板を遮る彼女はいなくなったのである。尤も彼女はあまりにも背が低かったから、大して遮蔽物としての役割を果たしていたとは言えなかったが、なんとなく寂しさはあった。

そう、彼女は死んだはずなのだ。
なのにどうして、「雨宮ヨル」は生きているのだろうか。
他人の空似? それにしたって、彼女は気味が悪いほど「雨宮ヨル」だった。
黒板と僕の視線の間にいた「雨宮ヨル」の横顔。
整ったあの横顔を、何故かよく憶えている。

僕はアルテミスのネット配信映像を頻繁に見るようになった。
何度見ても彼女には脚があり、影があり、紛れもない生きた人間だった。
あれは誰なのか?
僕はそれが自分だけに与えられた難問のように感じられて、調べずにはいられなかった。

ネットでの情報収集に限界を感じた僕は書店で古城アスカの特集が組まれたLマガを購入すると、目を皿のようにして「雨宮ヨル」の姿を探した。
見開きを使用したインタビューは古城アスカのことがほとんどで、サポートメンバーへの言及はない。
僕は古城アスカの天才の感性に慄きながら、ページを読み進める。
古城アスカはサポートメンバーについて「信頼出来る人物だ」と称していた。気が合うのだという彼女のインタビューに僕は首を傾げる。「雨宮ヨル」は誰かと友人関係を築けるような子だっただろうか。
インタビューを三回ほど読み直したところで、僕はLマガを閉じた。
名前と姿以外はさっきの古城アスカによる言及を除けば、僕の知りたいようなことは書いていなかったからだ。
不甲斐ないことに僕の調査はここで本当に行き詰まり、後にミゼル事変と呼ばれる大規模テロが起こったことで完全に僕の中からこのことは抜け落ちてしまった。
誰に弁明するわけでもないが、相棒ともしかしたら離れなければいけないという緊急事態がそこにはあったのだ。
僕だけではあるが、満足のいく調査結果を出せなかったことは許してほしい。


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ミゼル事変が終わり、僕はLBXのツールボックスをぶら下げて真夏のアスファルトという地獄の上を歩いていた。
午前中に行った模型店の冷房が効きすぎていたせいだろう。気温差に耐えきれず、僕は早々にバテていた。
早く帰って冷たい麦茶でも飲まないと死にそうだ。ゆらゆらと揺れる陽炎を追いかけるようにして歩いていると、前から人が歩いてくるのが見えた。
男女の二人組だ。女の子の方が男の子を見上げているのが見えた。
僕は男の子の方に見覚えがあった。思わず、ツールボックスを落としそうになる。

海道ジンだ。
秒殺の皇帝。アルテミス出場者。
肩書きは色々あるが、LBXをやっていれば知らぬものはいない有名人だ。

ツールボックスを持ち直しながら、僕は憧れのLBXプレイヤーとの偶然の出会いに思わずくらくらした。
憧れと喜びで途端にいっぱいいっぱいになる。視線を合わせるのもちょっと辛い。
しかし、僕は意を決して海道ジンを視界に入れた。
彼はシンプルなシャツとスラックスを上品に着こなし、顔面偏差値の差をこれでもかと見せつけてくる。
テレビを見ていて思ったが、やはり整った容姿をしている。
彼のファンは女性が多いという話をよく耳にするが、それも納得の美しさだった。
あまりの不公平さに僕は絶望しかけたが、その隣で彼を見上げる女の子の方に驚き、目を丸くするしかなかった。

日焼けを知らないような雪のように白い肌。
高い位置で結ばれた色の薄い髪が揺れる。動物的な動きをするそれは見た目よりずっと手入れされているのか、さらさらと肩から零れ落ちた。
瞳は空の色をそのまま流し込んだかのようなはっきりとした青色をしていた。
彼女は「雨宮ヨル」だ。

そのまま立ち止まらずに歩けば良いものの、僕は思わずその場で立ち止まってしまう。ツールボックスを落とさなかったことを褒めて欲しい。相棒が入っているのだから落とさないのは当たり前であるのだが、僕はそれが通用しないぐらいに動揺していた。
当の彼女はと言えば、隣に並ぶ海道ジンを見上げて、何か話しかけていた。無表情なんてとんでもない。口元には笑みを浮かべて、こてりと首を傾げた。君、そんな顔も出来たのか。頭の中の嫌に冷静な部分が突っ込みを入れる。
会話は聞こえないが、海道ジンも雨宮ヨルの歩幅に合わせてゆっくり歩きながら、彼女の話に耳を傾けている。
その光景にも僕はもちろん「雨宮ヨル」程ではないが、びっくりした。彼はテレビや雑誌で見る限り、もっと冷静であまり人と関わらなそうな印象を僕は彼に抱いていたのだ。

海道ジンは隣に並ぶ雨宮ヨルを慈しみや優しさ、愛おしさを金のスプーンでくるくると混ぜたような甘い色の眼差しで見つめている。
ただの友人に向けるには、あまりにも甘やかな眼差しだった。

僕が何とも言えない気持ちを味わっていると、不意に雨宮ヨルと目が合ってしまう。

つうっと暑さからではない汗が背中を伝った。

彼女は真っ青な瞳を僕に向けて、歩みは止めずに見つめてきた。
感情の動きが読めない目だ、と思った。写真の中の海を見ているような気分だった。静かな、凪いだ海。人の声も波の音も聞こえない。
しかし、それも一瞬だ
彼女は自然な動作で海道ジンに視線を戻す。それに僕はとてもほっとした。やっと足が前に出る。ツールボックスがいつもとは違うリズムで音を鳴らした。
あと十メートル、あと九メートル、あと…

心臓が早鐘を打つ。
すれ違えば何かあるという訳でもないだろうに、言葉にし難い息苦しさが続いた。

「それでね、アスカが……」

「雨宮ヨル」の声が聞こえた。穏やかで落ち着いた声だ。そんな声だったろうかと、僕は心の中で首を傾げる。僕は彼女の外見的な特徴以外、大して憶えていなかったのだ。
彼女は…「雨宮ヨル」は僕に対して、ふっと笑みを向けてきた。

小さく、しかし礼儀正しく僕に会釈する。そして、たった一言。

「こんにちは」

彼女はすぐに頭を上げて、僕の横を通り過ぎようとする。その拍子に薄い色の髪が肩から零れ落ちた。なだらかな動き。
実感の湧かない、雲を掴むような、幻を見ているような瞬間。夏が通り過ぎようとするときの言葉にできない寂しさに少し似ている。
僕は歩みを止めかけたが、すぐに頭を振って、震える手を握り締め、僕も小さく頭を下げた。それが精一杯だった。

すれ違う。

一瞬だった。生温い、弱い風が頬を撫でる。海道ジンの少しだけ訝しむような顔が見えたが、彼は隣にいる雨宮ヨルの表情を見ると、すぐに元の穏やかな表情に戻った。何でもないように彼女に会話を振る。
特別だった時は瞬きよりも短く、するりと日常に溶け込んでいくのを感じた。

僕はそれを横目で見ながら、振り返らずに家への道を歩く。

唐突ではあるが、僕はここで調査報告をさせていただきたいと思う。

結論から言うと、「雨宮ヨル」は幽霊ではなく、生きた人間だった。
影があり、足があり、穏やかな声をして、普通に笑う子だったのだ。そんなことを僕は知らなかったのだけれど。

僕は家への道をまっすぐ歩いて行こうとして、目についた横断歩道の信号が青であることを確認して、それを渡った。
視界の端に彼女たちが見えるような気がしたが、僕はそれを振り払って、横断歩道を渡った。

ツールボックスが文句を言うように、一際大きな音を立てた。



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