88.雷撃一閃


水槽の水を頭から浴びたヨルの背中を撫でると、彼女はえずきながら口の中の水を吐き出した。
大量の水槽を破壊したことで溢れた水が波紋を広げる。
それと同時に錆びた鉄の匂いが周囲を満たした。

それなりに資金を投じた施設とはいえ、時間経過には敵わなかったのだろう。
ベクターの攻撃が当たったパイプの裂け目からは、赤茶色の水が噴き出ていた。

水槽の陰からベクターの方を見る。

CCMの反応やLBXのカメラで見る限り、ベクターの数は五体。
有効な打開策のない今は多すぎる数だった。

ベクターたちはトリトーンたちを攻撃し、次々に円筒形の水槽を破壊していく。
硝子片が雨のように床に降り注ぐ。

一瞬の雨音。
電気設備の一部がやられでもしたのか、照明が不規則に明滅を始める。

ベクターの背後に出入り口があり、奴らがそれを塞いでいる形だ。
アミの考えた作戦通り、パンドラとヴァンパイアキャットで撹乱し、押し切って扉に到達するしかなさそうだ。

僕たちの背後にあるコンソールと奥にあるコンピュータを破壊したいが、この位置で破壊すれば漏電して僕たちまで感電しかねない。
電源を落とせば良いが、そうすれば地下を抜けた後にベクターたちを閉じ込める術がなくなる。

破壊するとなれば、距離を取って遠距離から破壊するしかないだろう。

「水位が上がれば水圧で扉を開けなくなっちまう。
早いとこ、ベクターを突破するしかないぞ」

「それなら、やっぱり…」

アミとアスカが視線を合わせて、頷いた。
先に動き出したのはアスカだ。

ヴァンパイアキャットの動きが変わる。
ベクターを攻撃することを止め、不規則な動きと身軽さでベクターの撹乱に入った。

それを確認してから、リュウビとパンドラが後方に下がった。
僕もトリトーンを一時的に後ろに下げる。

アミの視線はヨルへと移る。

「ヨル、動けるわね」

尋ねると言うよりは確認に近かった。
何が何でも動け、と。
それぐらい出来るだろう、と。

突き放しているようで、アミの言葉にはヨルへの深い信頼があるように思えた。

亜麻色の髪から水を滴らせながら、ヨルはアミの問いに頷く。

「………大丈夫」

動きの鈍っていたジャバウォックが顔を上げる。

ヨルは深く息を吐き出すと、CCMを持ちながら器用に髪を纏めて水を絞った。
ぽたぽたと大粒の雫が零れ落ちる。

ヨルが顔を上げ、CCMを持ち直した。

水槽に隠れるようにして、ヴァンパイアキャットとパンドラが前衛に、トリトーン、リュウビ、それからジャバウォックが後衛に配置される。

「ヴァンパイアキャット!」

「パンドラ!」

二体が一気に走り出す。

ベクターの間を抜けるように走り出したヴァンパイキャットとパンドラはベクターの手に触れぬようにしながら、ベクターたちを室内の中央に集め出す。

その動きから抜け出してきたベクターをリュウビが剣で牽制し、手が伸びて来た時には盾で押し返して距離を取る。

それを横目にまず最初にリリアさんとコブラに、出入り口に近い位置に移動してもらう。
コブラがコンソールからケーブルを引き抜いた。
焼け石に水とは知りながらも、リリアさんがコンソールの電源を落とした。

幸いにして、ベクターは僕たちのLBXの方を優先的に攻撃してくれている。

凌ぎきるのは難しいが、僕たちが位置を入れ替えるまでの時間稼ぎぐらいはどうにかなりそうだった。

「必殺ファンクション!」

《アタックファンクション 白虎衝波斬》

リュウビの必殺ファンクションが炸裂する。
リュウビのエネルギーで形作られた白虎がベクターを薙ぎ払い、水槽を三本ほど打ち抜いた。

「必殺ファンクション!」

《アタックファンクション オーシャンブラスト》

宙に浮いたような状態にあったベクターにトリトーンで必殺ファンクションを叩き込んだ。
胸部に亀裂が入ると同時にその場で爆発し、凄まじい爆風を起こした。
赤く焼けたフレームの破片がぱらぱらと水面に落ちる。

一体のベクターがLBXを持たない二人に向かって行くのを視界の端で捉えた。
コブラとリリアさんを援護するようにして、ジャバウォックが二人を狙ってきたベクターの真正面を取る。
光弾を放とうとしたベクターの手を槍で逸らし、うねる尾をフレームを壊す勢いでベクターに叩きつけた。

姿勢を崩したベクターの後頭部にホープエッジが突き刺さる。

ホープエッジの傷口から火花と煙が起こり、ベクターが爆発する。
水に沈む機体を中心に気泡が一気に弾け、一際大きな水柱が上がった。

爆風と水の勢いで体が振動する。
ベクターの動きがそれによって一瞬止まったのが見えた。

大小の水の粒が身体に打ち付け、爆発の中心から上がった白い蒸気と青白い閃光が水面を這う。

塩辛い水が肌をピリピリと刺激した。

「みんな! 今のうちに!」

ユウヤの声が響く。
視界が晴れる前に他のベクターを引き付けつつ、僕たちも移動する。

ジャバウォックが水面からホープエッジを拾い上げると、それをパンドラに投げた。
パンドラの視線の先に投げられたホープエッジをアミは流れるように受け取ると、ベクターたちを睨み付ける。

「必殺ファンクション!」

《アタックファンクション 蒼拳乱撃》

最もベクターに近い位置にいたパンドラが必殺ファンクションを放つ。
蒼いエネルギー弾がベクターを掠めると同時にその背後にあったコンソールを直撃する。

コンソールの外装部が剥げ、内部が露出した。
火花が跳ね、濡れた床を滑った。

ベクターの体勢が崩れる。

アスカが足元の水を跳ねながら、僅かに前に出る。

「必殺ファンクション!」

《アタックファンクション デビルソウル》

更に必殺ファンクションを叩き込んだのはヴァンパイアキャットだ。
悪魔染みた攻撃はベクターを三体同時に捕らえると僕たちからベクターを引き剥がした。
一体はそのまま破壊まで追い込んだが、残りの二体は距離を離しただけだ。

残りは二体。

白煙の中からベクターが動き出すのが見える。
それから火花と青い閃光を散らすコンソールとその奥にあるコンピュータ。

「ここからじゃ、距離が足りない…!」

アミが歯ぎしりをする。
パンドラの必殺ファンクションでコンソールの外装を剥いだは良いが、必殺ファンクションの効果範囲では奥のコンピュータまでは届かない。

「もう良い、十分だ! 撤退するぞ!」

扉に手を掛けたリリアさんがその向こうから言う。
苦渋の選択だ。

閉じ込めれば、まだ時間が稼げる。
コンソールは破壊出来たから、それだけでも十分に時間を稼げると言う算段だろう。

ベクターたちはよろめきながらもこちらに赤い眼差しを向けてくる。

その隙に自分たちのLBXを回収し、鉄の扉の向こうに避難する。

ただジャバウォックだけが、まだ室内の中央部に残っていた。

「ヨル! ジャバウォックを……!」

早く、と言おうとしたところで僕を制する手が背後から伸びてきた。

アミだ。

彼女はヨルに紫色の、宝石に光を一筋当てたような、強い眼差しでヨルを見た。
アミはすうっと息を吸い込む。

「ヨル! 作戦は!?」

「……ある。
この水は海水に近い成分だから、普通の水よりも電気を通しやすい…筈だから、ジャバウォックの必殺ファンクションの効果範囲を広げられる。
だから……!」

数秒の間の後、ヨルはそう言ったかと思うと、自分も扉の向こうに体を投げ込んだ。

リリアさんが本当に、コンマ数秒悩んだように見えたがすぐに扉を閉める。

ガシャン、と重苦しい音が響き渡る。

ヨルの説明は肝心な部分を欠いている。
必殺ファンクションの効果範囲を広げられるのは確かな筈だ。

水は床一面に広がりつつあり、現に足元はくるぶしまで水で濡れている。
ジャバウォックの必殺ファンクションの《鳴神》は広範囲を攻撃出来る。
つまりはこの室内全面をカバー出来るぐらいには、効果範囲を広げることが出来るはずだ。

しかし、それはジャバウォックがこの室内で必殺ファンクションを放つ必要があるということでもある。
それも部屋を密室にしなくはいけない。

そうしないと僕たちも感電する可能性があるからだ。

コンピュータを壊すことを考えた時に危惧したことと同じだ。

「…………ごめん」

ヨルが小さく呟いた。
吐息と変わらない、囁くような小さな声だった。

それでもその囁きには力強さがある。

彼女は顔を上げた。

青い瞳は強い意志を持っている。
夜明けの色を湛えていた、あの眼だ。

僕はその横顔に、眼差しに、不謹慎ながらも少しだけ…見惚れてしまった。

「必殺ファンクション!!」

《アタックファンクション 鳴神》

重い扉の向こう、雷の弾ける音が聞こえたような気がした。

その次に複数の爆発音。
爆発音に続いて、水の跳ね上がる音。

それらが連続して起こる。
連続して起こる度に爆発が大きくなっているようだった。

扉の向こうはまるで嵐だ。

狭い室内に、全てを薙ぎ倒してしまう嵐をそのまま閉じ込めてしまったかのような轟音が響き渡る。

「すっげえ…」

心底驚いたような、呆れたような声をアスカが上げる。

それでも嵐が起こっていたのは短い時間だった。
時間にして五分あるかないか。

「…………ベクターは?」

「反応ありません、けど……」

CCMを見たユウヤが答える。

ベクターの反応はない。
恐らく水蒸気爆発と増幅された雷で想定以上のダメージを喰らってのブレイクオーバー…か。

リリアさんが少しばかり凹んだ扉に耳を押し当ててから、そのドアノブに手を掛けた。
隙間から中を見てみる。

部屋の中の水槽という水槽が割れ、硝子が水に沈んでいるのが見えた。
それからベクターの頭部や腕が砕けて浮いている。

威力を上げたジャバウォックの必殺ファンクションで倒すことが出来たのだろう。
機体が分かれているのはブレイクオーバーの後にも爆発を受けたからか。

リリアさんが感電の危険性がないことを確認してから、通せんぼをするようにして防いでいた腕を退ける。

「……ジャバウォック!」

ヨルがいち早く室内に入る。
水を大きく跳ねさせながら、彼女は水の中から機体を拾い上げる。

僕の足元にジャバウォックの武器が沈んでいるのが見えて、僕はそれを拾い上げた。

ヨルの手の中の機体を見る。
ジャバウォックは所々焦げてはいるが、パーツは全て揃っていた。
ヨルは関節部や胸部を見てから、ほうっと息を吐く。

「良かった…。よく頑張ったね」

そう言って、ヨルはジャバウォックを親指の腹で一撫でした。

それから彼女は室内の奥を見る。
僕も彼女に倣って奥を見た。

目を細め、鋭い視線をした後に、彼女は肩の力を抜いた。

そこには基盤部分が露出し、焼き焦げたコンピュータがあった。

原形を辛うじて留めているコンソールの目の前にリリアさんがいる。
彼女はヨルとよく似た仕草で溜め息を吐いた。




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